174話 彼誰時
2ヵ月に満たない短期の派遣を終えて、夜叉は恐山に帰還した。
帰還方法は、夜叉の想定外だった。
顕現していた身体を殺されて、鬼市の隔離が解けた後、強制的に戻されている。
夜叉が天竜魔王の式神でなければ、復活できずに滅ぼされていただろう。
夜叉は片膝を突き、己の使役者に敗戦を報告した。
「天竜魔王様の呪力を消費させてしまい、申し訳御座いませぬ」
「構わぬ。敵の手の内を知ることは、無駄ではない」
「はっ。寛大なる仰せ、感謝申し上げます」
呪力を消費した天竜魔王だが、消費に見合う収穫は有ったと思っている。
荒ラ獅子魔王と天竜魔王は、かつて共に天部を相手取った同格の魔王だ。
天竜魔王は飛べるが、それを除けば、荒ラ獅子魔王よりも上位だとは言い難い。
現代の陰陽師達に相対した時、荒ラ獅子魔王と同程度では、天竜魔王も同様の結果に至る。それが事前に分かったことは、天竜魔王にとって無駄ではない。
「堂々と復活を宣言して、都市を支配すれば、あの獅子と同じ末路になろう」
「……はっ」
「あの獅子の残党が暗躍していると見せかけて、呪力を集め、烈風魔王を復活させる」
「煙鬼は、捕まえて使役しておりますが……烈風魔王様でありますか」
夜叉が確認したのは、式神として、主である天竜魔王の立場に慮ったからだ。
天部を相手取って敗北した天竜魔王と、その上の明王である不動明王を相手取って優勢だった烈風魔王とでは、魔王としての格が違う。
名の挙がった烈風魔王は、天竜魔王よりも格上だ。
顎で使われるほどではないが、利益が対立すれば、天竜魔王が引かなければならない。
「だが強い。そして位置も良い」
「和歌山県の高野山……陰陽師協会の本部がある奈良県にも近いですな」
「烈風魔王が復活すれば、勝手に争おう。クックッ」
愉快な未来図を想像した天竜魔王は、ほくそ笑む。
片膝を突いた夜叉は、そのまま頭を下げて、主の意に沿った。
◇◇◇◇◇◇
『本日も番組を変更して、魔王調伏のニュースをお伝えします。昨日、陰陽師協会が、荒ラ獅子魔王と羅刹を調伏したと発表しました。作戦は、陰陽師協会が独自に行ったもので……』
1年で最後の月も、半ばを過ぎた12月16日。
世間は飛び込んできたニュースに、大騒動となっていた。
それは神奈川県西部、山梨県全域、静岡県東部に住む300万人に避難命令を発した原因の魔王が、調伏されたというニュースである。
『魔王への急襲作戦は、A級7名、B級10名、名無しの女神1柱で行われました』
テレビで解説されているB級陰陽師の10人は、五鬼童本家の次男と長女の2人、沙羅を含めた分家の4人、春日家の弥生と結月の2人、安倍と堀河の2人だ。
五鬼童本家と春日家の嫡男が作戦から省かれたのは、敗北の可能性も考慮していたからだ。
連れて行って全滅した場合、五鬼童が消滅するのは痛すぎるし、陰陽大家のうち春日家だけ全員招集するわけにもいかない。
霊狐を大量召喚していた作戦で、B級陰陽師2人分は誤差だった。
戦力は、充分に足りている計算だった。
『ですが魔王が逆襲に転じ、A級3名、B級3名、女神1柱が蜃の中に孤立して、襲われました』
戦いは、協会の想定外になってしまった。
A級が諏訪、一樹、小太郎の3名。
B級が晴也、堀河、沙羅の3名。
ほかに蒼依1柱で、魔王ならびにA級の鬼2体と戦うことになったのだ。
とりわけ主力だった霊狐を分断されたのは、大きな痛手だった。
『魔王は、諏訪様と賀茂陰陽師が戦った後、名無しの女神様が撃破しました。A級の鬼2体も、残る陰陽師が撃破しています。ですが諏訪様、B級の堀河陰陽師が、共に殉職しました』
アナウンサーが沈痛な声で、殉職者を報告した。
