167話 逆転の発想
常任理事が御所市に参集した翌々日。
魔王支配地域の南に位置する静岡県の裾野市に、一樹の姿はあった。
『魔王の配下が各地に分散しているのを逆手にとって、魔王を強襲するわ』
それこそが宇賀の提案した、大胆すぎる打開策だった。
8月中旬に交戦した荒ラ獅子魔王は、9月下旬に利き腕を使えなくなっていた。
月単位の時間を挟んで腕を使えないのだから、かなりの深手を負ったと考えられる。
宇賀が右肩にフルオロアンチモン酸を掛け、良房が右手を噛み裂き、一樹が神気で追い打ちを掛けている。
おそらく、単純な骨折などではないだろう。
しかも魔王は、現代医学の治療を受けられない。
そのため現時点でも、万全の状態には戻っていないと考えられる。
だが時間を置くと、自然に回復したり、配下が呪力を集めて回復させたりするかもしれない。
『今なら弱っているけれど、あまり時間を置くと、魔王が回復するかもしれないわ』
魔王が回復すれば、増えた配下と合わせて、協会の手に余る。
今であれば、花咲家の犬神が強化されて、常任理事の呪力だけでも魔王が万全の状態に並んだ。さらに豊川の霊狐召喚、羽団扇を手に入れた五鬼童など、魔王を上回る力もある。
また羅刹については、父親を羅刹に殺された堀河が、A級中位の赤牛を召喚して対抗できる。
だから今、配下と分かれているタイミングで、強襲作戦を決行するに至ったのだ。
一樹達は後続で、B級の堀河が運転する車で国道246号線を進み、御殿場市へ向かう最中だ。前衛の上級陰陽師達は、すでに先行している。
車に同乗しているのは、一樹と小太郎、晴也と堀河、それに蒼依と沙羅だった。
人間のほかも数えるならば、八咫烏達も乗っている。
合流した際、八咫烏達が蒼依に懐いているのを見た晴也は、暫く考え込んでから呟いた。
「あの時の事務所員が、噂の女神さんやったとはな」
あの時とは、氷柱女の救命で湯沢市の温泉旅館に赴いた時のことだろう。
一樹が同行させたのは蒼依と沙羅で、蒼依は一樹の事務所員を名乗っていた。
一瞬だけ誤魔化すことも考えたが、使役者の一樹に対するよりも懐いていることから、蒼依が八咫烏達を神使とする女神なのは一目瞭然だ。
今回の蒼依は、一樹の護衛を兼ねていることもあって、情報共有が必要と考えた一樹は肯定した。
「今も事務所員だが、協会が認めた女神様でもある」
「「クワッ」」
蒼依の傍に居た八咫烏達が、肯定するように鳴いた。
「どこで知り合ぉたんや」
「調伏の依頼だ」
「さよか、流石は賀茂家やな」
A級に至った一樹の実力に相応しいと考えたのか、晴也は得心した様子だった。
実態は異なるが、一樹は軽く受け流した。蒼依の祖母など色々と込み入った事情があるために、わざわざ否定して詳細に説明する話でもない。
晴也と話をしていると、晴也が女神に注目したことに嫉妬したキヨが、姿を現した。
晴也が口を噤んだのを見た一樹は、言葉を途切れて気まずい雰囲気を作らないよう、率先してキヨに挨拶した。
「キヨさん、ご無沙汰しています」
「はい。いつも夫が、お世話になっております」
霊体のキヨは、車内で晴也の身体にしなだれながら、一樹に答えた。
キヨが悪霊であるか否かはさておき、取り憑いた霊であることは疑いようもない。
もっとも、最初にキヨをナンパしたのは晴也であるが。
「こちらこそ助かっています。今回も依頼を受けて頂き、ありがとうございました」
「協会の方々の依頼ですから」
キヨはニコニコと、笑顔で応じた。
晴也は常任理事ではないし、羅刹が親の仇というわけでもない。
だが協会は、キヨとの結婚を段取りし、新居を与えて、次の京都府統括陰陽師の地位も用意した。また前回の強行偵察では、報酬に大金を用意し、晴也の社会的地位も確固たるものとしている。
協会はキヨの力に期待して、色々と手を尽くしてきた。
それらが実を結んで、護衛依頼を受けてもらえた次第だ。
――安倍家は安泰かな。
晴也とキヨの間に子が生まれた場合、安倍家で白蛇の半々妖でもある子は陰陽師に成るだろうし、キヨが憑いて守るだろう。
すると晴也の次代以降も、安倍家は陰陽大家であり続ける。
そのうちキヨは満足して成仏するかもしれないが、それまでの間に安倍家は、京都府の陰陽大家という立場を確立させる。
めでたし、めでたしである。
そんなキヨを加えた今回の作戦は、すでに開始されている。
一樹達の車内に、協会長が出した式神の観測員からの報告が、流れてきた。
『召喚された霊狐隊、東西に分かれて北上を開始しました』
先行していた豊川が召喚した1000体の霊狐が、御殿場市の南端から走り始めた。
異界から護法神を喚び出す召喚は、呪力の代わりに捧げ物を用いても良い。豊川は呪力の消費を抑えながら、強力な霊狐達を大量に召喚できる術を持っている。
