13話 霊符呪術 実技試験
「50トン、23秒です」
若手側の実技試験官は、計測結果を述べたきり押し黙った。
僅かな時間、会場で声を発する者は無く、広い空間が静まり返った。
「あと2枚、残っていますよ」
沈黙に耐えかねたのか、あるいは興味が湧いたのか、一樹に対応する2人の実技試験官とは別の試験官が声を掛けた。
すると、一樹の実技試験を担当する若手試験官が気を取り直して、次の守護護符を手に取った。
「次の守護護符を確認する。残りの護符も50トンで良いのか?」
実技試験には、6枚作成したうちの3枚が使われる。
これは1枚だけ偏って強い符を作成して、それが選ばれる事を運に任せるような事をされないためだ。
3枚を試せば、残る3枚が全て手抜きであったとしても、少なくとも3時間で3枚は作れると分かる。
下級陰陽師の合否であれば、それだけで充分だ。
「50トンで問題ありません」
一樹が頷くと、試験官は2枚目の式神符と鰹節をセットして、最初から50トンで圧力を掛け始めた。
実況掲示板には、なぜ1トンや3トンを飛ばすのかという意見も書き込まれていく。
だが単位のトンを、キログラムに直して考えるようにと諭されていた。
50キログラムの物体を23秒持てる人間に、1キログラムの物体を10秒持てるのかを試す意味はあるだろうか。
もちろん手抜きの守護護符を混ぜているのなら、話は異なる。だが2枚目の式神符は、1枚目よりも強いと一樹は自負していた。
2枚目の守護護符は、一樹が玄武をイメージして作っている。
五神の1柱として知られる玄武は、亀の体に蛇が巻き付いた姿だ。
(玄武の強固さは、亀だから硬いのとは、本質が全く異なる)
中国の創世神話に出てくる人類を創造した女神の女媧は、人の頭に蛇の身体という蛇身人首である。
女媧と、兄または夫とされる伏羲は、南陽漢代画像磚において、蛇の尾が玄武と絡み合って書かれている。蛇の身体であるため、立つために大亀の足を用いていた。
かつて往古の時、天を支える四極(4本の大黒柱)が欠け、九州(中国の全国土)が裂けて、世界が業火と洪水に襲われた。猛獣と鷲鳥が人を啄み、末期的な状況へと至った。
女媧は、陰陽五行の『白、黒、赤、黄、青』である『五色の石』を練って天を補修し、大亀の足を断って4柱に代えて、天を支えた。業火の元凶である黒龍を殺し、芦灰を運んで洪水を止め、世界を救った。
すなわち玄武の足とは、天を支える4柱だ。
それを分かった上で、玄武を明確にイメージした一樹は、神力を守護護符に注ぎ込んでいる。
「計測を開始する」
50トンのプレス機が、畏れ多くも玄武の背中に圧力を掛けてきた。
『その背には、世界すらも乗る』
一樹は内心で、あえて断言した。
玄武を記して神気を籠めた守護護符は、その神気を玄武の由来や力に変換して放つ。世界を支える玄武が、たかだかアフリカ象17頭程度の圧力に押し潰されるはずも無い。
一樹と試験官達、そしてライブ映像を映している人々が見守る中、プレス機に押された鰹節は、微動だにせず姿形を保ち続けた。
「……10秒……20秒」
1分が経過して、鰹節を介して玄武に圧力を掛け続けたプレス機は、ついには押し負けたように歪みが生じてしまった。
「2枚目の試験を終了する。50トン、1分以上だ」
立ち会っていた実技試験官によって、機械の方が測定限界を超えたと判断された。
そして鰹節の姿は保たれたまま、2枚目の試験は終了となった。
「そんな、馬鹿な」
「50トンで小揺るぎもしないなんて、絶対に有り得ない」
「一体どうなっている。歴代最高だぞ」
周囲を取り囲んだ100名の試験官達は、各々が守護護符の異常性を理解して、驚愕に打ち震えた。
制作時間10分で、このレベルの強大な守護護符を作れるのであれば、1万枚の作成を依頼して全ての陰陽師に持たせれば、殉職者が激減するだろう。
勿論、圧倒的に格上の妖怪が相手では、1分耐えるだけでは死んでしまう。
だがB級以下同士で、互角程度までの相手であれば、おそらく確実に勝てるようになる。
顧客を取り合うライバル同士でもあり、符を渡せば術式や気の籠め方を隅々まで調べられるため、売ってくれと言われて売れるはずも無い。
それでも欲しいと思った試験官達は、大多数に及んだ。そう思わなかった試験官達は、試験結果に半信半疑だった者達だけだ。
「機械の方が壊れていたのかも知れない。機械自体を変えて、3枚目を測定すべきだ」
ついには周囲の試験官達から、物言いが入った。
一樹を担当する年輩の実技試験官は、物言いを行った別の試験官に厳しい表情を向けた後、一樹に質した。