陰陽師協会が概ねの事実を公表したのは、活躍した一樹と蒼依への報酬の一環である。
荒ラ獅子魔王を倒した蒼依は、その事実によって神格を上げた。
だが神話が広く知られて、立派だと信仰されれば、それによっても神格は上がる。
さらに神力の回復手段は、一般的には土地の地脈や信仰だ。
知名度を増せば、人々の信仰が集まって、消費した神力の回復速度も上がる。
蒼依が山姥化を回避するためには、イザナミから独立した女神になることは、必須だった。
だが人間と女神では、寿命が異なる。今は人間の生活を送っている蒼依は、いずれ正体を明かすことが避けられない。
A級陰陽師の一樹が寿命などで居なくなっても、蒼依が蛇神やムカデ神のような強者になれば、人間から無理難題を言われなくなる。
そんな一樹の方針を支援すべく、名無しの女神が魔王を倒した事実が公表された。
『陰陽師協会の公式Twitterには、倒された魔王の頭に乗る神使の八咫烏5羽と、猫又の画像が、投稿されています。魔王と羅刹の魂は、復活しないように消滅されました』
現在は非公開だが、蒼依が天沼矛を突き立てる画像や動画も、様々な位置や角度から撮っている。
それは将来、蒼依が女神だと正体を明かして信仰を得る際の証拠となる。作戦に参加した陰陽師達も一緒に撮影しており、証拠を補強するほか、将来の貴重な資料にもなるだろう。
なお蒼依の平穏な高校生活を守るため、取材は一切断っている。
協会には連絡が押し寄せており、戦闘では活躍できなかった協会長が、渋々と対応している。
「……哀れ、協会長」
相川家に帰宅した一樹は、リビングで寛ぎながら、面倒なことをさせられる向井を哀れんだ。
もっとも同情はするが、手助けをしたりはしない。
一樹達に負担を掛けずに各所へ対応することも、活躍した一樹達に対する報酬の一環だ。
「主様、朱雀達が遊びに行ったのですが、大丈夫でしょうか」
メディアから出演依頼が殺到している件の女神が、2人分の和菓子とお茶を運んできた。
自分の分を受け取った一樹は、遊びに行った八咫烏達に、思いを馳せる。
そして隣に座った蒼依に向かって、困った表情を返した。
「花咲市に戻ってから、あいつら大はしゃぎだからなぁ」
天空櫓から帰った八咫烏達は、以前にも増してはしゃぐようになった。
カラスが、都会と田舎のどちらを好むのかはさておき、一樹と蒼依が育てた八咫烏達に限っては、相川家の納屋を拠点に活動するのが性に合っているのだろう。
宇賀に指摘された、大鬼との決戦が始まりかねないと、一樹は不安視している。
「強くはなっていないのですよね」
「ああ。魔王の調伏で強くなったのは、蒼依、沙羅、信君殿だけかな」
魔王調伏で呪力が大きく上がったのは、一樹、蒼依、信君、沙羅の4人だけだ。
一樹は魂の浄化、蒼依は神話の達成、信君は一樹の気を受け入れ、沙羅は夜叉退治でだ。
陰陽師協会全体では、諏訪と堀河の殉職によって、戦力が低下した。
魔王と再戦したならば、今度は負けかねない。
――堀河陰陽師が生き残れていたら、祈願を果たして、力を増したんだろうけど。
B級陰陽師が、A級の鬼を倒すなど、本来は有り得ない。
その有り得ないことを為すために、堀河はリスクを承知でA級の赤牛を使役した。
羅刹と戦った堀河には、小太郎も付いていたので、一人にだけ負担が掛かったわけでもない。
堀河の殉職は、元々の無茶が祟ったからだ。
そのように結論付けた一樹は、頭を振って、最善手を尽くした過去を振り払った。
差し当たって、目下の問題は、旺盛な八咫烏達である。
「あいつらが、どうしても大鬼を狩りたい時は、5羽で連携しろと命じるか」
神使の八咫烏達は、1羽で大鬼1体分の力がある。
