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12 ムーラン・ド・ラ・ギャレット ⑦

「済まん、こっちな」


 切り替わった映像では、きちんとしたブロック敷きの地面が続いていて一安心する。顔を挙げると、川……というより運河のようなものが目の前に広がっていて、私達はついさっきまであの上にいたのだと理解する。この、おもちゃのような独特な色合いの町並み……ヴェネツィアとはちょっと違う、恐らくは。


「アムステルダム、ですか」

「御名答……んで、目的地はこっち」


 どことなく曇り空の町並みが消えて、落ち着いた照明に包まれた室内に移動する。恐らくは画廊と(おぼ)しき白い部屋には、数は少ないものの丁寧に作り込まれた絵画や彫刻が飾られていた。一つ一つに当てられた柔らかなスポットライトや、作品を邪魔しない絶妙さで配置された樹木、カフェスペースも兼ねてるのか中央に置かれた温かみのある色のテーブルが、どれもこれも最大限にアートを楽しませるための空間を構築していた。


「素敵、ですね」


 素直な感想をこぼすと、先生は嬉しそうに無邪気な顔で笑った。


「ちょっと狭いが、悪くないだろ?どんなに名が売れていようと、ここの主人が気に入った……それも挑戦的な作品しか置かないんだ。おかげで、いつ来てもここは最前線、って感じがする。身が引き締まるんだよな」


 そう言って頷く先生は、これまでの中途半端な教師の顔から、すっかり芸術家の顔に戻っていた。その凄みを持った横顔と、作品の奥底まで見透かすような審美眼を見る方が、よほど気分的には引き締まる気がすることは黙っておく。


 それから先生は、少しばかりヨーロッパの比率が高かったものの、本当に世界中を連れ回してくれた。VRアートギャラリーの発祥地であるイギリスの、普段私がフィールドにしている『アート』とはまた違った没入型の芸術体験。お国柄なのか、それとも時代の流れに敢えて逆行しようとしているのか、近年になって第何次なのか分からないルネサンスが到来しているイタリア。ドイツは他の国に比して生活費の安さが魅力らしく、世界中から若手の芸術家が集まりシェアフラットしながら次々に新たな作品が生み出される、文字通り『アーティストの楽園』だった。


「パリの連中が、そろそろ『おはようございます』ってなる頃かな……」


 このあたりの時差って、そんなにあっただろうかと首を傾げれば、先生は苦笑いして口を開いた。


「俺の知り合いの芸術家達がいる界隈なんだが……サマータイムが廃止された頃から、もともと不規則だった生活とルーズな時間管理が、ますますグダグダになってるんだよな。俺もビックリなレベルで」


 先生がそう仰るなら、それは相当なルーズ加減なのだろうと頷く。


「……なんか今、失礼なこと考えなかったか?」

滅相(めっそう)もありません」


 私は真心をこめてそう告げる。先生は何となく納得していないような表情ながらも頷いて、次の目的地であるらしいパリに向かってフワリと足を踏み出した。降り立ったのは、何やら市場のように屋台のテントのようなものや、もっと簡易的にパラソルを広げただけの売り場がズラリと並んでいて。そこで扱われる何もかもが、普通の市場とは異なっていた。


「ぜんぶ……絵、なんですか」

「そ。モンパルナスの丘にあるテルトル広場、って言って芸術家のための市場みたいなもんだ。まあ、かなり観光地化されてるから、こんな下世話な所に用はない、って引きこもってるヤツも結構いたりするけどな。それでも、これだけの絵が並んでると壮観だろ?」


 朝だからか、まだ人の入りはまばらではあるし、いつも常連の人のスペースを空けてあるのかポツポツと穴の抜けている場所はあるけれど、全てのパラソルが開いてズラリと絵が並べばもっと素敵な光景になるんだろう。ただ、目から入ってくる情報量が(にぎ)やかで多すぎて、少しずつ酔っているような感覚が全身に回る。


「大丈夫か、神代?やっぱり、ちょっとここはキツいか」


 先生が、気遣うように私の顔を覗き込んだ。私が人の感情に当てられて、体調を崩していることなど殆どの人は気付かないけれど、先生にはいつもすぐに言い当てられてしまう。


「……ええ。一店舗ずつ見て回れば、恐らくは大丈夫だと思うのですが」

「いや、無理するな。俺もモンマルトルには、残念ながら長時間居れた試しがない……何せ、この画家の数だからな。ちょっと休憩しに行くぞ」


 先生がそう言った瞬間、穏やかな水の流れが目の前に広がって、思わずホゥと息がこぼれた。やはり、あれだけ感情の渦巻いている場所は、身体にかなりの負担がかかっていたらしい。今回はアムステルダムの再来にはならず、きちんと石畳(いしだたみ)の上に着地した先生は、恐らくセーヌ川であろう大きな川の流れに背を向けて、川沿いのフェンスにもたれるよう私を促した。


(ああ、ちょうど美術室の机の高さなのか)


 ピタリと何の違和感もなくもたれることが出来た事実に驚きつつ、完全に勝手知ったる感じでくつろぎながらパリの町並みを眺めている先生に、いつもこんな風に色々な世界を旅していたのだろうかと考えさせられる。この方の、穂高燿の作品の深みの根本はどこにあるのだろうと、きっと誰もが知りたがっていて……その片鱗に、今触れさせてもらっているのだと、唐突に自覚した。



 特別扱いされている、と理解した途端、ずっと胸の奥で渦巻いていた言葉がこぼれていた。




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