117話 二重の願掛け
『糧に与するとは、愚かなり』
まるで拡声器で伝達するように、箱根山の山頂から放たれた呪力が、山裾の小田原市に響いた。周囲の煙鬼達は、羅刹の呪力に恐れ戦き、身を縮めて震え上がっていく。
だがキヨは、まったく怖れずに平然と言い返した。
『糧というのは、コレのことですか』
キヨは羅刹を挑発するように、周囲の煙鬼を次々と捕食してみせた。
煙鬼は抵抗の術もなく、次々とキヨに吸われていく。
キヨの行為は、羅刹を引き寄せるために行われた、あからさまな挑発だ。
挑発されていることは羅刹にも理解できていたが、だからといって放置は出来ない。なぜなら煙鬼を撒き散らして、気を回収するのは、羅刹が従う荒ラ獅子魔王の方針だからだ。
せっかく撒いた煙鬼を潰す、外部からの侵入者。
それに対して羅刹が取り得る選択肢は、排除の一択だった。
『小娘、身の程を分からせてやろう』
キヨは1000年以上も昔に発生した白蛇の怨霊だが、羅刹は2000年前、阿弥陀如来が率いた神仏と戦った悪鬼邪神の1体だ。
羅刹にとっては、キヨですらも若輩の小娘に等しい。
そんな小娘に挑発された羅刹は、斧を携えながら、箱根山を駆け下り始めた。
箱根山の山頂から、小田原市の酒匂川付近までは、距離にして10キロメートル程度。
全長8メートルの黒鬼を人間サイズに直すのであれば、2キロメートルの距離だ。しかも、羅刹という種族は足が速く、下り坂でもある。
瞬く間に迫る羅刹を目の当たりにした堀河は、車を降りて、自らと契約する相手に呼び掛けた。
『杜若』
まるで陽炎のような揺らめきが生まれて、紫髪で紫の着物を着た少女が、スッと姿を現わした。
彼女こそが、堀河が願掛けを行った2つの存在の片割れ、杜若の精である。
杜若とは、湿地に群生して、5月から6月にかけて紫色の美しい花を咲かせるアヤメ科の花だ。
古来より布を染めるために使われており、『書き付け花』と呼ばれ、それが転じて『かきつばた』と呼ばれるようになった。
杜若の精は、『駿国雑志』(1843年)などに伝えられる存在だ。
徳川家康の孫にして、三代将軍となった家光(幼名・竹千代)と争った弟の忠長(国千代)が、駿府城(静岡県静岡市)の城主だった頃。
忠長は、三河国(愛知県)の八橋に、美しい杜若の花があると聞き、それを駿府城の泉水に植えさせた。
ある日、春雨が降る中で杜若を眺めていた忠長が謡曲『杜若』の一節を口ずさむと、年の頃は17から18歳で、紫の着物姿をした上臈(御匣殿別当、尚侍、二位および三位の典侍で禁色を許された高級女官)が現れて、自分が杜若の精であると名乗りを上げた。
杜若の精は、忠長の荒い気性が身を滅ぼすことになると、何度も優しく忠告した。
だが忠長はまったく聞き入れず、乱行を繰り返した果て、切腹となっている。
杜若の精は、如何ほどの力を持つのか。
一樹は、伝承の内容や年月などから、椿の精である牛鬼と同等ではないかと想像した。
一樹が出会った当初の牛鬼は、B級中位の力を持っていた。
堀河の力に加えて、大鬼相当の与力も得られれば、大抵の鬼は倒せる。
そして祈願に失敗しても、力を借りた相手が杜若の精であれば、力を大きく損なうようなことにはならない。
堀河の傍に陣取った彼女は、周囲に杜若の花が咲き乱れる幻覚を生み出していく。
――堀河陰陽師の呪力が、急速に高まっていく。
それは外部から力を得るドーピングのようなものだ。
加算される呪力は一樹の想像よりも上で、堀河の力はB級上位にまで高まった。
無論、それだけではA級中位の羅刹には、到底及ばない。
新たな人間が出現したことを知覚した羅刹も、呪力から脅威を推し量った上で、駆け下りる歩みは緩めなかった。
だが、堀河が借り受けた力は、杜若だけではない。
堀河の父親を殺した鬼は、静岡県で暗躍していた羅刹である可能性が極めて高かった。羅刹はA級中位の力を持っており、杜若の精の力だけでは抗えない。
そのため堀河は、追加で別の神仏に願掛けを行った。
それは杜若の精とは異なり、祈願に失敗すれば命を危うくする。
それでも堀河は、羅刹に対抗するために、静岡に由来する神仏から新たに力を借りた。
『召喚・護法一龍八王大善神』
堀河が式神術を行使した直後、杜若で覆われた地面から、赤い牛が迫り出してきた。
「ムウォオオッ、ムォオオオオッ」
現れた赤牛は天に向かって顎を突き出し、激しく鳴き出した。
それは静岡県田方郡対馬村(現・伊東市)に、古くから伝わる赤い牛だ。
