110話 斑猫喰、調伏作戦
「明日は学校を休んで、斑猫喰を倒しに行くことにする」
相川家への帰宅後、一樹は蒼依と沙羅に予定を告げた。
「斑猫喰の妖毒は危険だ。八咫烏達に追い立てさせた後は、俺が鳩の式神と、霊体の式神で倒す。2人は参加しないで登校してくれ」
一樹の計画を聞いた蒼依と沙羅が、不満げな表情を浮かべた。
「主様は、どうして大丈夫なのですか」
「地蔵菩薩の修法を身に付けているからだ。修行の成果だな」
地蔵菩薩の修行など一切していないが、それを説明できない一樹は、蒼依と出会う前に修行していたことにした。
毒の類いが一切効かない一樹にとっては、毒鳥の斑猫喰も、単なる妖鳥だ。
身体を持たず、一樹の神気で活動している水仙や信君も、やはり妖毒は効かない。
「八咫烏達は、大丈夫なのですか」
「修法で練った地蔵菩薩の神気を送る。だけど蒼依に護気を分散させると、朱雀達に割り振る護気が減るから、控えて欲しいんだ」
斑猫喰は、人見蕉雨の黒甜瑣語(1896年)に記される妖怪で、山鳥ほどの大きさの赤い鳥だ。
福島県の伊達市では、古池に身を浮かべていた斑猫喰を侍が矢で射て、捕まえようと池に足を踏み入れると、侍のほうが死んでしまった。
侍の骸を回収しようとした者達も、次々と死んでしまった。
そして斑猫喰は、何事も無かったかのように池から飛び去ったのである。
侍達が死んだ理由は、妖怪である斑猫喰の元となった鳥が、強力な毒を持つからだ。
毒の種類は、神経毒ステロイド系アルカロイドのホモバトラコトキシン。
コロンビアのモウドクフキヤガエルなどが持つ毒と同じで、半数致死量は0.002~0.007mg/kg。体重60キログラムの人間が0.12~0.42ミリグラムを皮下吸収すると、半数が死ぬ。
なお化学兵器のサリンは、半数致死量28mg/kgだ。ホモバトラコトキシンは、サリンの4000倍から1万4000倍も強力な毒を持っている。
斑猫喰の活動範囲は広く、ニューギニア島では『ピトフーイ』の名で、妖怪の元となった鳥が生息する。
毒鳥の鴆として中国でも知られており、前漢代初期(紀元前3世紀~)の『山海経』に名が載る。中国では鴆を駆除するために、皇帝が山ごと焼き払い、鴆のヒナを都に持ち帰った男をヒナごと処刑した記録もある。
「鴆は毒鳥だけど、福井県の粟島神社では、神鴆として祀られている」
文明時代(1469~87年)、福井市の粟島神社に集まった者達が、朝倉氏七代当主の朝倉孝景に対する反逆を密談していた。
その時、1羽の鴆が飛び込んできて、その羽風を浴びた者達が全員死んでいる。
鴆は社殿に入って姿を消したので、粟島神社の祭神が鴆の姿を取って逆賊を滅ぼしたのだと伝えられて、神鴆とされるようになった。
羽風を浴びるだけでも死んでしまうのが、鴆の恐ろしさである。
伝承は日本各地にあって、群馬県では田畑に毒をもたらす『唐土の鳥』と知られる。
「世間の認知度が高いのは、正月七日の七草粥に使う野菜を刻むときの歌だな」
日本では、『災いをもたらす唐土の鳥が飛んで来ないうちに』と願いを込めて、様々な歌が詠まれた。
『唐土の鳥が、日本の土地へ、渡らぬさきに、なずな七種、はやしてほとと』
『唐土云々渡らぬさきに、七種なずな』
これらの歌は、江戸時代から大正時代に出された文献に、少なくとも十種類以上が載っている。文献に載る場所も、東京都、神奈川県、茨城県、群馬県、関西などと幅広い。
「各地に広まっているのは、沢山の犠牲を出したからで、その分だけ死者の怨念を浴びて妖気も強まっている。しかも伝承では身体が赤色だから、探している火行だ」
「朱雀達が怪我をしたら、怪我が治るまで主様の食事は、もやしになります」
調伏は避けがたいと一樹が言葉を結んだところ、蒼依から受け入れの条件が示された。
「……もやし?」
愕然とした表情を浮かべた一樹は、絶句したまま、蒼依の顔色を窺う。
すると蒼依は、裁判長が判決文を読み上げるが如く、一樹に判決を下したのであった。
「もやしを刻んだご飯、もやしのお味噌汁、もやしのお総菜です」
◇◇◇◇◇◇
「君達の役割は、非常に重要だ」
「「「キュイ?」」」
翌日、相川家の傍を流れる川の対岸に渡った一樹は、斑猫喰の調伏作戦を決行した。
相川家の庭先で作戦を決行しないのは、毒を撒き散らされないためである。
当初の作戦では、県内全域を網羅する八咫烏達に追い立てさせて、鳩の式神で叩き落とし、水仙の妖糸で捕らえさせて、信君にトドメを刺させる予定だった。
だが蒼依から釘を刺されたことにより、計画は一部変更している。
一つ目は、八咫烏達に護衛の鳩を付けて、戦闘は肩代わりさせること。
その鳩は、普段使っているC級下位の鳩ではない。閻魔大王の神気を宿す一樹の生血で描いた、緊急時に離脱するための大鳩だ。
