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囚われの人魚は星を知らない  作者: 岩月クロ
第6章 壁を崩す手のひら
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人魚編(3)「私は誇りに思います」

 そこから、どのようにして道を歩いたのか、キャルリアンはよく覚えていない。

 気付けば港に辿り着いてしまっていた。命じられるがまま急いできたのか、それとも命令に背きゆっくり戻ったのかすらも、わからない。

 行き交う人の波を、ただぼんやりと眺める。

「おかーさん、お菓子買って!」

「また? 昨日買ったばかりでしょう?」

 壁に身体を預けたキャルリアンの横を、親子連れが手を繋ぎながら、笑い合っていた。

 その様子を、ぼんやりと見送った。笑顔の彼女たちと、すれ違う。二人はキャルリアンには見向きもせずに、真っ直ぐに歩いていく。


 最初から、決めていたことだ。わかっていたことだ。居心地が良いからこそ、ずっとここにはいられないこと。自分だけが助かるなんて、望んでいないこと。この幸せな日々が、いつかは遠い思い出となること。

 だから、これは予定調和的な出来事で。

 だから、今更悩む必要なんてなくて。

 だから、だから、


 ……だけど。


 視線を上に動かせば、青い空が広がっていた。この天気だったら、夜には綺麗な星が見えただろうか。

「――――…………ったなぁ」

 自分の口から零れた言葉に、キャルリアンはあえて耳を傾けなかった。聞こえたら、望む場所に行けなくなってしまうから。躊躇ってしまうから。


 直後、突然背後から肩を掴まれた。身体を強張らせたのは一瞬だった。振り向かなくても気配でわかる。

 それでも、彼女は振り向く。顔を見たくて。

「ガルド、さん」

 名前を呼ぶ自分の声は、ひどく掠れていた。ひどい声だ。自分でも思う。もっとマシな声を出したいのに。



『海賊を殺せ』



 頭の中を、命令が駆け回る。

 絶対的な声に、ガルドの声が被った。

「何があった」

 悟る。彼は勘付いている。それは――――駄目だ。絶対に駄目だ。

 肩に乗る大きな手。熱いくらいの温もり。持て余す程の安心感。絶対に失いたくないもの。たとえ、その隣に自分がいなくても。

「別に何も、……ただ、決めただけです」

 そう、決めたのだ。決意を込め、真っ直ぐにガルドを見る。

 この人のことが、好きだ。とても、とても、言葉では言い表せないくらい、特別に好きだ。

 だからこそ、巻き込みたくない。だって、どうして大事な人を、危険なことに巻き込めるというのか。自分が原因で、死んでしまうかもしれないのに。巻き込めるわけがない。

 助けて、と言ったら、この人はキャルリアンに手を伸ばすだろう。伸ばしてしまうだろう。そしてキャルリアンは、きっと後悔する。



 救いを求めることは、難しい。諦める方が、余程簡単だ。



「自由にしていいと仰いましたよね? 私、ここで船を降ります」

 失いたくないものを、失うくらいなら。

「どうして?」

 彼はまだ、キャルリアンを見ていた。あっさりと離されなかったことに、場違いな感情を抱く。そんな自分に、また動揺した。離してもらった方が良いのに。嫌いになってもらった方が良いのに。

 その方が、自分の傷も、彼の傷も浅くて済む。

 わかっているのに。

 嬉しい、だなんて、なんと愚かしいのだろう。

 泣きそうな気持ちを抑え込む。泣いたら彼は全てを見抜くだろう。そうでなくとも、今だって何かを察知している。けれどキャルリアンは、最後まで虚勢を張るつもりだった。最初で最後の、大きな嘘。ごくり、と唾を飲み込み、言葉を放つ。

「嫌になったんです。この前みたいに、襲われたり、血が流れたり、流したり、誰かを、傷付けたり。そういうことが怖くて……」

 言葉にしながら脳裏に浮かべたのは、ガルドたちが傷付く光景ばかりだった。キャルリアンにとっての恐ろしい光景は、それだった。先の航海で、無関係の人間を傷付けたばかりなのに、そのことはちっとも頭に過ぎらない。あまつさえ、彼らが生きていて良かった、とさえ思うのだ。他の人はよくて、彼らは駄目だなんて、自分勝手が過ぎる。そんなことを考えた罰なのかもしれない。だとしたらその罰を受けるのは、キャルリアン自身であって、決して彼らではないのだ。

