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12 ムーラン・ド・ラ・ギャレット ⑬

 そんな作業のような淡々とした調子であるにもかかわらず、紡ぎ出される淡く夢見がちな色合いの世界は、どうしようもなく優しくて……それでいて根源的な『さびしさ』を含んでいるように感じられるのは、きっと私の勘違いではなくて。


(そうだ、これだ……これが、私の焦がれた世界)


 そして、これをあの『桜花賞』に出そうとしたのかと、改めて考えるとゾッとさせられた。思い返してみれば穂高燿の作品で、凝ったテーマの作品なんてほとんど存在しない。いつだってそこにあるのは日常を生きる人々の姿で、ふとした瞬間に見出された、ほとんど子供の宝探しみたいな無邪気さで、小さな幸せを縫い止めるみたいなやり方。


 そこに、審査員達は……人々は、確かに『普遍的な美』を見出したのだ。見せられてしまった、と言い換えてもいい。確かな技術力に裏打ちされた画面構成だとか、誰にも真似できない独特のタッチと世界観だとか、穂高燿の作品を理解する上で一番大事なのは、そういう使い古された解釈なんかじゃない。



 この、いつまでも子供みたいな男は、自分の感覚が捉える美しいものを、誰かと共有したいと思っているだけだ。自分が世界で一番美しいと思うものに、愛と技術を惜しげなく注いで、それを見た人間が一瞬でも『美しい』と感じたなら、既に穂高燿の世界に引きずり込まれている。


 ただ、私はそんな一見すれば幼稚であるような作品の原点に、途方もない孤独を感じた。どこまで行っても、埋められない『さびしさ』……私達の誰もが抱えた、言葉では表現できないゴチャゴチャしたもどかしさとか、どれだけ手を伸ばしても届かない星に感じたかなしみとか、ふとした瞬間にひそんでいるどうしようもない静けさだとか。



 誰かと繋がりたい、それなのに本当の意味では誰とも繋がることができない。いつでも温もりに包まれているはずなのに、いつだって寒くて何かを求め続けている。その小さく切り取られたキャンバスの向こう側から、世界の在り方を、突きつけられているように感じた。


 穂高燿の作品は、いつだって優しくて穏やかで、そんな世界なんてどこにもないでしょって、ささくれた心で見れば叫びだしたくなるような綺麗事ばかり描かれていて。そのはずなのに、私達の心を揺さぶってくるのは、一度見たら決して記憶から消すことができないのは……きっと、この心に生まれた時から空いている穴を、否応なく埋めてしまうからだ。


(この優しい世界に、ずっと手を伸ばし続けていた)


 結局の所、私も穂高燿の作品に惚れ込んだ数多のファンに過ぎなくて、それが展示会に足を運ぶとかその作品を所有するとか、そっちの方向に欲が向かずに『近付きたい』と、それだけを願って信じて筆を取っただけの存在だ。これが、間違いなく私の原点。


(けれど)


 ポツリと湧き上がった想いが、一粒の雨みたいに静かに広がっていく。


 始まりは、そうだったかもしれない。でも、この数年間を自分の足で歩いて生き続けてきて、いつの間にか自分の見てる世界が、描く何もかもが、穂高燿のものとはまるで違ってしまっていることに気付いた。プロの名を背負って、筆を振るえば振るうほどに、私の作品は『商品』として綺麗にパッケージングされて、最初に望んでいたものとはまるで違う形で世界にこぼれ落ちていく。


 いつだって他人の求めるものと、自分の世界が護りたいものとがちぐはぐで。迎合(げいごう)して、妥協して、そんな自分が許せなくて、信じてるものに身を捧げて、世界から糾弾されて、見捨てられる。それでも見てほしくて、誰かに許してほしくて、また振り出しだ。


 自分の信じるものを世界に認めさせたいなら、実力をつけるしかないのは分かっている。信念を思想を、この瞳に映るものを、普遍的な美として生まれ変わらせるだけの力を。そう思えば思うほどに、誰かの目を気にして『私』が押しつぶされて、いつしか何を願って求めていたのかすら分からなくなっていた。


 空っぽの私に残されたのは、その願いを具現化するための力を持っていながら、あっさりと何もかも捨てて消えてしまった『かつての憧れ』への、やり場のない怒りと失望だけ。


(そう、か。アンタも、そうだったんだ)


 天から降る雪が、溶けるように、ようやく心が追いついた。


 この世のどこにもない、自分の中にしかない『世界』を見つめて、神様に与えられた腕を振るい続ける男を見上げて理解した。この男も私と同じように、自分の信じていたものに裏切られて、苦しんで、全てを捨てて……それでも諦め切れずにここまで来たんだ。


 どうしようもなく苦しくて、さびしくて、孤独な場所だと分かっているのに。それでも、この場所に戻って来てしまったんだ。


 私は、何もかもが抜け落ちた気分で、完成に近付く絵と向き合う横顔を見つめた。なんだか、思考と心が分離されてしまったみたいに、身体は目の前で展開されている他の何にもかえられない『授業』を全身で吸収しようとしていた。この背中に追いつこうと、今までがむしゃらに走り続けてきた。



(でも、それじゃ足りない)



 覚悟が、ふっと決まったような気がした。




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