生漉き和紙と毛筆にも神木を使っており、大鳩に限ってはコストを無視している。
大鳩は力強い羽ばたきと共に、八咫烏達の後に付いていった。
二つ目は、戦闘に鎌鼬を投入すること。
鎌鼬は、つむじ風に乗って飛べる妖怪だが、その高度は人間の背丈くらいまでだ。
鳥のように大空は飛べないことから、大森山の怪鳥や、金山の生血鳥に対しては使っていなかったが、今回は叩き落とした後に投入する。
一秒でも早く決着して、八咫烏達が怪我や毒を受ける可能性を減らさなければならない。
「どんな食材でも、それだけを食べ続けると、飽きるんだ……分かるか?」
「「「キュイ??」」
問われた3柱の鎌鼬は、いずれも共感が皆無の不思議そうな表情を浮かべた。
肉食寄りの雑食性であるイタチの妖怪には、もやし生活の苦しさは分からないらしい。言語で理解させることを諦めた一樹は、もやしだけの食卓をイメージして、鎌鼬達に送り込んだ。
「これが、もやし生活だっ!」
もやしを刻んだご飯、もやしのお味噌汁、もやしのお総菜、もやし尽くしである。
いつの時代まで遡れば、そのような食生活になるのだろうか。原始時代でも、もっとマシな物を食べていただろう。
そもそも豆で生きられる生物は、どれほどいるのだろう。
差し当たって一樹は、鳩を思い浮かべた。
「頼む、俺の食生活を守ってくれ」
「「「……キュイィ」」」
どうやら伝わったらしく、一樹は鎌鼬達に哀れみの目を向けられた。ついでに水仙と信君にも、哀れみの目を向けられる。
蒼依が八咫烏達を大切にするのは、八咫烏達をヒナから育てるに際して蒼依に頼ったからであり、育てさせた一樹は蒼依に強く出られない。
蒼依が事前に注意していたにもかかわらず、八咫烏達に大怪我をさせたり、死なせてしまったりした場合には、蒼依には抗議する権利があるだろうと一樹も考える。
安全に最大限の配慮を行うのは、万が一の際に、減刑してもらうためでもある。
もやし生活が嫌ならば、そもそも八咫烏達を戦いに出さなければ済む話だ。だが斑猫喰を追い立てるためには、八咫烏達の力が不可欠なのである。
標的を変えようにも、火行でB級以上の力を持つ鳥の妖怪は、滅多に居ない。
斑猫喰を狩るためには、どうしても八咫烏達が必要だった。
「くそっ、荒ラ獅子魔王め。お前のせいで、もやし生活の危機だ!」
一樹が獅子鬼に呪詛を呟いていたところ、遠くの空から、八咫烏達の鳴き声が響いてきた。
鳴き声はカラスと大差ないが、カラスは縄張りを持つ。したがって相川家の傍に住むカラスは、八咫烏達だけである。
一樹が見上げた空には、赤い輝きを放つ妖気の飛行機雲と、それを追う一樹の生血で作った大鳩の神気、それらを上空から追う五色の光があった。
斑猫喰を追う大鳩は、神気を宿した神鳥だ。
術は飛ばせないが、斑猫喰に迫って、妖気を神気で削っている。八咫烏達は頭を抑えており、斑猫喰が高度を上げようとする度に術を浴びせて、上昇を阻んでいた。
五色の光は左右に広がりながら、斑猫喰の高度を落とし続ける。斑猫喰は、着実に一樹のほうへと迫ってきていた。
「各自、行動開始」
最初に駆け出したのは、鎌鼬達だった。
『臨兵闘者皆陣列前行。天地間在りて、万物陰陽を形成す。汝等を陰陽の陰と為し、我が気を対たる陽と為さん。然らば汝等、我が陽気を悉く汝等の力と変え、疾く地を駆け、我が敵を征討せよ。急急如律令』
四肢で駆けていた鎌鼬が飛び上がり、瞬く間につむじ風に乗って飛んでいく。その背後を水仙が追いかけ、さらに信君が続いた。
『落とせ』
一樹が大鳩に念じると、大鳩が速度を上げて斑猫喰に突撃を仕掛けさせる。
大鳩は強引な接近の後にクチバシで突き、神気を妖気に衝突させて、斑猫喰を地上に落下させた。
「よし、行け」
落下してきた斑猫喰の横合いを、兄神である神転が駆け抜ける。刹那、斑猫喰が殴られて、体勢を崩した。
続いて神斬が駆け抜けて、鎌の一閃で斑猫喰の胴体を切り裂く。
赤い鳥の身体から、鮮血が迸った。
『治さなくて良い』
『……キュイィ』
釘を刺された3柱目の神治は、渋々と斑猫喰を踏んづけながら、走り抜けていった。
鎌鼬との交差で3度の攻撃を受けた斑猫喰が、地面に落下する。その身体の上には、水仙の妖糸が幾重にも重ねられていった。
糸に絡め取られた斑猫喰は、それでも起き上がって、翼を羽ばたかせた。
生身の生物が浴びれば死に至る毒が、周辺に撒き散らされる。
「悪いな。菩薩を害せるレベルでなければ、俺には毒が効かない」
斑猫喰と見合った一樹が呟く中、信君の刀が斑猫喰の首を刎ね飛ばしていった。
かくして一樹のもやし生活は、辛うじて回避された。


























