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11 印象・日の出 ⑦

 神代の勢いに押されて、若干引き気味にコクコクと頷くと、神代と来栖の二人は顔を見合わせて満面の笑みを浮かべると……引き寄せられるようにハイタッチを交わした。マジか。


「やったね、梓ちゃんっ」

「はい!色バランスが少々不安でしたが、先生がそう言ってくださるのであれば」


 珍しく年相応の笑顔を浮かべて、来栖と一緒に飛び跳ねている神代に、なんでかちょっとホッとして鼻の奥がツンとする気がした。ちょっとウルウルする目を拭って、よし、と気を取り直して二人に向き直る。そろそろリアルに時間が厳しいからな。


「お前らが作った最高傑作、見せてくれよ」

「っ……はい、勿論です」

「ご案内は、私達にお任せくださいね」


 来栖が張り切って、小さな手でトントンと胸を叩いて見せるが、頼もしさと言うよりも微笑ましさしか感じられない。まあそこが来栖の持ち味だよな、と思いながら差し出された何かのプレートに目を落とす。


「注意事項?」

「はい。そこまで大袈裟なものでもないんですが……ときどき真っ暗になることがあるんですけど、演出なので心配なさらないでくださいね。あとは、奏ちゃんが三番目の注意事項を強調しておくようにって言ってたんですけど」


 そこには『危ないので、走り回らないでください』と書かれていた。


「俺はガキかよ……」


 ボヤきながらも、念のため全ての注意事項に目を通す。机が配置されているので、歩き回りたい場合は安全のためそれに触れながら進むこと……突然の(まぶ)しい光などに弱い人や心臓の弱い人、高所恐怖症、小さすぎるお子様はご遠慮ください……他のお客様のご迷惑になるので、展示を見ている間の会話はお控えください……そんなところか。


「まるで遊園地のアトラクションだな」

「はい、時間設定もきっちり決まってるんですよ。適度な時間で、できるだけ沢山の人に楽しんでもらえるように、って灯ちゃんが言ってました」


 そりゃ完全に作り手側の発想になってるな、と思わず苦笑する。ただ、それだけの意気込みをこいつらが持っている作品に対して、これまで関われなかったことで拗ねていたのも忘れて、久々にワクワクした気分を感じている自分がいた。


「先生」


 俺から注意事項のプレートを受け取り、真剣な表情で見つめてくる神代に、どうしてか呼吸が止まる。たまにこいつは、こんな風に目が逸らせなくなるような瞳で、俺をじっと見つめることがある。それは決まって、何か大事なことを伝えようとする時で、思わず息を止めて瞳の中に浮かぶ色彩からその『何か』を読み取ろうとしてしまう。


「あなたが最初に手にしたものが、その道行(みちゆ)きを照らしてくれるはずです。どうかその灯を、手放さないようにしてください。そうすれば、必ず帰って来ることができるはずです」


 その言葉で、一気に引きずり込まれていくのを感じた。ああ、そうだ。この展示のタイトルを思い出す。


「あなたの帰り着く場所を、どうか思い出してください……ようこそ『Storia della pioggia』の世界へ」


 完全に八神の趣味でつけられた、イタリア語のタイトル。意味は『雨の物語』……イタリア語とカッコつけてるクセしてあまりにも率直な言葉に、初めて聞いた時は失礼にも八神のネーミングセンスを疑ったりもしたもので。ただ、今は純粋に心を惹かれている。見慣れた美術室の扉の先に、どんな世界が広がっているのか。


 灯が、来栖が、八神が、神代が……『アート』の世界に何を見出したのか。


 俺を見送る二人に背を向けて、目を閉じて息を吸い込む。そっと手をかけた美術室の扉を、思い切って開いて足を踏み出した――



 *



「へ……?」


 そこには、いつもと何も変わらない美術室の風景が広がっていた。ただ一点を除いて。


(天井が、ない)


 上を見上げれば、ただただ突き抜けるような夏の空。一瞬、隕石でも落ちて本当に屋根がなくなってしまったのか、と錯覚してしまいそうなジリジリと照りつける太陽。天を()く真っ白な入道雲が眩しいくらいで。


 その空から、不意にきらりと光るものが降ってくる。


(雨、か……?)


 ただ、雨ならば木の床や机に染み込んで消えていくはずの水滴が、形を留めたまま太陽の光を浴びてチラチラと輝いているのが見える。そして遅ればせながら、これがただの雨ではないことに気付く。


「宝石だ……」


 思わず零れた言葉を、拾い上げるみたいに宝石の雨が瞬き始め、空から降るきらめきが緩やかに数を増していく。その中で、一際(ひときわ)輝く緑色の雨粒がゆったりと俺の目の前に降ってくる。思わず手を差し伸べると、その宝石は俺の手の平に吸い付くようにして舞い降りた。


 水を封じ込めているみたいにトロリとした光沢を持ち、深い森に立つ大樹の緑を溶かしたような鮮やかさを持つエメラルド。どこか不規則で荒削り、自然の力でカットされたかのようなコロリと丸みを帯びた緑の粒は、手の平の中で息づくように優しい温もりをもっていた。




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