147話 デモンストレーション
神奈川県を東西に分けるように流れる相模川。
その東側から無数のドローンが飛び立ち、西側へと撮影機器を送り込んでいく。
ドローンを送り出しているのは、新聞社、放送局、通信社などの報道機関だ。多数のドローンが飛び交う様子は、相模湾の漁港に停泊する幽霊巡視船の甲板からも見えた。
「賀茂の時よりも、大げさじゃないか」
不満を漏らしたのは、式神を撮影される側の小太郎だった。
不満を耳にした一樹としても、やりすぎの感が否めない。
従来、A級陰陽師の順位付けは、限定的な公開だった。
一樹が順位付けを受けた時は、幽霊巡視船で村上海賊を吹き飛ばす動画を公開しただけだ。それでも世間は、一樹の昇格を充分に納得している。
「確かに、多すぎるな」
犬神を継承した小太郎は、A級陰陽師として順位付けを受ける。
陰陽師には『最も優れた陰陽師が指揮する』や、『自分より上の陰陽師には従え』の不文律があるため、順位付けは重要だ。
総理の臨時代理の順位を発表したり、自衛隊が部隊の指揮権の行使順位を定めたりするようなものだろうか。
小太郎がA級7位と決まれば、それに見合う対妖怪での優先順位が確立される。
そんな順位付けを行うデモンストレーションが、今回の作戦だ。
作戦範囲は、大雑把には神奈川県西部となる。
具体的には相模原市、愛川町、清川村、厚木市、伊勢原市、秦野市、平塚市、大磯町、中井町、二宮町、小田原市で、3ヵ月前までは120万人が暮らしていた地域である。
今は魔王の支配地域となっており、その地域を対象とした作戦に対して、政府と国民の多数が、固唾を呑んで見守っていた。
「一体どれだけ、見ているんだ」
小太郎が言いたかったのは、「これだけ見せる必要があるのか」であろう。
だが一樹は、自明の理の回答は避けた。
「少なくとも自衛隊は、物凄く見ているだろうな」
相模湾には、自衛隊や海上保安庁の艦船が多数展開している。
自衛隊は、「魔王の出現時には支援砲撃する」と提案もしたが、それは宇賀が断った。
陰陽師が政府の指揮下に入れば、小太郎の父が殉職した時の二の舞になりかねない。
それに陰陽師の力を最大限に活かせるのは、ほかならぬ陰陽師だ。
花咲を後方に配置して、犬神を展開したとする。
その場合、『術者の呪力と制御の兼ね合いから、どの程度の後方に配置するのが効率的なのか』、あるいは『配置を変える場合、どのような状況が望ましいのか』などは、陰陽師にしか分からない。
知らない人間に、あれこれ指示されても、調伏は非効率になる。かといって陰陽師側は、自衛隊の指揮権が欲しいわけでもない。
結論として、「ほっておいてくれ」である。
「A級陰陽師の力を示すのは、国民を納得させるためのデモンストレーションだ」
「どういうことだ」
「B級妖怪の調伏は、基準が10億円。それに見合う力を示すことで、依頼人を納得させる。だから今回のことは、仕事のプロモーションビデオを公開するようなものだ」
なお公開されたプロモーションビデオは転載されて、ネット上で延々と広報活動を続けてくれる。
「それは、理解できないわけではないが」
一樹の説明に対して、小太郎は不満げに眉を顰めた。
陰陽師の国家試験が公開されているのも、同じ理屈に基づく。
霊符作成試験から対戦試合までを見せて、対妖怪で攻防を行えると示すのだ。
D級妖怪の強さは、イリエワニと比較されることがある。
イリエワニに匹敵する強さを持った受験生同士の戦いを見せて、陰陽師の力を信頼させ、依頼料を納得させる。
D級陰陽師が倒すE級妖怪は、依頼料の基準が200万円。
それはイリエワニを雇って、怨霊化したヒグマを倒させるようなものだ。対処しないと命の危険がある依頼人は、納得して依頼料を払うだろう。
その果てが、A級陰陽師の順位付けとなる。
A級が10億円に見合う力を示すことで、B級以下の陰陽師への依頼料にも納得される次第だ。もっとも、公開に懸念が無いわけではない。
「賀茂が戦ってきた上級の妖怪には、人間並みの知恵を持つ奴もいたんじゃないか。手の内を見せると、対妖怪で不利益に繋がるだろう」
小太郎の懸念には、一樹も同感だった。
一樹が村上海賊を吹き飛ばした動画を公開しても、陸における一樹の強さは、分からない。