呪力消費を抑えるためには対価が必要で、多用は出来ないが、三尾の良房を呼ぶだけでもA級上位が1人増える。残る999体の霊狐も手練れで、豊川だけで大戦力が揃う。
宇賀が勝てると踏んだ所以の一つだ
『霊狐隊、進路上の煙鬼を掃討しながら、御殿場市の包囲網を形成していきます』
霊狐達の強さは、煙鬼とは比ぶべくもない。
何れも地狐ないし気狐で、生前に数百歳を数え、仙術を学び、戦ったこともある者達だという。
千体の霊狐が使う武器や術は様々だが、何れも各々の武器を手足のように扱い、煙を斬るように進路上の煙鬼を薙ぎ払っていく。
そして進路から外れる煙鬼は、相手にもしない。
「俺も犬神を出したほうが良いか」
車に同乗する小太郎が、序列で後続の隊長を務める一樹に確認した。
先代の花咲を羅刹に殺された協会は、前衛向きではない人員を最後方に配置している。
小太郎と堀河は、親の仇である羅刹が出れば、犬神や赤牛を出して調伏する。
堀河を優先的に向かわせるのは、羅刹を倒す願掛けを成就させて、今後にも期待したいからだ。そのためキヨは、犬神と赤牛を向かわせた、無防備な小太郎と堀河の護衛を担う。
そして一樹が式神で先発と後続を同時にカバーし、蒼依が一樹を護衛して、沙羅が回復する。
後続に期待されている役割は、早期に羅刹を撃破して、魔王の調伏に加勢することだ。
「不意打ち作戦に参加したのは、俺達のほかには、A級、五鬼童、春日だけだ。煙鬼程度は、身に纏う呪力で弾き飛ばせる。呪力の消費はしないでくれ」
作戦には、五鬼童家と春日家も加わっている。
A級下位の五鬼童義輔。
B級上位の春日弥生、五鬼童義友、五鬼童凪紗、春日結月、五鬼童風花。
一族の全滅を避けるために、五鬼童本家と分家、春日家から1人ずつが、作戦を外れている。
だがB級上位5名はA級中位1名に匹敵するので、A級4位の五鬼童も、2人分が作戦に参加しているようなものだ。
五鬼童と春日の加勢も、宇賀が勝てると踏んだ所以の一つである。
そして今回の作戦には、煙鬼程度が障害になるような者は参加していない。
「一番弱いのが俺か」
「小太郎は強いだろう。A級中位の犬神を相手にして、無事で済む奴は居ない。それで羅刹を確実に倒してくれ」
「了解した」
参加者を絞って強行したのは、情報が漏れることを心配したからだ。
人間に知らせると、魔王が潜り込ませた配下や使い魔から、情報が漏れる危険性がある。
上級陰陽師は情報を漏らさないかもしれないが、事務所の事務員はどうだろうか。
宇賀が魔王陣営の幹部であれば、上級陰陽師の事務所の事務員の家族を人質に取って、事務員を脅して情報を流させるくらいは思い付く。
宇賀の「不意打ちは、不意に打つから効果的なのよ」という至極もっともな言い分により、常任理事、五鬼童と春日、晴也と堀河に参加者を絞って、強襲作戦を行ったのだ。
五鬼童と春日は魔王戦に従事してきて、情報が漏れていない。
晴也と堀河も、9月に強行偵察を行って、不意を突いた実績がある。
今回の不意打ちは、それくらい情報の秘匿が徹底されていた。
『東西に分かれて北上した霊狐の一部が、北の小山町で合流。霧が発生している半径5キロメートルの包囲網、完成しました』
半径5キロメートルの範囲内には、標高1212メートルの金時山の西側も含んでおり、平坦ではない包囲になっている。
まるで疲れる素振りも見せず、斜面を駆け抜けた霊狐達は、御殿場市を覆う霧に相対した。
その上空を、羽団扇を持った大天狗達が飛んでいく。
A級の前衛達も、戦力が均等になるように移動した。
北は、飛べて最速の義一郎。
東は、水場があるので宇賀。
西は、広いので足の速い豊川。
南は、魔王と後続の間なので諏訪。
予備兵力として、協会長の向井が自由行動する。
天と地の包囲が完成すると、天空の大天狗達と、千の霊狐が身構えた。
すると空からは羽団扇を起点に、6ヵ所で霊毒が生み出されて降り注ぎ、地上からは千の狐火が生み出されて、蜃が生み出す霧を焼き始めた。
『攻撃開始』
術を放った天狗と霊狐の目的は、霧を発生させている蜃の術との相殺だ。
蜃はA級と目されるが、その力はA級上位の良房だけでも相殺できる。さらに999体の霊狐と、羽団扇を持つ天狗6人が加われば、確実に術は解ける。
もしも霧を維持したければ、使役者である魔王が、呪力を消費しなければならない。
だが総呪力では、今回の作戦に投入された陰陽師側が、上回っている。
このまま魔王が隠れ続け、陰陽師側が霧を消し続ければ、いずれ呪力を失った無力な魔王が現れるだろう。
――もちろん、そんなことは有り得ない。
やがて協会の予想通り、蜃が生み出した霧が晴れて、その中心に巨大な獅子鬼が姿を現した。
そして傍らには、醜悪な黒鬼と、黒鬼に匹敵する大きさの藍色の肌を持った鬼神が控えていた。


























