162話 未来の後輩
「東京23区が、八咫烏達の縄張りになったことは理解したよ」
長官の表現はさておき、八咫烏達の行動と活動範囲の認識は、概ね共有された。
「東京都で陰陽師の仕事が減ってしまうのは、申し訳ないと思いますが」
「そちらに関しては、魔王の占領地域の封鎖や、護符を作成する仕事が、継続して入ってきます」
東京都の統括である道直は、陰陽師の収入については問題ないと保証した。
占領地域の封鎖は、遠方から式神を放つだけでも、助力が出来る。
煙鬼はF級陰陽師でも倒せるので、割り当てられたエリアで煙鬼を倒す包囲網に参加すれば、相応の収入を得られる。
また世間では、煙鬼を防ぐ護符の需要が高まっている。
護符は、時間経過で、籠めた気が抜けていく。
そのため一定の期間で新しい護符が必要になるが、需要が高まったので、普段から作成している引退者だけでは手が足りていない。
護符の作成と支部への納品依頼は、現役陰陽師にも発生していた。
「確かに本部は、予算と手間を惜しんでいませんね」
このために何十年も貯めてきたのだと言わんばかりの支出で、本部は魔王対策を行っている。
普段よりも大きく稼ぐことは難しいが、仕事に困って食いっぱぐれることもない。
「問題は、手頃な相手が減って、等級や実力を上げることが難しくなる部分でしょうか」
問題点を挙げられた一樹は、同席する茉莉花に視線を向けた。
九条茉莉花は、今年の国家試験で4位だった。
4位や5位であれば、呪力や技術的に、C級の力は有ると見なされる。
C級への昇格は、D級上位の妖怪を単独撃破した実績と、支部や上級陰陽師の推薦があれば良い。父親が統括であれば、昇格できそうな妖怪を回してもらい、それを倒して推薦を受けて昇格だ。
だが幼少期から修行を積んできて、修行で上げられる分は、充分に上がっている。
もはや現場に出なければ、実力は上がらない。
過去の五鬼童家であれば、国家試験の合格後に現場に出て、20歳までにB級へ上がっていた。
九条本家の後継者レベルあれば、五鬼童の分家と比べて能力的に大きくは劣らないはずなので、同じことをすれば良い。
両家に違いがあるとすれば、A級陰陽師を抱える五鬼童家が全国規模の霊障を引き受けられて、東京の統括である九条家が東京都を中心とした霊障を担う点だ。
今回の場合、東京に発生するC級妖怪が、軒並み八咫烏達に潰されてしまっている。
東京の空模様は、『晴れ、時々、投げ落とされる妖怪』である。
「周囲の県で上げるのも、縄張り的に難しそうですね」
「家や娘の将来に鑑みても、隣県の統括に借りを作るのは、避けたいところです」
統括の道直は、口では困っていると訴えつつも、態度ではまったく困っていなさそうだった。
何かしらアテがあり、そのために余裕を保っていそうな雰囲気を一樹は察した。
一樹が予想したのは、この状況を作り出した一樹や、承認した常任理事の1人である小太郎らが住む花咲市に進学して、他家には借りを作らずに、茉莉花をB級に上げる方法だった。
花咲高校の陰陽同好会には、A級陰陽師が居て、同じC級で2位の香苗と3位の柚葉が、指導を受けている。
何をしているのか見れば参考になるし、同好会の後輩であれば教えて貰える。
祖父や父にしてみれば、これほど進学させたい学校は、ほかに無い。
「今年、陰陽師の国家試験を受けた茉莉花さんは、中学三年生ですか」
「そうですわ。受験先の候補には、花咲高校も含めておりますの」
「……そうでしょうね。まあ、分かります」
東京23区の妖怪を殲滅しておいて、来るなとも言えない。
悟りを開いたように泰然自若としながら、一樹は事態を受け入れた。
「花咲高校の学校説明会は、今年は大盛況で、ネットに動画を載せたと聞いています。受験倍率は、高いかもしれません」
「ええ、存じておりますわ」
増えた受験生のうち、茉莉花のような理由は少数派だ。
予想される受験者の多くは、今年の陰陽師国家試験で一次試験を通り、二次試験で落ちた者達だ。7000人以上は居て、その中では中学三年生が最も多い。
偏差値不足、遠方の場合に1人暮らしする諸問題、協会から斡旋された師匠を変更する問題など、受験自体を断念する理由もある。
だが巷では、陰陽同好会を目当てに、受験生が2000人は増えると噂されている。
なにしろ一樹は、呪力がE級だった素人の香苗を、4ヵ月で国家試験の2位にした。
また一樹の父である和則も、息子をA級に育てた。呪力が高くても、技術が伴わなければA級に成れないので、世間からは優れた指導者だと評価されている。
同好会は、協会が斡旋した師匠よりもハイレベルだと、素人目にも思われている。
――入会するだけでも、アドバンテージがあるからな。
陰陽師に成る場合、一樹達の一学年後輩として知己を得ることは、強みになる。
学生時代に得た連絡先を使って、「先輩、実は困っていまして」と相談すれば、何らかの助けを借りられるかもしれない。
その先輩が、賀茂家、花咲家、五鬼童家などだ。
ほかにも香苗とA級3位の豊川との繋がりが、知られている。
