11 印象・日の出 ⑥
きっとこのまま続けてれば、色んな意味で極楽浄土に行けそうな気がする。それでも客足は途切れない……学内の生徒だけでこれとか、明日なんてもっとヤバいんじゃないのか。まあ、なんだかんだ言ってそれなりに金のかかった事前準備になってしまったから、客が入らなけりゃ困るんだが限度ってものがあんだろ。
今回の出店で一番金がかかったのは、実を言うと俺達の着ているウェイター服だったりする。その次が紅茶代だ……とにかく、絶対にCGじゃ誤魔化せない現物で、その道のプロがいないものに金がかかってる感じだ。それを回収するために、二日目の閉店後、カフェで使用したカップやテーブルクロス、展示していた絵を来場者に売り飛ばすことで採算が取れるって踏んでたんだが、これは何の心配も要らなかったかもしれない。それどころか、俺達の心の安寧を守るためにも、もっと入場制限をかけたっていいくらいだ。
もはや顔の感覚はないし、何も考えられなくなっていく。疲れさえ忘れて、ナントカ・ハイみたいなのに足を突っ込みかけてるヤバい感覚がある。そんな危うい状況の中で、ようやく救いの時はやって来た。
(キュウケイ、ハイッテイイワヨ)
口パクで伝えられた言葉に、俺は手に持っていた紅茶をひっくり返してでも外に駆け出していきたい気持ちでいっぱいだった。その衝動をグッと堪えるだけで、十年分くらいの忍耐を使ったに違いない。
気付いたら、トイレの個室でパンイチになってボンヤリと立ち尽くしていた。何があった、と自分に問いかけても記憶が完全に欠落している。手にはさっきまで着ていたはずのウェイター服があったけど、頼むからこの個室で脱いだんだと誰か証明して欲しい。このトイレから一歩外に出たら、犯罪者になってましたなんてオチは笑えない。
ただ、俺の一日目は無事に終わったんだと、今更のような実感が湧き上がる。謎の開放感に包まれながら、いつの間にか手にしていた白衣一式に袖を通した。そのタイミングを見ていたかのように、ピコン、とメッセージの通知が入って全力でビビる。普段はレゾナンスなんて外してるし、ましてやシンクロなんて切ってるからな……
『どこで油売ってんのよ!もう芸術部の展示始まっちゃうでしょ!とっとと着替えて見に来なさいよ!』
マジか、ついさっきまで接客に回っていたはずの八神が、美術室に瞬間移動している。俺は既に全身バキバキの筋肉痛で床をのたうち回りたいのを必死に堪えながら、ボロボロの身体を引きずってトイレを出た。
(そういや……)
青木が芸術部の宣伝見とけ、とか言ってたっけと立ち止まり、さっきの広告設定を開いてローカルネットの検索を入れてみる。一見、視界に入る世界は何も変わったようには見えずに首を傾げていると、不意に鼻先を何かがかすめていって、思わず目を瞬かせた。
蝶だ……熱帯魚の尾びれみたいに繊細な黒い羽を優雅に広げて、スッと入った深い緑の線が宝石みたいに美しい蝶。吸い寄せられる視線の先、更に目に入ってきた『宣伝』とやらを二度見して、俺は思い切り吹き出してしまった。
『美術室で芸術部の展示開催中!僕たちについてきてね!』
そんな言葉の書かれた横断幕を、二羽の小鳥がくちばしでつまんで、必死こいて羽をパタパタさせながら目の前を飛んでいく。その後を、更に小さい雛みたいな鳥が、めいっぱい愛嬌を振りまきながら二羽の後を、危なっかしくホヨホヨ飛んで追いかける。
(……わーったよ、行きますよ)
俺は苦笑しながら『あざとい』小鳥たちの行進を追いかけた。この宣伝とやらを考案したのは間違いなく来栖だろうな……グラフィックとか動きとか、ムダによく出来すぎてて一瞬本物の鳥かと勘違いするレベルだし、ここから既に展示は始まっているらしい。
「あっ、穂高先生!よかった……」
「先生、お待ちしておりました」
安心したように息を吐く来栖と、相変わらず律儀に頭を下げる神代の二人に出迎えられ、意外な組み合わせに首を傾げる。
「灯と八神は?」
「二人は、そろそろプログラムに記載してある芸術部の開会時間が近いので、そちらの最終確認と調整で裏方に入っています」
いつも通りの平静さで端的に答えをくれる神代に、頷きながらも引っかかりを覚える。
「ん?準備はキッチリ終わったって聞いてたんだが、何かトラブったか?」
俺が不安に思って訊くと、来栖がふるふると首を横に振った。
「二人が確認しているのは、お客さんの管理システムの方なんです。その、最初に想像してたよりもずっと沢山の人が宣伝の小鳥さんに興味を持ってくれてる、って統計データが上がってきちゃったみたいで……そんなにお客さんが来るかもーなんて私は想定してなくて、すっかり二人に任せっぱなしになっちゃいました……」
「まあ、あの宣伝なら来たくなる気持ちも分かるわな。俺もあれを追って来たぞ」
俺の言葉に、それまで大人しくしていた神代がバッと顔をあげた。
「本当ですか」
「お、おう……よく出来てた」




