165話 白黒無常
『戦力に余裕が無いから、工夫して頂戴』
無常鬼の出現を報告した一樹に対して、宇賀は頼もしからざる返答をした。
現在の協会は、魔王対策を行うと同時に、各地のA級妖怪にも対応している。
魔王一体でも、A級全員を振り向けたい。
そのため余裕など、最初から無い。
「山魈が、出ているのでしたか」
『玃猿も、確認したわよ。りんの手は塞がっているし、会長には五鬼童のサポートが必要ね』
山魈と玃猿は、いずれも山の妖怪だ。
山の精ともされる山魈は、槐の邪神を厄介にしたような存在である。
玃猿は無数の眷属を使い、霊狐を投じる豊川のような戦いをする。
前者は、妖狸の血を引いた協会長の向井。後者は、妖狐の豊川が抑えている。そして戦力不足の協会長のところに、大天狗の子孫でもある五鬼童が加勢している。
現人神の諏訪は、肉体に掛かる負担が大きいために、伝家の宝刀だ。
呪力が少ない小太郎は、魔王領の煙鬼を犬神に喰わせて、回復させながら戦っている。
宇賀は、小太郎が魔王領で活動する際の護衛である。そうしなければ、羅刹が飛んできた場合、小太郎が父親の二の舞になる。
「増援は、無しですか?」
『増援には、五鬼童の当主を送るわ。あとは復活できる式神を使って、遠方から安全に戦って頂戴』
「本当に余裕が無いのですね」
『対策は考えるけれど、差し当たって貴方は、無常鬼を追い払っておいて』
宇賀が直接戦闘を避けさせたのは、A級中位2人同士で、戦力が競っているからだろう。
もちろん一樹は、指示されたところで、A級中位の2対2で直接戦うような真似はしない。
安全な場所から式神を投じるのは、最善手だ。
一樹が使える呪力は、閻魔大王の神気がS級下位分と、龍神の龍気がS級下位の半分だ。A級中位が20万とすれば、呪力だけであれば7.5倍の150万を使える。
それを以て牛太郎と信君、水仙と鎌鼬3柱を回復させながら突撃させれば、A級中位の無常鬼1体は抑え込める。
増援の義一郎も、A級中位の面々では最強で、無常鬼1体とは相対できるだろう。
またA級下位分の呪力を持つ沙羅が、薬師如来と虚空蔵菩薩の力を宿した羽団扇を使って、回復もさせられる。
だから一樹は引き受けるつもりだが、これで無常鬼を倒せるかと問われれば、難しいと思わざるを得なかった。
中国で『鬼』とは、死霊のことである。
そして相手が出るのは、霊にとって力が増す夜だ。
A級中位の霊が、有利な時間に本気で逃げに徹した場合、A級下位でしかない一樹の式神では追い切れない。義一郎に単独で追わせるのも危険である。
「痛め付けて追い返す程度になりそうです」
『それで良いわよ。安全に徹して頂戴』
「かしこまりました」
蒼依や八咫烏達に回す呪力が殆ど無くなった一樹は、S級下位分ほど、呪力に余裕がある。
新たな式神を増やそうかと考えて、かつて倒した天津鰐を思い出して頭を振った。どれほど強くても、術者との相性が悪ければ、良い結果にはならない。
であれば八咫烏でも増やして、低コストで大軍団を揃えれば良いのか。
日本中で小鬼を追い回す八咫烏達の群れを想像したところで、一樹は妄想を打ち切った。
◇◇◇◇◇◇
土曜日の夜。
休校日で体調を整えた一樹達と義一郎が合流して、天空の社から作戦が開始された。
「八咫烏が導き手なのは、神話のとおりだね」
翼を広げた義一郎は、使役者の一樹と、八咫烏達を神使にする蒼依を交互に見渡した。
八咫烏には、神武天皇を大和まで導いた神話がある。
当時とは異なる個体で、使わす神も異なるが、八咫烏が目的地まで導くのは神話通りだ。
「ここから都内に、式神を顕現させられるという事で良いね」
「はい。現在の都内は、独占的では無いにしろ、蒼依の神域です。その範囲内で、視界に映れば、気が繋がる私の呪力も送れます」
だから天空の社を拠点として、調伏を行うのだ。
一樹と蒼依が頷き合うと、義一郎は了解した。
「結構。それでは調伏を開始する」
一樹と義一郎が打ち合せを終えると、八咫烏達が天空櫓から飛び立った。
その後を義一郎が追って飛び、回復の沙羅が、少し遅れて追いかける。
蒼依は呪力の中継役で傍に居て、配置は完了だ。
もっと圧倒的に有利な状況で戦いたいという思いを飲み込みつつ、一樹は目蓋を閉じて、意識を集中させた。
蒼依姫命の神域は、蒼依にとっては自身の皮膚のようなものだ。
