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囚われの人魚は星を知らない  作者: 岩月クロ
幕間 追想のあと
49/50

始まりかけた恋を夢見た

「ルーゼ!」

 舞う花の如くふわりと広がるきみの声を、ゆっくり咲き誇るかのように広がるきみの笑顔を、僕は今でもよく覚えている。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 ルーゼリィ。僕はそういう名前だった。きみは僕の名前を、ルーゼという愛称で呼んでいた。後にも先にも変わり者の僕を愛称で呼ぼうなどという人間はいなかった。いなくて良かったと思っている。

 彼女は幼かった。歳は十、離れていた。――ああ、僕がそう言うと、きみは頬を膨らませ、「違う!」と怒っていた。「十じゃなくて、九よ! 九!」

 僕にはその違いがさっぱりわからなかったけれど、彼女は何故か、たったの一の差数に拘った。



 その日も、彼女は僕の家に乗り込んできた。基本的に鍵をかけるという習慣が無いものだから、僕の家は誰でもご自由にどうぞという具合だ。不用心だと彼女はやはり怒ったが、生憎と取られて困るものは何もない。せいぜい僕の大事な研究資料くらい。それに関しては一応、厳重に保管してあるから問題は無い。

 とはいえ、周りからは鼻で笑われるような研究だ。わざわざ盗みに入るようなものでもない。むしろ泥棒に「その研究資料が目的だったんだ」と言われたら、僕は噎び泣くかもしれない。

 そんな僕の研究に、唯一興味を寄せてくれていたのが、きみ――リアナだった。

 彼女は世界の流通の根元であるターリスの町で、それなりに名を馳せた貴族のご令嬢だった。本来ならば僕などとは相容れぬ存在なのだが、偶然広場で僕の研究を目撃して以来、執拗に「もう一度見せて」とせがんだ。彼女の家族も、これを容認しているらしかった。貴族というのはお高く留まっているだけだと思っていたが、どうも例外もあるらしい。


「ルーゼ!」

 さて、僕の部屋まで一直線にやって来たきみは、いつものように「あれを見せて、あれよ!」とにっこり笑った。こうも嬉しそうにされては、僕だって悪い気はしない。なにしろ、唯一の賛同者なのだから。

 ちょいちょいと手招きをすれば、きみは何故だかつんと澄ました顔をして、しずしず従った。そのくせ瞳は爛々と輝いている。

 僕が手にしたのは、一輪の花。全体的にくすんだ橙色をした、地味な花だった。


「見ててご覧」


 そっと囁いてから、僕は花弁に手を当てた。魔力を一点に集中し、放出する。すると間もなくして、花弁が青く光り始める。初めはほんのりと。次第に強烈に、周囲を照らす。僕の顔もリアナの顔も、美しい青に染まっていた。そして徐々に、その光は静まり、残されたのは抜け殻のような灰色の花だけとなる。

 たった一瞬。その一瞬が、僕とリアナの心を惹き付けてやまなかった。

「綺麗……! 今日は少し、ゆっくりとした輝きだったわね」

「気付いてくれた? 魔力の当て方を変えたら、光が少しだけ長く灯ることがわかったんだ! 代わりに、完全に発光するまでに時間が長いんだけどね……」

 僕は興奮したまま続けた。

「この魔力を注ぐ量がね、多くても少なくても駄目なんだ。多分なんだけど――」

 嬉々として語り始めた僕の話を、彼女はうんうんと相槌を打ちながら聞いていた。


「――ってことなんだけど、わかった?」

「ええ、全然わからなかったわ!」


 彼女は元気よく答えた。そりゃそうだ。僕はようやく我に返る。だって彼女は、僕より十(いや、九か)も年下だし、まだ成人すら迎えていない子供なのだ。我ながら阿呆だ。何をしているんだか。

 自己嫌悪に浸る僕に、彼女は何が可笑しいのかくすくす笑いながら、「でも」と続けた。

「ルーゼがこの花がとっても好きなことはわかったわ」

 僕は目をぱちくり動かしてから、頬をぽりぽりと掻いた。

 十も離れているのに、彼女はたまに、とても大人びている。

「いつかこの花が、ターリスの港全体を輝かせる光景が見たいわ」

「……そうだね。頑張るよ」

 そう。それが僕の夢だ。誰に話しても笑われるだけの夢を、彼女はまるでそれがとんでもなく素晴らしい出来事であるかのように取り扱う。

 いや、実際素晴らしいのだ。

 今は一瞬でしかないこの輝きが、ターリスの夜を飾る景色は、さぞや綺麗だろう。みんなの心を魅了するはずだ。見る人すべてが、笑顔になるのだ。リアナが浮かべるような笑顔に。

