146話 蒼依姫命
日本には、数多の霊場が存在する。
それらは土地が誕生した時点から、霊場だったわけではない。
何らかの理由によって土地が霊場と化すこともあれば、逆に霊場ではなくなることもある。
霊場と化す原因は、神仏の伝承、霊的建造物、風水など様々にある。
逆に霊場ではなくなる理由は、伝承に新たな話が加わったであるとか、霊的建造物の解体や移設、地脈の変化、神授の霊物が失われたなどだ。
そして先頃、花咲市に新たな霊場が誕生した。
『市町村合併で、元の名前すら消えた、田舎の山々』
そこには古くから、山姥の一族が住んでいた。
山々を所有しているのは山姥で、人に化けて村々と交流し、見繕った人を喰って暮らしてきた。その土地と山姥には、「1日1000人殺す」と唱えたイザナミの呪いが籠められていた。
そして山姥の末裔である蒼依は、イザナミが成し得なかった神話の成就により、一部だがイザナミを上回って、呪いと従属から脱却した。
蒼依は、イザナミから独立した女神という神格を得たのだ。
それによって呪いの山は、女神・相川蒼依の山に変わった。
名もなき山が、霊場になった由縁である。
そんな女神が住まう神殿……相川家に、今日は2人の来客があった。
A級の1位の諏訪と、A級の順位付けを行う御方である。
「本日はお越し頂き、恐縮の至りです」
出迎えた一樹のお辞儀に合わせて、横に並んだ蒼依も頭を下げた。
陰陽師協会に対しては、蒼依の昇神を申告している。
そのため神と申告した蒼依が人に頭を下げるのであれば、問題かも知れない。だが両者は先達の神であるために、成り立ての蒼依が頭を下げても、大丈夫だと思われた。
人から神として祀られた存在は、過去にも居る。
豊臣秀吉は、豊国大明神として、豊国神社に祀られた。
徳川家康は、東照大権現として、日光東照宮に祀られた。
どちらも生前に大した呪力は無かったはずだが、天下人になれば、死後に神を名乗れる。
ほかには平将門、安倍晴明、楠木正成、西郷隆盛なども神として祀られた。
前の二人は、現人神である天皇の子孫であったり、半妖で歴代最高峰の陰陽師だったりしたが、後ろの二人は只人だ。そして天下人でもない。
あるいは、静岡県の堀河陰陽師が願掛けした赤牛も、神として祀られている。
八百万の神がいる日本では、何でも神として祀る。
であれば日本神話のイザナミから独立した蒼依は、由緒正しき神に数えられるほうかもしれない。
「クワッ」
「なぁーん」
八咫烏の朱雀と猫太郎が鳴いて、御方を微笑ませた。
「あらあら、もう神使も居るのね。視たところ、神域から力も得ているわ」
一樹が尋ねて良いものかと視線で問うと、御方は平然と答えた。
「式神の使役には、呪力を消費するでしょう。でも神域から力を得ている神使は、神の力を消費させないわよ」
「蒼依の式神は猫又だけで、八咫烏は私が使役しておりますが?」
「気を繋げて育てたからでしょう。あなたの式神であると同時に、神使にも成っているわ」
御方の指摘に、一樹は二の句が継げなかった。
――確かに、こいつ等は、蒼依の言う事も聞くが。
八咫烏達にとって、育ての父親が一樹であるならば、母親は蒼依だ。
神気を送って育てたのは一樹だが、一樹の式神でもある蒼依は同じ神気を共有しており、一樹を介して繋がっていた。
育てる際に蒼依からも気を送られて、蒼依の気に馴染んだのか。
蒼依の気でも動けるのならば、八咫烏達に送る気の負担も蒼依が担えるのか。
蒼依が翡翠製の勾玉で気の負担を補えば、さらに八咫烏達は動けるのではないか。
そのような思考に囚われた一樹の代わりに蒼依が進み出て、御方と諏訪を自宅の応接間に招き入れた。
◇◇◇◇◇◇
「イザナミから独立した女神で、間違いないわ」
相川家の応接間に招かれてお茶を出された御方は、一口付けた後、蒼依の正体を確定させた。
それに対して同行してきた諏訪が、視線と声で御方に質す。
「私には分かりませんが、判別が付きますか」
「流石に分かるわ。イザナミは、母方の曾祖母にあたるのだから」
御方の言葉に、ほとんど傍観者となっていた一樹が、固唾を飲んだ。
御方が神であることは認識していたが、系譜を知ったのは初めてだった。
もっとも、国生み・神生みと呼ばれるイザナミから誕生した神は多い。その曾孫ともなれば、それこそ沢山居るので、特定は困難だ。
正体に想像を巡らせる一樹など意に介さず、御方は蒼依に告げた。
「高照光姫。一応、大神の一柱よ」
「あ、はい。相川蒼依と申します。昇神したようです」
「うふふふっ」
御方……高照光姫の名乗りを受けた蒼依が、人間同士のように、普通の自己紹介を返した。
対する高照光姫は、さもおかしそうに笑った。
はたして正体を知った一樹は、内心の動揺を抑えながら、神話に詳しくない蒼依に補足した。
「……高照光姫大神命は、神格の高い神であらせられる」
普通の高校生は、日本神話に登場する神々を諳んじることなどできない。
賀茂家である一樹は詳しいほうだが、それでも知らない神は数多居る。
例えば高皇産霊尊は、一五〇〇柱もの神を生んだと告げている。高皇産霊尊自身でもなければ、把握しようがない。
だが高照光姫は、とても有名であるために、流石に一樹は知っていた。