5対1で、一樹からの呪力供給も受けられて、負けそうになれば飛んで逃げられる。
それくらいの優勢があれば、流石に負けないだろう。
一樹は次々と、自らを誤魔化す言い訳を考えた。
「それで大丈夫ですか」
「戦いは大丈夫だと思うけれど、花咲市に大鬼が降ってきたら、大騒ぎになりそうだ」
八咫烏達は遊ぶのが好きで、鬼を落とした時の人間の反応も楽しむ。
大鬼を落とすということは、牛鬼クラスの妖怪が、空から降ってくるレベルの大騒動が起こる。
それでも東京天空櫓で名声を高め、魔王を倒した女神の神使として知れ渡った八咫烏達なので、世間から鬼退治を怒られることは無いかもしれない。
人間の一樹は、花咲市から遠回しに苦言を呈されるかもしれないが。
『魔王の調伏に伴い、東京天空櫓に派遣されていた八咫烏達は、花咲市に戻ると発表されました。その件について都民からは、派遣の継続を求める声が上がっています』
テレビでは、撤収した天空の社について、都民の抗議を伝えている。
だが継続は、天空の社で使っていた勾玉に変化があって、現実問題として出来なくなった。
「勾玉の様子はどうだ」
「昨日のままです」
一樹に問われた蒼依は、獅子鬼を調伏するに際して使用した勾玉6個を取り出した。
そのうち5個は、天空の社に収めて莫大な信仰を集めたもので、残る1個は蒼依の私物だ。
蒼依の私物は、変化していない。
だが天空の社から回収して、魔王戦で使用した勾玉5個は、変質した。
一纏めにすると、蓄えられる呪力が、倍加するのだ。
端的には、『女神が、魔王を倒すために使った霊物が、神物になった』ようである。
「性能は管玉レベルか。5個で管玉レベルだから、通常の管玉よりも凄い」
通常の管玉は、翡翠製の勾玉9個が連なり、A級中位の霊物として使える。
それに対して変質した勾玉は、5個でA級中位の霊物と化した。
通常の管玉よりも高性能であり、一樹は神物と見なした。
「天空の社に収めていなかった蒼依の私物は変化していないから、管玉を作成する方法の1つが、判明したかもしれないな」
一樹が予想した管玉を作成する方法の1つは、莫大な信仰だ。
一纏めにした勾玉に、長い年数の積み重ねや、それに比肩する数千万人の祈りを籠める。すると金属を溶かして混ぜたように、1つの霊物として繋がるのかもしれない。
通常の管玉よりも格が上がったのは、魔王の調伏を果たすために使ったからかもしれない。
5つの勾玉は、霊物を超えて、蒼依姫命に纏わる神物と化したようである。
「その勾玉は貴重すぎて、天空の社に納められない。だから朱雀達の派遣は、どのみち終わりだ」
「それは良かったです。家のほうが、あの子達も嬉しそうですし」
霊物の事情に、女神の意向も加わって、八咫烏達の派遣は終了となった。
「わたしは神域を作れるようになりましたから、これは主様にお返ししますね」
「分かった。水仙に妖糸で繋いでもらって、管玉の形にするか」
蒼依の神域練習用に貸していた勾玉5個は、元々は一樹の物だ。
蒼依から勾玉を受け取った一樹は、それを懐に仕舞い込んだ。
この神物だけで、A級中位分の呪力を溜めておける。
「こういうパワーアップは、魔王を倒す前に起きて欲しいんだが」
「まだ無常鬼とか、残っているA級妖怪も、居るんですよね」
「ああ、残党は残っている」
陰陽師を続ける一樹にとって、管玉は無駄にはならない。
魔王は倒したが、魔王が各地に送り込んだA級の妖怪達は、未だに残っている。
それを思い起こした一樹は、今回の魔王出現を締め括った。
「次からは、圧勝したいな」
かくして逢魔時は過ぎ去り、彼誰時へと移ろいだ。


