国家試験の一次に通り、将来は陰陽師になろうと思った中学生の場合、花咲高校は進学先の選択肢に入るだろう。
――沢山来たら、どうしよう。
花咲高校の1学年は、300人だ。
A級の花咲家を脅してコネで入学できる者は居ないだろうが、普通に受験して上から300人以内に入れば、それはもう合格にするしかない。
一学年300人のうち半分ほどが、同好会に入会希望を出す可能性を想像した一樹は、茫然自失とした。
「茉莉花が花咲高校に合格したら、同好会への入会はよろしく頼むよ」
「……分かりました」
茉莉花ほど陰陽師として有望な人間は、流石に断れない。
そのように考えた一樹は、長官からの念押しに対して、機械的に応じた。
一樹の同意を確認した長官は、気を緩めてコーヒーカップに口を付け、場の空気を弛緩させた。
それに合せて一樹も、コーヒーを啜る。それは上等なホテルで出されるような高級なコーヒーで、砂糖とミルクを入れなくても、旨みが感じられた。
一樹がカップを降ろしたところで、長官が口を開く。
「茉莉花の考えとは無関係の話だが、九条家当主の私個人としては、賀茂家との縁を結びたいと考えていてね」
たまに聞く話だろうかと身構えた一樹に対して、長官は即座に否定する。
「当代で出遅れたのは知っている。君の子供や、孫の世代の話だよ」
「それは、どういうことでしょうか」
「五鬼童の修験道、協会長の一子相伝であろう何らかの血筋、花咲の犬神などは、引き継げまい。だが君の場合は、先祖返りとされていて、呪力が莫大だ。子供の呪力は、親の影響を受ける」
一樹の呪力は、A級だと知られている。
A級中位とされる幽霊巡視船を使役しており、蜃や魔王への砲撃を行って、力を示した。
「両親の呪力を足して2で割る話ではなく、掛け合わせ次第だが、君であれば子供もA級だろう。我が家は、数百年単位で物事を見る。君の子供や孫の世代でも、両家で縁を結べればと思っている」
「なるほど」
「陰陽大家同士では、よくある話だがね。九条家は、賀茂家と縁を結びたいと考えている。我が家は君自身が言ったとおり、陰陽大家でも上位の家柄だ。一考しておいてくれたまえ」
「本人が望めば、良いのではありませんか」
自分のことではないのならば、自分が可能性を狭める理由もない。
そのように一樹は判断して、玉虫色の回答を返した。
「今のところ、否定されないだけでも充分だよ。君が妖狐を好むのであれば、我が家にも可能性が乏しいわけではないからね」
「……はぁ?」
長官が宣った言葉を理解しかねた一樹は、戸惑って聞き返した。
鳩が豆鉄砲を食ったような表情を浮かべる一樹の様子を見て、長官は孫娘に目配せした。
すると長官に促された茉莉花が、根拠を説明した。
「愛人に関するアンケート、取っておられましたわよね」
「茉莉花は、祈理陰陽師のファンでね。4位になったときは悔しがっていたが、エキシビションマッチを見て、納得していたよ」
「わたくしが戦っても勝てませんわ。ですから順位には、納得しましたの。お姉様の歌唱奉納や、歌動画も見ていますわ。だからA級の殿方がお相手でしたら、納得だったのですけれど」
そこまで言い募った茉莉花は、一樹が否定的な表情を浮かべていることに戸惑い、沈黙して一樹の説明を求めた。
香苗が行ったアンケートとは、「子供が上級陰陽師になりそうな人が、愛人を持つことについて、『清き一票』をお願いします」と意見を求めたことだろうと、一樹は思い至った。
投票先は2種類で、「愛人は持つべきではない」と、「愛人を持っても良い」だった。
投票開始から24時間後、1対99くらいの差が出て、決着している。
なお一樹は、投票には参加していないにもかかわらず、なぜか冷たい目を向けられた。
「確かに香苗はアンケートを取ったが、あれは式神とのジェネレーションギャップについて、外部に見解を求めたものだ。俺とは関係ない」
「まあっ、そうでしたのね!」
歓喜した茉莉花は、嬉しそうに語る。
「わたくしはもちろん、持つべきではないに、投票しましたわ。だってお姉様が悲しむなんて、いけないことでしょう」
「孫娘は、祈理陰陽師の信者でね。我が家の見解というわけではないよ」
話を聞いていた長官が、すかさず補足した。
子供の呪力を高く保つために、複数の女性と子を為すことは、現代でも行われている。
一樹が知る限りでは、秋田県の陰陽大家で一時的に当主を務めていた春日結月は、肯定派だった。借りを返すための提案として一樹に持ち掛けて、沙羅に却下されている。
その一方で、沙羅自身が刑法に定められておらず、社会的にも支持されると訴えている。要するに、自家や自分に都合が良ければ利用する方便だ。
九条家としては、選択肢を狭めたくないのだろう。
一樹は九条家の方針を理解したが、祖父の補足を聞いた茉莉花は、祖父の意見を否定する。
「わたくしは反対ですわよ」
まったく言う事を聞かなそうな茉莉花の様子に、一樹は「大変ですね」と視線で訴えかけた。
すると長官と統括は、無言のまま、揃って頷き返した。


























