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13 パラソルをさす女 ④

 ところどころに見られる空白が、どこか歪で座りの悪い感覚を与える。それはよりいっそう作品の持つ不気味さに拍車をかけていたが、植物をメインに据えた風景画としてのまとまりで言えば水上青年の作品の方が、確かに完成度は高いように感じられた。



 だが、神代の作品はそれだけでは終わらない。



「そこの八神が申し上げたはずですが?私はARアーティストですので……これはあくまで背景、いえ額縁のようなものです。こう言う形式の展示場ですと、何か目印が必要でしょう」

「がく、ぶち……?」


 自分が盗作して作品として出したはずのものを、額縁呼ばわりされた水上青年は絶句して固まった。


「スタッフの方に、注意書きをつけて下さるように頼んでいたのですが、これだけの作品があるのですから付け忘れてしまっても仕方ありません。どうぞ、存分に御覧ください……シンクロ」



 神代が何気ない調子で口にした言葉に、これまでこの作品の『正しい見方』に気付いていなかった人々が、口々にそのコマンドを呟く。



「っ……シンクロ」



 躊躇うように呟いた青年は、開かれた世界に息を呑んだ。



「これ、は」



 初めてこの作品を目にした瞬間の感動を、よく覚えている。


 荒れ野のような寂しさに満ちた空間に、小鳥の(つがい)がやってくる。自由に空を舞いながら愛を(はぐく)み、やがて巣をつくり、生まれた小鳥が再び飛び立っていくまでの物語。


 その短く長い時の中で、小鳥のさえずりで長い冬が()かされるかのように、鮮やかな春を芽吹かせる。確かに統一された無彩色で描かれた世界が、小鳥が舞い、花の(つぼみ)が開くたびに、色付いていくような錯覚。


 孤独に埋められていた世界が、感情で彩られていく。その瞬間、俺達は神代の『瞳』を通じて世界を見ていた。改めて見ると、草木を描いた一幅の墨絵は背景よりも額縁、と言う表現は確かに正しかったのかもしれない。ここに芸術があることを知らしめ、咲き誇る生命(いのち)をより美しく輝かせるための舞台として。


 そしてまた、冬が訪れる。それでも、最初に見たような寂しさをそこに感じることはなかった。またいずれ来る、春の温もりを覆い隠しているだけだと知っているから。そう思えば、作品の(いびつ)さを感じさせる空白にも納得がいく。神代が描いた木々や花の風景画は、あくまでこの四季の巡りを前提とした構図だったのだと。


 証拠など何も提示せずとも、この完成図を知らずに紙媒体の作品だけを、まるきり同じ構図を真似た青年の絵が後から描かれたものであることは誰の目にも明らかだった。そして、目の前にある無彩色の墨絵から伝わる感情の色……これは、今の神代にしか描き得ない世界だ。



「っ、く……」


 同じ構図を持っていても、何一つ覆せない力量の差を見せつけられた瞬間。あの時、俺は盗作された側ではあったけれど、きっと目の前にいる青年と全く同じ感情を知っていた。



 ああ、俺は『ニセモノ』だったんだ、と。


「あぁあああああっ」



 悲鳴のような叫びをあげながら、駆けて行く後ろ姿を思わず呼び止めてしまいそうになって、やめた。また、大切なものを()き違えるところだった。


「神代」


 名前を呼んで、そっと触れた神代の手は、どうしようもないくらいに冷たく震えていて。俺と八神は、その姿を隠すように寄り添って、展示場の外に出た。



「大丈夫か」



 大丈夫じゃないのを、分かっていて、聞いた。


 神代は、震える手を抑え込むようにして、白くなるくらいギュッと握った。



「私、は……」



 震える声で吐き出して、頼りない瞳が俺を見上げる。



「私達は、先生の名誉を守れましたか」



 俺は想像もしてなかった言葉に、息を呑んだ。



「お前まさか、そんなことのために……」

「『そんなこと』なんかじゃ、ありませんっ!」



 きっと初めて聞いた神代の怒鳴り声に、俺は彼女を泣かせるよりも、ずっと重い罪を犯したような気がした。


「ずっと……ずっと悔しかった。情報に踊らされて、一人の天才を失ったことに気付きもしない大衆の愚かさが。再びようやく辿り着いたあなたが……それで良いと、当然のことのように受け入れて生きていたという現実が。何よりも、あなたの名が不当に(おとし)められることを、止められなかった子供の自分がっ。許せなくて、悔しくて、やりきれなかったっ!」

「神代……」


 知らなかった。いや……知ろうとも、しなかった。いつだって、世間から押し付けられる芸術家としての理想像は、俺にとっては窮屈で。八神や神代や、他の芸術科の生徒にだって、勝手に期待して勝手に幻滅するなとか、俺だって好きで『こんな』風になったワケじゃないだとか、そんな風に思っていて。


 でも、全部イコールで結ばれた心ない期待なんかじゃ、最初からなかった。そのことを俺は、何度となく見た灯の涙で、痛いくらいに知っていたはずじゃなかったのか。俺のことを大切にしてくれるから、俺の作品を愛しているから、怒ったり喜んだり……こんな風に泣いてくれる人がいるんだってことを。


 例え自分に危害を加えてきた人間が相手でも、誰かを傷付けることで誰よりも自分の心を傷付けてしまう神代が、俺の前に立って戦っていたのに、まだ俺は気付けないフリを続ける愚か者のままなのか。



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