「話をするためには、前提となる知識が必要だろう。賀茂陰陽師、神格について説明を」
「はい、畏まりました」
諏訪に指示された一樹は、蒼依に向かって、神格の説明を始めた。
「日本神話には、天上の『高天原』、地上の『葦原中国』、死後の世界『黄泉国』がある」
高天原(天上)の神々は、天津神と呼ばれる。
葦原中国(地上)の神々は、国津神と呼ばれる。
黄泉国(死者の世界)は、黄泉津大神となったイザナミが支配する。
「最初に事が起こったのは、高天原だ」
世界の始まりである天地開闢の際。
高天原に『造化三神』と呼ばれる、天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神の三柱が現れた。
天之御中主神は、最高神だ。
高御産巣日神が天を創造、神産巣日神が地を創造した。
その後に、宇摩志阿斯訶備比古遅神、天之常立神が現れた。
「最初に現れた五柱は、天津神の中でも別格の『別天津神』と呼ばれる。その後、『神世七代』と呼ばれる十二柱七代の神が現れた。十二柱には、イザナギとイザナミも居る」
神世七代の最後に現れるのが、イザナギとイザナミである。
イザナギとイザナミは国生み・神生みとして、日本と様々な神々を誕生させた。
天津国の主神である天照大神も、イザナギの娘だ。また日本書紀では、イザナミは母とされる。
「別天津神は別格なのに、どうして天照大神が天津国の主神なのですか」
至極当然な蒼依の質問に、一樹は高照光姫のほうを気にしながら答えた。
「上の神々は、身を隠したそうだ。ほかの世界でも創りに行ったのか、最初に仕事をしたから隠居したのか。だから実務は、天照大神がやっている」
「うっふふふふっ」
一樹の説明を聞いた高照光姫は、さもおかしそうに笑った。
「面白いことを言うのね」
「恐れ入ります」
「造化三神も、神世七代も、役割を果たしたの。人と違って、世界や自然と一体化するのだから、在り方が違うの。だから神世七代以上と、天照大神以下とは、別格になるの」
一樹自身が教わった形となったが、イザナギやイザナミまでの神世七代と、その子供である天照大神との区切りは、蒼依にも伝わった。
神世七代までは格上で、天照大神は、人が理解し得る範疇での最高神になる。
天照大神には、天岩戸に隠れたところ、騙されて引っ張り出されるなど、情けない部分もある。真の最高神は、天地開闢の際、最初に現れた天之御中主神だ。
「次は葦原中国の国造りだけど、これは造化の三神である神産巣日神が、大国主神に行わせた」
神産巣日神は、大国主神と自身の子供・少名毘古那が協力して国造りを行うようにと告げた。
それらが終わって暫く後、天照大神が建御雷神らを派遣して、大国主神に国を譲るよう告げる。
大国主神は、子供の意見を聞くようにと伝えた。
そして事代主神が応じ、建御名方神が反対して、建御雷神と建御名方神との戦いの末に国譲りが行われた。
「高照光姫大神命は、先代旧事本紀によれば、国津神の主神である大国主神の娘神にあたる」
大国主神の子は、百八十一柱である。
宗像三女神の一柱である田心姫神を妻として、一男一女を生まれた。
男子の阿遅鉏高日子根神は、倭国葛木郡の高鴨社に坐す。
女子の下光比売命は、倭国葛木郡の雲櫛社に坐す。
次に宗像三女神の一柱である高津姫神を妻として、一男一女を生まれた。
男子の都味歯八重事代主神は、倭国高市郡の高市社に坐す。
女子の高照光姫大神命は、倭国葛木郡の御歳神社に坐す。
宗像三女神は、天照大神と、天照大神の弟であるスサノオとの誓約から生まれている。
そのため宗像三女神は、生み出した父がスサノオ、生み出した母が天照大神、祖父母がイザナギ・イザナミとなる。
そんな異母兄弟姉妹の中でも、高照光姫は大神だと明記される。兄で主神とされる事代主神と共に、高い神格に列せられている。
また事代主神の娘である媛蹈鞴五十鈴媛は、初代天皇である神武天皇の妻なので、高照光姫は神武天皇の叔母でもある。
高照光姫にとって、初代天皇は姪っ子の旦那。以降の天皇家は、姪っ子の子孫だ。
天皇家が現人神であろうとも、高照光姫を奉ずる陰陽師協会は、阿る必要が無いわけである。
「高照光姫大神命が座すと記された葛木御歳神社は、奈良県御所市ですが、陰陽師協会が奈良県御所市に本拠地を定めたのも、それが理由でしょうか」
「如何にも」
一樹に問われた諏訪は、言葉短く肯定した。
諏訪に宿る御魂の建御名方神は、高照光姫の弟にあたる。
だが建御名方神の母は、沼河比売という水神の末だ。
姉である高照光姫と、弟である建御名方神とでは、姉のほうが神格は高い。序列で考えるならば、姉神の都合が優先される。
「高照光姫大神命は、大神であらせられる。大神と付くのは、造化三神の一柱である高御産巣日神の高木大神。天照大神。その弟であるスサノオの熊野大神など、一握りだ」
大神の神格は、造化三神と神世七代を除き、その世界で主神に次いで高い。
姿勢を正す一樹に合わせて、蒼依も居住まいを正した。
「本題だけれど、蒼依姫命の神格と神域、確かに確認したわ」
高照光姫が視線を向けると、陰陽頭の諏訪が頷き、了解の意を返した。
そんな両者の承認によって、蒼依は人間社会での立場を確立させた。


























