12 ムーラン・ド・ラ・ギャレット ②
いつもなら、そんな抗議やら俺のしょーもない愚痴やらを、ニコニコと聞いてくれる唯一の良心・来栖とは、学園祭の日から大絶賛微妙な雰囲気の真っただ中にある。
(俺はどうすりゃ良かったんだよ……抱き締め返せば良かった?いや、普通にダメだろ)
いくらクズ教師とは言っても、そういう方向性でのクズにだけはなりたくない。クズにだってプライドがあるのである。もう、なんのことだか分からないな。とにかく『抱き締め返す』の選択肢がなかったことだけは確かだ。
多分あれは、スポーツ選手とかが感極まって抱き締め合ったり、家族とか親しい友人同士で交わす挨拶みたいなやつじゃなくて……くそ、まどろっこしいな。とにかく、どれだけ恋愛偏差値の低すぎる俺でも、来栖が俺の背中に抱きついてきた時に抱いていたのが、紛れもない恋愛感情だってことくらいは分かっていた。
(ったく、なんでこんな亀男だの鳩男だの言われてる、ダメなオッサンを好きになっちまうかね……)
初めて来栖が俺の所にやって来て、文芸部の顧問になってくれとか言って来た時、恥ずかしすぎる勘違いをして『女子高生からの告白イベント!』なんて浮かれてた過去の俺を全力でぶん殴りたい。今回ばかりは、たとえ痛くたって殴られて目を覚ますべきだと思う。
現実の愛は、こんなにも重くてしんどくて、扱いに困る。
何が困るって、来栖があれから何も言ってくれないことだ。無理やりに『いつも通り』に振る舞おうとしてる……と言うよりも、来栖は割と上手く『いつも通り』にしようとしてるのに、俺の方が盛大にキョドるから来栖も引きずられてしまう。つまりは、俺の所為である。
そんな感じで微妙な雰囲気になって、俺が黙りこくるしかなくなってしまうと、来栖は決まって困ったように笑って『なかったこと』にしてくれる。本当に涙が出そうなくらいに大人だと思うし、自分からは何のアクションも起こすことのできない、俺の甲斐性のなさがイヤになる……こういう時、どうするのが正解なんだ?
教職に就いた時だって『生徒に告白された時マニュアル』なんてもんはなかったし、もしそんなフザけたものが存在していたって、来栖に対してそういう定型文で対応するのは、どうしようもなく不誠実であると思う。
そこで俺は、不意に気付いた。
(そう言えば俺、告白されてなくないか?)
よく考えて思い出してみると、確かに『好きだ』って類の言葉は一言も言われていない気がする。来栖は何て言ってたっけ……正直あの時は、この人生で一番テンパってた瞬間だったけど、それでもあの言葉だけはハッキリと俺の耳に届いた。そうだ。
おかえり、と。来栖は俺に、そう言ってくれたんだっけ。
あの時、来栖は自分の想いの丈(そんなものがあればの話)を一方的にぶちまけることだってできたのに、どうしてそんな言葉を選んだんだろう。ハッキリした理由は分からない……ただ、来栖が俺のことを真剣に想ってくれていることだけは確かだった。少なくとも、自分の感情や都合よりも、俺の心の方を優先して察してくれるくらいに。
(本当に、もったいないことだよな……)
俺なんかのことを好きになってくれて、ありがたいと思っている。きっと、この先ずっと一生かけて探したって、俺のことをこんな風に大事にしてくれる人間なんて、そうそう現れることはないだろう。たとえそれが世に言う『憧れの取り違え』だとか『一過性の勘違い』だとか、そういう類のものなんだとしても、おざなりにすることは許されない。
ただ、今の俺は教師と生徒としての立場があることはもちろんだし、今の来栖をそう言う対象として見ることは難しかった。いや、そういう綺麗事を抜きにしたとしても、正直に言えば俺自身に恋愛というか、他人のことを考える精神的余裕がないというのが本音だった。
(来栖がそこまで見越してる、ってのは……さすがに考えすぎか?)
実際のところがどうなのかは分からないが、今は来栖が『いつも通り』を振る舞おうとしてくれているのに乗っかるべきなのかもしれない。それは多分、人としてかなりズルい……最悪なことをしている自覚はあるけど、いま目の前の問題が片付いてから時間をかけて考えさせてもらうことにしたい。本当に申し訳ない。その時はいくらでも頭を下げよう、と心の中で来栖に誓う。本人に聞こえてないから意味ないけど。
一先ず息を吐いて、目の前の問題を整理する。とは言っても、かなりシンプルで、だからこそ答えを出すのが難しい問題だった。