かつて対馬村の山奥に、現在は廃寺となっている福泉寺という寺があった。
福泉寺は住職が去ってから荒れ放題となり、新たな住職が定まって寺に入っても、すぐに姿を消してしまった。一夜限りの宿を借りた修業者ですら、誰も帰って来ない。
やがて人々は、福泉寺に、物の怪が住み着いたのだと悟った。
その話は、とある行脚僧に伝わる。
戦国時代に織田信長と争って敗れた戦国大名・斎藤龍興の三男に、和泉守良孝というものがいた。出家した武士である良孝は、物の怪の正体を見極めようと、福泉寺に泊まった。
その夜、庭から鳴き声が聞こえてきたので良孝が外に出ると、大きな牛が立っていた。
牛は頻りに鳴くが、良孝には伝わらない。
人の姿に成れと伝えると、牛は女に変じて訴えた。
『私は、対島の池の主です。千年も住みましたが、未だ仏法を知らず、功徳を受けようと住職に教えを請いましたが、害を加えようとするので殺してきました』
それを聞いた良孝は、赤牛に三帰戒を授けて説法した。
夜が明けて戻ってきた良孝から話を聞いた村人は、徳の高い良孝に住職となることを願い、良孝は聞き入れて龍渓院という寺を開いた。
また赤牛は、護法一龍八王大善神として祀られ、正式に土地を守る土地神となった。
堀河は、龍渓院に祀られる護法一龍八王大善神に祈願して、その力を借りたのだ。
戦国時代に千年も生きていたのであれば、キヨよりも古い存在だ。
神として祀られていた土地神であるならば、地脈の力も得ている。
そして赤牛の力は、キヨにも匹敵した。
「ボーオッ、ブオオオオオッ」
至近に迫っていた羅刹の足が止まる。
強大な力を持つ羅刹も、神力を持つ大きな赤牛に、警戒したのだ。
その立ち止まった羅刹の足に、白蛇の胴体が巻き付いた。
「どこへ行くのですか。身の程を教えてくれるのでは、ありませんでしたか」
「ぬうっ、離せ!」
キヨが絡みつけた胴体を引き寄せて、斧を振り上げた羅刹の身体を横倒しにする。
そこに怒れる赤牛が、突っ込んできた。
五行には、相性がある。
黒鬼で水行の羅刹は、五行相生で金行に対しては優勢で、木行に対しては劣勢。
五行相剋で火行に対しては圧倒的に優勢で、土行に対しては圧倒的に劣勢となる。
だが相手は水行のキヨと、同じく沼の主で水行の護法一龍八王大善神だ。この場合は五行の優劣が存在せず、ただひたすらに力での勝負となる。
「ヴヴヴヴォオオオオッ!」
赤牛には、メスの頭部にもツノがある。
キヨに転ばされた羅刹に突撃した赤牛が、そのツノで羅刹を打ち、力で弾き飛ばした。
キヨに放された羅刹は、小田原市の酒匂川を転がっていく。
それを追いかけたキヨが再び羅刹を捕まえて、追撃した赤牛に再び頭突きをされた。
「よし、行けっ!」
父親の仇である羅刹に対して、堀河は最大級の力を投じて、赤牛の攻撃を続行させた。
A級の赤牛を使役するのは、堀河の呪力を超える術の行使であり、命を削る所業でもある。攻撃を続ける堀河の顔色が急速に悪化し、病的に白い肌となって、髪の艶が落ちて色褪せていった。
それを見た杜若の精霊が、堀河の左手を握る。
すると神力が継ぎ足されて、堀河の顔色は改善した。
『キヨ、支援してやってや』
『はい、御前様』
キヨは羅刹の右腕に絡み付くと、斧と腕を雁字搦めにして、武器を封じた。さらに羅刹の身体を引っ張って、川底に押し倒す。
赤牛は倒れて動けなくなった羅刹の胴体に向かって、負担が少ない単調な突進を行った。
「ぬううっ。貴様ら、人間に与して、恥を知れ」
「あなたは、顔が嫌いです」
かつて清姫が追いかけた安珍は、見目能僧であったと記される。
面食いのキヨは、醜陋な羅刹の訴えを容赦なく切って捨てた。
「晴也、顔がキヨさんの好みで良かったな」
「……お、おう」
陰陽師達が見守る中、清姫が引き摺り倒した羅刹を赤牛が打ち、痛めつけていく。
赤牛のツノは鋭く尖っており、打たれた羅刹は皮膚を裂かれ、血を流して苦しんだ。あるいは、肋骨の一つも折れたかもしれない。
羅刹は明らかに、戦闘力が落ちている。
このまま順当に戦えば、堀河の赤牛が勝利して、悲願を果たせるだろう。
だが静岡県に現れた羅刹は、荒ラ獅子魔王の配下だ。
煙鬼を削る程度では現れない魔王も、羅刹を倒すとなれば、流石に介入してくるはずである。
そして一樹達が予想していたとおり、箱根山の山頂には、新たな存在が顕現していた。
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