神域には呪力を感知する受容器があって、受け取った感覚を社に報告する。
天空の社から離れて、信仰が薄くなるほど感覚を掴み難くなるが、大きな不調であれば捉え易い。蒼依の気の流れを阻害しており、違和感があるといった場所が、敵対する妖怪の居場所だ。
『あれだな』
小さな呪力という、無数の砂粒で埋め尽くされた東京の砂漠に、ポツンと底なし沼があった。
黒い沼の中心には、眩い輝きを放つ白いネオンも並立している。
まったく隠す気が無い二つの光に向かって、八咫烏達が飛んでいった。
場所は、東京に隣接する千葉県松戸市の霊園だった。
距離は16キロメートルほどで、蒼依の神域の範囲内だが、都内に比べて及ぼす効果は薄くなる。さらに霊園には無数の墓があって、死神にとっては、ホームで戦うようなものだ。
――嫌な場所で待ち構えているな。
想定できるのは、成仏していない霊を手駒や回復手段に使われることだ。
武器や盾に使われる人魂を薙ぎ払うのは、あまり気分の良いことでは無い。
だからといって攻撃を躊躇うべきではないので、そのまま操られるよりは、成仏させたほうがマシだろうと思うしかないが。
『お前達は、突撃するなよ……牛太郎、信君、水仙、神転、神斬、神治』
八咫烏達を制止した一樹は、義一郎の到着前に、式神を霊園に顕現させた。
すると巨大な牛鬼、戦国時代の侍、絡新婦、鎌鼬が、次々と霊園に姿を現していく。
顕現した式神達は、前方に浮かび上がった白黒の霊に向かい合った。
無常鬼の正装は、二尺ほどの幘巾という頭巾を被り、白や黒の喪服を着て、草履を履き、手には破れた芭蕉扇を持つという。
また肩には、霊を供養する際に焼いて冥府に送る『紙銭』を掛けているという。
現れた白黒無常は、芭蕉扇と紙銭こそ見当たらなかったものの、幘巾や喪服は一致していた。
白爺のほうは、白い顔で舌を伸ばしている。
黒爺のほうは、青黒い顔をしている。
そして両爺は水仙に注目した後、白いほうが破顔し、黒いほうが額に皺を寄せた。
「おやおや、おや。これは、これは、どうしたものでしょう」
「ちっ、確認せねば、分かるまい」
おかしな反応を示した両爺の様子に、一樹は攻撃命令を躊躇った。
その間に義一郎が合流したが、白爺は構わずに問う。
「絡新婦のお嬢さん。祖父か曾祖父辺りに、悪魔が居ませんかな」
「ボクのことかな。祖父が悪魔と聞いているけれど?」
「ほうほうほう。すると母親や姉妹は、青森県の近くに居て、白や黒ではありませんかな」
「母が黒で、伯母が白だけど。つまり黒い死神のほうは、ボクのお爺さんなのかな」
「ほっほっほっ」
白爺が笑い、黒爺が口をへの字に曲げた。
両爺の様子からは、水仙が尋ねたことが事実であると推察できた。
式神達と呪力で繋がる一樹は、得た情報から、魔王陣営の企図に思考を巡らせる。
阿弥陀如来に倒された魔王陣営は、かつてに比べて戦力不足だ。
だから悪魔を増やして、将来的に手駒を回復する目的があったのだとすれば、一樹の理解が及ぶ。蜘蛛で子沢山、子孫を残すことを優先する絡新婦など、絶好の相手だろう。
あるいは人間の戦力を分散させる目的でも、絡新婦が増えれば協会は対応せざるを得ないので、効果はある。
「それでお嬢さん、ご家族は?」
「もう調伏されたよ。ボクは式神としてA級になって、受肉する予定」
「それは上手く行きませんでしたね。さて、どうしましょうかねぇ」
悩む素振りを見せた白爺を、黒爺が切り捨てる。
「どうも、こうも、無い。100年も経てば、一つくらい力が上がって、式神からも外れておろう。その時に来たければ、勝手に来れば良い」
「人間陣営が負けちゃったらね。でも日本全土を支配するのは、無理じゃないかなぁ」
「ほっほっほ。流石は割り切りの良い絡新婦ですね。それでは、そのように」
示し合わせた白黒の霊は、スッと溶けるように、姿を消していく。
「あれ、行っちゃうの?」
自分が聞けば答えが貰えるかもしれないと考えた水仙が、すかさず虚空に向かって尋ねた。
すると案の定、優しいと伝えられる白爺が、黒爺の孫娘に返答した。
『呪力を集めるのが目的でしたからねぇ。戦力を削れるのであれば別ですが、そうではないのなら、ここで削り合っても無駄遣い。それでは、またどこかで……』
そう言い残した白黒無常は、今度こそ闇夜に溶けて、消えていった。


