「実技試験官の役務にて問う。1枚目と2枚目では、なぜ差が出たのか」
問われた一樹は、「一枚目の朱雀が、小鬼で遊ぶ事に気を取られたからです」とは、答えなかった。説明が長くてややこしくなるし、一樹の評価を上げる事にも繋がらない。
一瞬迷った一樹は、しれっと相手が誤解する言葉を吐いた。
「符に刻む呪を変えました。録画のカメラでも確認出来ると思います」
それが23秒で1枚目が破れた原因では無いが、差が出たのは事実である。もっとも一樹は、相手を意図的に錯誤に陥らせているが。
「なぜ作る内容を変えたのか」
「様々な効果の符を作れる方が、汎用性が高いと思いました。詳細につきましては、一子相伝です」
一子相伝とは、自分の子供の1人だけに全ての奥義を伝えることだ。
各陰陽師には家の秘術があり、それを他家が詳らかにしろとは言えないので、追求できないだろうと一樹は考えた。
なお一樹の父親が教えたのは一般的な知識であって、一子相伝でも何でも無い。一子相伝を始めるのは、一樹の代からという事になる。
もしも追求があれば、そう言い張れば、とりあえず嘘では無い。
「よろしい。機械を変えて、3枚目の符を試す」
年配の試験官が指示すると、若手試験官が残った1枚の護符と鰹節を手にして、一樹を促しながら隣の機械へと移動した。
周囲の試験官達もゾロゾロと移動を開始して、隣にあったプレス機をぐるりと囲んでいく。
「それでは3枚目の試験を行う。50トンで良いのだな?」
「はい、大丈夫です」
若手試験官は生唾を呑み込むと、プレス機を操作して鰹節への圧力を掛け始めた。
閻魔大王をイメージして作った一樹は、符にエールを送る。
(よし、お前は適当に潰れろ)
極めて私的な感情から、一樹は3枚目の守護護符にぞんざいな扱いをした。
1枚目と同程度ほど保ってから潰れてくれれば、一樹としては充分だった。
玄武の符が守護に効果的であったならば、「亀の玄武は、守りの効果が高いのでしょう」などと、一般に分かり易く説明すれば済む。
そして閻魔大王を書いた護符の効果が薄ければ、「まあ、大した神では無いのでしょう」などと言って終わりだ。
一樹が冷然と、そして周囲が戦々恐々と見守る中、プレス機が3本目の鰹節に触れた。
刹那、守護護符から煉獄の炎が膨れ上がり、5メートルほどの塊となって一瞬で燃え上がった。
「うわああああああぁっ!?」
円となって取り囲んだ周囲の試験官達が、一斉に後退って離れた。
そして守護護符から顕現した神気は、全長5メートルほどの閻魔大王の姿を模して、鰹節に圧力を掛けるプレス機に歩み寄った。
一樹や試験官が声を掛ける間もなく、閻魔大王を模した神気がプレス機のパンチ部分と土台を両手で掴んで、引き離すように上下へと力を込める。
すると「ズガン」と、重くて鈍い音が会場に響き渡った。何かが噛み合わなくなった軽い音が続き、プレス機が空回りを始める。
次いで閻魔大王を模した神気は、プレス機に乗せられた鰹節を優しく摘まんだ。鰹節を大切そうに取り出すと、守護護符の元へと運び、静かに添えるように置く。
そして閻魔大王を模した神気は、鰹節を乗せた若手の実技試験官を向いて険しい表情で一睨みし、右脚を振り上げて、勢い良く振り下ろした。
「ぐうっ」
発せられた神気に気圧されて、若手試験官と、その背後に居た10名前後の試験官が仰け反った。
放たれた気は消えずに、100名の試験官達の間を吹き抜けて、広い会場を走り抜けていく。
恐ろしい形相で試験官を睨め付けた神気は、次いで一樹に向き直った。
「守護護符よ。汝は、護るべき対象を護り切った。疾く失せよ」
すかさず一樹が命ずると、神気は頷いて、瞬く間に霧散して消え失せた。
批評していた試験官達は、誰もが言葉を失って、沈黙していた。
威圧されて震え上がる試験官達の姿に、一樹は受験生の自分から何かを言わないといけないのだろうか、と、役割を訝しむ。
だがおかしな護符を作ったと誤解されて、試験を失格にされては堪らない。一樹は自ら説明を始めた。
「私は、色々な守護護符を作れます。1枚目は、汎用性の高い符。2枚目は、護りに特化した符。そして3枚目は、地蔵菩薩の化身たる閻魔大王であり、神仏です。試験に立ち会い頂き、ありがとうございました」
相手に反撃する呪いの符ではなく、あくまで神仏を描いた守護護符だと言い張った一樹は、一礼して見せた。
そして3枚目の符が壊したプレス機を見ながら考える。
(コレって、俺が弁償するのか?)
下手をすると、借金が増えてしまう。
一樹は蒼依への弁明に頭を抱えながら、実技試験を終了した。


