だが、すべての式神を公開して、事前に対策を練られると、危ないかもしれない。
「小太郎が言うとおり、手の内は、あまり明かさないほうが良い」
「そうだろう。初見であれば対応できない」
「だけど花咲の犬神は、有名だから皆が知っている。それに知ったところで、対応は難しい」
花咲の場合は、手の内を明かしても対策が困難な一族だ。
まずは戦闘力の高い犬神が、どれだけ倒しても襲い掛かってくる。
対応するには使役者を倒さなければならないが、倒したところで花咲の血縁者に犬神が憑くので、血縁者を根絶やしにしない限り終わりは無い。
選定の儀を行った二尾の春によれば、花咲家は鎌倉時代の末には存在した。
その血縁者であれば、現代では膨大な数に上る。
なにしろ花咲家は栄えており、枝分かれした歴代の子孫達もそれなりの財産を持っていたはずで、生活に困らなかった子孫達は他所でも増えていったはずだ。
犬神が、花咲の継承候補者の範囲を広げれば、花咲を根絶やしになど出来ない。
そして花咲の一族を狙えば、犬神から執拗に報復される。
一体誰が、花咲の犬神と争いたいだろうか。知れば知るほどに、花咲には手を出さないほうが良いと分かる。
それでも使役者を倒せば、一時的には撤退に追い込める。
そのような選択をするのは、陰陽師達と戦争をする魔王陣営くらいだろうが。
「前回の失敗があるから、小太郎の配置は最後方のはずだ」
呪力がD級の小太郎は、A級の羅刹が相手でも一撃で死ぬ。
いくら犬神が復帰できても、頻繁に当主を代えていては、花咲家が権勢を保てない。
小太郎は高校1年生だが、前当主の子供という事もあって、比較的スムーズに継承できたほうだ。これがさらに交代となると、目も当てられないことになる。
A級陰陽師の中でも小太郎は、最後方になると予想できた。
「ここからでも、小太郎は神奈川県の全域に、犬神を送れるんだろう」
「ああ。相模原市の西までは、怪しいけどな」
一樹達が陣取る巡視船は、相模川が相模湾に合流する地点にある漁港に停泊している。そして相模原市は、神奈川県の最北にある。
神奈川県の南端に居る術者が、北端に式神を送り込むわけだ。
「式神を送り込める範囲は、荒ラ獅子魔王も小太郎と同程度だろうな」
荒ラ獅子魔王が使役する煙鬼は、小太郎と同程度にまで煙鬼を送り込める。
御殿場市を中心に、東が相模川以西、西が富士川以東、南が伊豆市以北、北が山梨県全域以南。
山梨県は広いが、北側は妖怪の領域が多くて確認出来ず、陰陽師協会が放棄しているだけだ。正確に調べれば、東西や南と同程度の距離に収まると考えられる。
「荒ラ獅子魔王が犬神を使役していたら、制御できる範囲も俺の2倍になったはずだ」
一樹が「使役範囲が荒ラ獅子魔王に並ぶ」と褒めたところ、小太郎は冷静に指摘した。
「それは想像したくないな。花咲ほどに強い犬神は存在しないと言いたいが、中国から来た荒ラ獅子魔王は、中国系の妖怪を従えている。中国だったら、強い犬神も居そうだ」
中国で強い犬といえば、一樹には哮天犬などが思い浮かぶ。
哮天犬は、玉皇上帝(中国道教の最高神)の妹の子である二郎真君が飼っている犬だ。
西遊記では、二郎真君が孫悟空と互角に打ち合い、太上老君が投げた金剛琢で倒れた孫悟空に哮天犬が噛み付いて制圧し、孫悟空を捕らえた。
天界に連行された孫悟空は、釈迦如来によって五行山に封印され、観音菩薩に導かれた三蔵法師に解放される。
そこから天竺に向かう三蔵法師と、孫悟空との旅が始まるのだ。
孫悟空を制圧した哮天犬は、花咲の犬神どころではない力を持つと考えられる。
そのような犬神を使役していれば、大変なことになっていた。
「それじゃあ、花咲の犬神のデモンストレーションを始めてくれ」
「仕方がない」
小太郎が僅かに呪力を籠めると、小太郎の傍に犬神が現れた。
現れた犬神は、小太郎を見上げながら尻尾を振る。
すると小太郎は腰を落として、左手で犬神の首を撫でた。そして右手で相模川の西側を指差すと、繋がる気で煙鬼のイメージを伝える。
「なるべく沢山、狩って来てくれ」
「バウッ!」
ハッハッと荒い息を吐いていた犬神は、指示に威勢良く応えると、瞬く間に駆け出していった。


