「わたし、この花が好きよ、ルーゼリィ。この花が大好きなの」

 この地味な花は、きっと、そんな風に好かれる花になる。



「ルーゼ、わたし、また見に来るわ」

 去り際、リアナはいつもと同じ台詞を使った。

「うん、また見に来てね」

 僕もまた、同じ言葉で返し、軽く頷いた。

 まさか、それが最後の会話になるとは、夢にも思っていなかったから。



 その日から、彼女は僕の家を訪れなくなった。

 変だなとは思った。思ったが、だからといって何をするわけでもなかった。彼女にだって彼女の生活がある。僕の花を見るよりも大事な用事など、ごまんとあるはずだ。それこそ貴族のご令嬢なのだから、さぞかし忙しい日々を送っているに違いない。それにちょうど今は新年度でもある。何かと多忙な時期だ。

 ……それに。

 彼女はまだ、十も下の女の子だ。興味なんて、もっと面白いものが見つかれば、すぐに移ってしまうだろう。いくら大人びていたって――いや、大人だって同じだ――興味というものは移ろいやすいものだ。

 そう思っていた。

 後になって、思う。切望する。

 そうであったら、どんなに良かったか、と。


 ある日、僕の家の扉を、トントン、と叩く者がいた。鍵なんてかかっていないのに、律儀なことだ。そう思いながら、どこか妙な胸騒ぎがした。

 扉を開くと、そこには彼女の家の遣いだと名乗る人物が立っていた。

「お嬢さまが、光る花をご所望です」

 遣いの彼は、努めて淡々と、しかしその瞳に隠しきれなかった悲しみを携えて、僕にそう言った。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 貴族の家に入るのは、初めてのことだった。

 その感動に浸るでもなく、僕はただ無心に花を握り締めていた。

 屋敷はやに物々しい空気に包まれており、呼吸にすら気を遣う程であった。

「こちらです」

 恭しく一礼した遣いの者が、豪奢な扉をゆっくりと開けると、真正面には幼い子供らしい色使いの、それでいて上品なベッドがあった。その上で、彼女は目を閉じていた。

 道中、搔い摘んだ話は聞いていた。

 僕には隠していたが、彼女が幼い頃より病気持ちであったこと。それがまだ治療法の見つかっていない病であること。……いずれは死に至る可能性が非常に高いものであること。


 そして、その死が今まさに、彼女に差し迫っていること。


 彼女はもはや、言葉を発することすらできない様子だった。瞼を動かすことすら億劫なようだ。

「……やあ」

 僕はろくな挨拶もできなかった。なんと言えばいいのかわからなかった。おどければいいのか、神妙な顔をすればいいのか、泣けばいいのか。彼女が回復するのならなんだってしたが、何をしたってなんともならないことを、僕は彼女の顔色を見て悟っていた。

 ぴくり、と。瞼が震えたように見えた。ただ僕の願望が幻覚となって現れただけかもしれなかったが。

 目を開けられぬ彼女の前で、僕は「見ていてご覧」と囁いた。

 ぽおう、と花が光る。青い光だ。いつものようにはしゃいだりしない彼女に、なんとか喜んで欲しくて、僕は何度も、何度も花を光らせた。そのために、花を束にして持ってきたのだ。

 何度目……だっただろうか。

 彼女は瞼を閉じたまま、それでも口元に薄っすらと弧を描いた。

 震えた唇が、か細い音を紡ぐ。


「あぁ……とても、きれいね……」


 それが彼女の最期の言葉となった。

 享年十四。あともう少しで、成人になろうかという歳で、彼女は人生の幕を閉じた。それは、あまりにも早い閉幕のように思えてならなかった。あんなに綺麗に笑う彼女が、この世からいなくなって良いわけがないのに。

 きみが気にしていた歳の差だって、もう開くばかりじゃないか。

 ご覧よ、今に本当に十になる。そのうち、二十になり、三十になり、その差はどんどん開いていくだろう。あんなに歳の差を気にしていたのに、どうしてきみは怒らない?



