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12 ムーラン・ド・ラ・ギャレット ⑪

 またナメコみたいにジメジメし始めたダメ教師モードが、いい加減ウザったくなってきて、私はおざなりに溜め息を吐いた。


「……お前、やっぱりこのスレスレ赤点回避って狙って取ってんの?」

「梓のヤマ張った所が上手い具合に当たっただけよ」


 我に返ったらしいダメ教師は、目を白黒させた後に、この世の終わりみたいな絶望的な表情を浮かべた。


「単純に、お前がバカなだけじゃん……神代がいなかったら、お前夏休みの間中ずっと補習の嵐じゃん」

「有能でしょ」

「神代がな……お前、友達大切にしろよ。んで、とにかく俺はお前に勉強させないといけないんだよ。俺の体面のために」


 私は結局そこに行き着くのか、と思いながら深々と溜め息を吐いた。


「そんなの、アンタの事情じゃない。学校の成績なんて、芸術家に何の関係があるってワケ?そんなものより、桜花賞で入賞しましたってだけで、一生食べていけるわよ」

「え……うん。あれ?じゃあ、なんで学校の勉強必要なんだ?」


 私に聞くな、と思う。こういう所が、まさしく鳩だと思う。


 バッカバカしい……でも、これだから憎めないって思うんだから、私も相当の末期だっていう自覚はある。勉強は大事なんだってことを、もっともらしい言葉並べて誤魔化そうとする受け持ってる生徒の『成績』っていう数字しか見てない連中よりは、目の前で頭抱えて勉強が大事な理由を考えて悶絶してる鳩男の方が、よっぽど可愛げがあるっていうのも事実。


 まあ、たまには譲歩してあげてもいいかもね、なんて『らしくない』ことを考えた。


「桜花賞が終わったら、ちゃんとテスト勉強するわ。約束する」

「そんな、八神……それってもう、とっくにテスト終わってるじゃん……」


 絶望的な表情で呟く穂高燿に、さすがにバレたか、と肩をすくめた。


「分かったわよ。ちゃんと次回のテストも、梓にヤマ張らせるわ。それで良いでしょ?桜花賞に向けて、今すぐ動き出したいの。もう始めなきゃ間に合わないことくらい、アンタにだって分かってるんでしょ?私の師匠になったんだから、それくらい腹くくりなさいよ」

「いや、頼むから普通に勉強しろよ……まあ、神代も好きでやってるんだろうし、今はそれでいいか……いや、良くねえけど」


 ブチブチと呟きながら、さっきから全くもって進んでいなかった書類仕事を、この男はメチャクチャ適当な感じで机の脇に寄せた……これだから、生徒のこと何も言えないんだって、このスカポンタンは気付いているんだろうか。気付いていないに違いない。


「それで、私のことはどこに連れていくつもりなワケ?言っておくけど、パリもニューヨークもロンドンも何回となく行ってるから、連れていくなら別のトコにして」

「……お前って、そういう所でサラッと嫌味なくイヤなお嬢様だよな」


 それって、褒めてんのケナしてんの、と考えるよりも先に穂高燿の言葉は続く。


「神代から、その点に関しては聞いてないのか?お前は世界一周旅行に連れて行かないぞ。連れて行かなくても、勝手に自分で行くだろ」

「あ、そう……」


 まあ、それはそうだけど、と思いながらもフクザツな気分ではある。この男、ホントに女心分かってなさすぎでしょ……まあ、女子高生の女心なんて気にしてる美術教師とか、考えたくもないではあるけど。



「はあ……お前、こうなったらテコでも折れないんだろうから、仕方ない。もうちょい練習したかったけど、やるか」



 そう言うと「よっこらせ」なんてオッサンくさい掛け声をあげながら、クルクル回る椅子から重すぎる腰をのそのそ上げた。ガラリと開けた引き出しには、たった一本だけ大切そうにしまわれた、穂先がなだらかなフィルバートの筆。


 かすかな期待をこめて、いつものヨレヨレ白衣な後ろ姿を追いかける。穂高燿はガラリと美術室のドアを開けると(ていうか、いつも思うんだけど鍵かけときなさいよ)近場の棚に無造作な感じで投げ込まれてる絵の具の束の中から、ひょいひょいと慣れた感じで絵の具を選別して白衣のポケットに突っ込んだ。完全に私物化している。



「悪い八神、そこにイーゼル立てて」



 真新しいキャンバスを指先の腹で撫でるようにして選んでいる横顔に、初恋みたいなドキドキが心臓の奥からあふれてくる。


 選び出されたキャンバスは恐らく十二号ってトコだ……私の知る限り、穂高燿が縦向きにキャンバスを使った作品は、数多くある作品の中でたったの六点しかないから、かなりの確率で横置き。普段の腕の上げ方と目線、それから美術室の椅子の高さを考えて、即座にイーゼルの高さを調節する。ヤバい、今かなり弟子っぽいことをしてるかもしれない、なんてバカっぽい感想しか浮かんでこない。


 オイルは……意外と選んでた絵の具がオーソドックスなラインナップだったし、無難にペインティングオイルかもしれないけど、そこは本人に任せた方が(きち)。筆洗い用のオイルと拭く用のタオルくらいは、準備しておいても良いかもしれない。あとは、ペインティングナイフと筆の詰まった缶を置いとけば、本人が勝手に使うでしょ、なんて細々(こまごま)と手近な机の上に並べておく。



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