「やっぱり、私には向いていないので、……だからですよ」

「それだけか? 何か他に」

 ガルドは、やはりキャルリアンの言葉を疑っていた。

 すっと息を吸う。

「もうほっといてください!」


 ――温もりを、振り払う。


 肩に置かれた手が滑り落ちる。自分から振り払ったのに、泣きそうだった。

 真っ直ぐに睨んだ。視線が揺れないように、力を込めて。

 想いに気付かれないように。笑い掛けないように。縋り付かないように。――間違っても、泣いたりなんかしないように。

「私は……貴方のこと、嫌いです。だから船を降ります。なので、どこかで私を見掛けても、話し掛けるとか、やめてください。気分悪いので」

 自分ができる限りの、ひどい言葉を繋げていく。

 ああ――どうか、私のことを嫌いになってください。

「さようなら。どうかもう二度と、会うことがありませんように」

 精一杯、祈った。いるかどうかもわからない神様に。

 背中を向ける。どうか、どうか、と祈りながら。

 どうか、優しい貴方のこれからが、ずっと幸せでありますように。

 小生意気な無礼者のことなど、すっぱり忘れてくれますように。



「……ざけんじゃねぇぞ」

 足を止めそうになった自分を、叱咤する。

 振り返ってはいけない。そう決めたのだから。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




「早かったね。……と言いたいところだけど、僕との約束を反故にするとは、どういうことかな」

「…………」

 キャルリアンが無言を貫いていると、彼はやれやれとばかりに肩を竦めた。

「仕方ない、自分で取りに行くしかないか。元々、あれは大事なものだからね。僕が自分で動くのもやぶさかではない」

「……あの船には、ありません。全部燃やしましたから」

 男がキャルリアンに向かって凄んだ。

「見え透いた嘘は嫌いだよ」

「嘘じゃありません。あれはもう、どこにもありません。……貴方の手に渡る前に、処分できてよかった。その選択をしたことを、私は誇りに思います」

 杖が目前に迫った。キャルリアンは震える身体を無視して、後ろへ下がった。それだけで、男の攻撃は避けることができた。

 こんなにも、簡単に。

 自分が今まで囚われていたものが、なんであったのか、よくわからなくなる。



 彼が執着しているのは、資料だけだ。

 ……ガルドが狼男であることを、彼は知らないのだろう。知っていたら、彼にも執着心を示すはずである。

 知らない方が好都合だ。良かった。男の手が、彼に伸びることはない。本当に、良かった。キャルリアンはひっそり安堵した。



「……まあいい。探せばすぐに見つかる」

 彼は最後まで、キャルリアンたちが資料を処分したことは信じないつもりのようだった。彼の主観において、『あの貴重なデータを処分する人間が、この世にいるはずがない』と思っているのだろう。どうにかして、気を逸らしたいところだ。でなければ……この男は本当に、ガルドたちを襲わせるだろう。

「まずはきみに、お灸を据えなくてはね」

 男はにっこりと笑い、杖で床を叩いた。奥の扉が左右に開き、キャルリアンの『仲間』がぞろぞろと出てくる。みな一様に昏い目をしている。そこには生きる希望も、何も無かった。以前までの自分も同じ目をしていたのだろう。

 ただそこに、ひとつの願いが、佇んでいる。

『死にたくない』

 命令に背けば、待つのは死だ。楽な死ではない。ただひたすら痛いだけの死。冷たい死。そう身体に教え込まれている。

 死ぬことは痛い。痛いのは怖い。怖いのは嫌。

 同じだ。キャルリアンも。

 いや、少し違う。

 船で過ごした日々を思う。


 ――生きたい。……生きた、かった。


 それでも、だからこそ、必死に信じ込ませるのだ。身体に。心に。

 大丈夫。大丈夫。自分は、大丈夫。

 これまでと、この先が、全て悲しみと痛みで満ちているのだとしても、笑い合えた日々が、唯一残っていればいい。

 守りたいものができた。無謀でも、馬鹿げていても。キャルリアンと同じ立場である目の前の彼らを傷付けたくないという気持ちも本当だ。しかしそれ以上に、キャルリアンはガルドたちを守りたい。それがどんなに勝手なことであったとしても。


 ここに来る道中で入手した水瓶を傾ける。中に入っていた水が、床を濡らした。この量でも十分だ。人魚が暴れるには。

 全員を倒すことができなくても、あの男にトドメを指すことができなくても、足止めくらいにはなるだろう。しばらくの間だけでもまともに動けなくなれば、それでいい。

 すっと息を吸う。人を傷付ける覚悟は、また別に必要だった。

「ごめんね」

 ひっそりとした呟きは、そのまま消えるはずだったのに。



「ほんとだよ!」



 聞き慣れた――そして、この場では聞くはずがなかった声が響き渡り、直後に爆音がキャルリアンと彼らを両断した。

「……えっ?」

 目を白黒させるキャルリアンの横に、迫撃砲を肩に載せたミリュリカがどすんっと降り立った。

「やっほうキャルちゃん、迎えに来たよ~!」

「むか……え!?」

 あまりにも軽い再会に、キャルリアンの思考はショートした。あんなにも決意を固めて去ったのに、なんだろう、これ。

「ミリュリカ、あまり前に出てはいけない。危ない」

「え~、大丈夫だよ、お兄ちゃんいるもん」

「だからって……油断は禁物……」

 思わぬ展開に固まるキャルリアンの頭が、反対側から小突かれる。その温かさが誰のものであるのか、キャルリアンは良く知っていた。




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