「お前さんよ、そろそろ外に出たらどうだい」

「そうさ、そんなことではお嬢さんだって喜ばないだろうよ」



 元々外出が少なかった僕であったが、以前にも増して外に出なくなった。そのことを心配した世話焼きたちが代わる代わる僕の下を訪れたが、それでも僕は、外に出る気が起こらなかった。

 あんなに好きだった花すらも憎らしかった。

 これがいったいなんだっていうのだろう。何をできるっていうのだろう。

 彼女の命を救ったか? 彼女の命を永らえさせたか? そんなわけはない。なんにもならなかった。ならなんの価値があるというのだろう。

 こんなものに高じている暇があったのなら、僕は彼女の話をもっと聞いて、彼女の状態を早くに知って、彼女のためにできることをするべきだったのではないのか。


『ルーゼ。ルーゼリィ』

 彼女のふわふわとした柔らかい声が、僕の中で響く。


「っ、こんな花が、なんだというんだ!」

 僕は叫んだ。叫びながら、机の上のものを全て薙ぎ倒した。それだけでは収まらず、とにかく目につくものを片っ端から投げて、投げて、投げた。それでも気は収まらなかった。収まるはずがなかった。

「……酷い有様だな……」

 突然背後から聞こえた声に、僕はゆっくりと顔を上げた。泥棒だろうか。それにしては身綺麗な格好をしている。ただの来訪者か。この際、なんだって良かった。泥棒だったらなんだ。この家にはもう、価値のあるものなんて何もない。持って行けるものがあるというなら、なんだって持っていけばいい。ただの訪問客なら、さっさと帰ってくれ。もう誰とも話したくないんだ。ここに来るのは彼女だけでいい。

 ぼんやりと来訪者の男を見続けていると、彼は深々頭を下げた。

「貴方には、娘が生前世話になったようだ……」

 娘。その言葉に目を見開く。

「貴方が熱心な研究者だということは、娘からよく聞いている。そこで相談なのだが――」



 彼が僕に語ったのは、これまでの間、彼が秘密裏に続けてきたのだという研究のことだった。

 未知の病が、治る可能性がある研究だ。

 人間よりも治癒能力が高い人外(ばけもの)の特性を探り、その血肉によって、今は治らないとされている病気や怪我に対する治療法を探す研究。

「私の力では、妻や娘を救うまでに間に合わなかった。だが貴方と共に、今度こそ、同じ境遇の子供を救いたいと思っているんだ」

 その言葉に、動かされた。

 間に合わなかった。きみはもう戻ってこない。けれど、きみと同じ子を、救うことができる。それはなんの贖罪にもならないけれど、少なくとも、意味があることだ。




 僕は彼の養子となった。僕はきみの家族となった。

 周りの人間は、娘の死を利用したかのようなタイミングで貴族の仲間入りをした僕のことを、皮肉を込めて家名で呼んだ。それでよかった。僕自身も、周囲にそれを徹底させた。他人にルーゼリィと呼ばれれば呼ばれる程、彼女の声が遠退いてしまう気がしたから。研究所の中では家名で呼ばれては困るため、『先生』と呼ばせることにした。そんな柄でもないが、名前よりかは遥かにマシだ。彼女の声を汚すものなど要らない。

 僕は家族のために最大限の努力をした。

 一口に人外といっても、様々な種類がいた。治癒能力の高さでいうなら、吸血鬼、人狼、それから人魚といったところが主力だ。どれもこれも、化け物だった。不気味な顔をしている。こんな化け物が生きているのに、素敵な笑顔を浮かべるきみが死んでしまう現実は、やはり間違っている。

 なかでも、人魚は最悪だった。

 彼女たちが成体となった時に放つ青い光。それは、あの無意味な花の光によく似ていた。

 なんと醜悪なのだろう。僕は頭痛がした。そんなものは要らないのに。そんな無意味なものよりも、もっと……もっと大事なものがあるのだ。

 今度こそ、僕はそれを手に入れる。どれだけ長い年月を掛けようとも、絶対に。絶対に。絶対に。




 ――だというのに、現実はやはり非情だ。

 低俗な化け物どもが僕を逆恨みし、貴重なデータを処分したのだという。その上、この研究の価値がさっぱりわかっていない馬鹿どもの所為で、僕は志半ばで、じめじめとした牢獄に放り込まれた。なんということだろう。これでは、リアナは悲しむ。義父にも申し訳が立たない。僕は家族のためにも、研究を完成させなければならないのに、何故それがわからない!

 そうすれば僕は今度こそ、きみの笑顔を守り抜けるのだ。

 それなのに、どうして。ああ……どうして。

 牢獄の空気穴から微かに見える外には、地味な橙色の花が咲いていた。

 彼女を喜ばせた花だ。二人で顔を寄せ、見惚れたあの花だ。

「……どう、して?」

 僕は愕然とする。牢獄の冷たい空気が、僕の心を苛む。

 ああ、ああ、ああ……有り得ない。こんなことは、有り得ない。どうして。



 ――忘れないと誓った、きみの笑顔が、きみの声が、思い出せない。



 どうしてだろう。どうして。

 僕は、きみの笑顔をもう一度、見たい。ただそれだけなのに。




とある人魚さんとは逆で、彼にとっては、彼女を忘れ、彼女を諦めること(自分への無力感を捨てること)の方が何よりも難しいことだったというお話。

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