13 パラソルをさす女 ③
俺がこれを出した時点で明らかに分が悪いはずなのだが、彼は頭に血が上っているらしく、引き際が分からなくなってしまっているようだった。騒ぎを聞きつけて、人が集まり始めている……八神と神代のことを考えても、あまり大事にはしたくなかった。
「それでも僕は……僕の方が、優れていて」
ブツブツと呟く青年に痺れを切らしたのか、それまで珍しく大人しかった八神が口を開いた。
「水上亮介、アンタそもそも誰に喧嘩売ってんのか分かってる?」
フルネームで呼ばれた権兵衛青年、もとい水上青年が、ビクリと肩を揺らして後ずさる。八神が自分のことを認識しているとは、思ってもみなかったらしい。抜けているというか何というか、つくづくこういう小細工に向いてないタイプだなと、ほとんど仕事の終わってしまった俺はボンヤリとそう思った。
「誰って、僕はいま、弟子の不始末を穂高燿に問おうと」
「あーそう、気付いてすらいないなんて、その程度のレベルの人間ってことね。最初から同じ土俵にすら立っていないんだわ。相手にする時間がムダ。くっだらない!」
八神の暴言に、怒りを通り越して呆然と青くなっている青年に、八神が完全に喧嘩腰で詰め寄った。
「いい?二度とアンタみたいな三下が知る機会はないかもしれないから、本人の承諾は得ないで教えといてあげる。アンタが喧嘩売った本人の神代梓はね、日本を代表するARアーティストの『KOU』本人よ」
「はっ……?そんな冗談」
マジかよ、こいつは本気で知らなかったのか、と俺はちょっとドン引きしながら水上青年を見つめた。盗作する相手のことくらい、きっちり調べとけよ。って言うより、絵を見て一発で気付けよ。
俺達の反応に八神の言ったことが冗談でもなんでもない、ということを理解したらしい水上青年は、自分がとんでもない相手に喧嘩を売ったのだと理解して青ざめた。それでも折れずに睨み返すあたりが、根性だけは座ってるな、とある意味感心させられる。
「ネームがなんだっ……そこの穂高燿だってっ」
その次に続く言葉は、なんとなく分かっていた。結局のところ、人の心が動くのは事実と証拠よりも感情論だ……盗作者の弟子は盗作者。こんなパワーワードが、他にあるかよ。
結局、俺の過去に残された……いや、未だ払拭すらできていない汚名が、どこまでもまとわりついてくる。八神も神代も、何一つ負うべき責任はないはずなのに、俺なんかを師匠に選んだばっかりに糾弾される。俺が受け持っている芸術科の生徒だって、俺を受け容れてくれている常磐学園ですら、後ろ指をさされてるのかもしれない。
俺の大切な人達が、俺を選んだ所為で世界から傷付けられるのだとしたら。俺を選んだことを、いつか後悔させる日が来るのだとしたら……そんなことは、もう二度と
「我が師に、何か?」
氷よりも冷たく鋭い声が、熱しきった空間を切り裂いた。
俯きかけた俺の視界に、あの頼もしすぎる背中が映り込む。
「何か?」
静かに繰り返す神代に対して、完全に呑まれてしまった水上青年は何も言えずに黙り込んだ。その姿を冷ややかに一瞥して、それから俺を振り返った神代は、自信に満ちた表情で優しく笑ってみせた。
いつも、思う。どうしてお前は、お前達は、そんなに強く在れるのかって。
ただ今は、その強さに心の底から救われてる俺がいた。背筋を伸ばして息を吐き出すと、熱を持っていた頭が少しだけ冷えた。そんな俺を見て、神代が小さく頷く。
「そろそろ、茶番は終わりにしましょう。あなたが、これ以上メディアの方にあれこれ書き立てられたいなら、話は別ですが」
周囲にいつの間にか、遠巻きにではあるけれど人が集まってきていて、報道関係者が入り混じっているという考え得る限り最悪の状況にようやく気付いたらしい。じりり、と後ずさった青年に、神代は悠々と一歩を踏み出した。
「ただ、私も芸術家の名を背負うものとして、盗作者呼ばわりされたままでは後に退けません。尻尾を巻いてお帰りになる前に、拙作をご覧になっていっては如何ですか」
「っ、何を……お前の作品は、そこにあるだろう」
水上青年が指差した先には『一枚の和紙に描かれた』絵画が展示されていた。そう、今回青年が盗作した作品がこちら。神代にしては珍しく、一見して抽象画めいた風景画だ。この世には存在し得ない樹木や花々が、見事に墨だけを用いて表現されていた。
植物が描かれているだけなのに、そこに溢れるのは痛々しいくらいの感情。見ていると少しずつ、物言わぬ花や木が人のように見えてくる。感じるのは自然の荒々しさとか、画面に展開された異形の植物の奇怪さよりも、どこまでも冷たい静寂と孤独。




