11 印象・日の出 ④
「紅茶班、茶葉の在庫確認!」
「さっきした、問題ナシ」
「クロスとか装飾の配置、もう一回見直してっ」
「開始まで、もうあんまり時間ないから急いで!」
「最初の回のホール担当、着替えてないヤツはさっさと着替えろ!事前チェックと微修正入れらんないだろうが!」
「はいスミマセンっ」
え、もう既に戦場なんですけど、と思わず途方に暮れて立ち尽くす。準備してた段階から思ってたけど、なんでお前らこんなに気合い入ってんの……
「先生、サボらないで来たのはいいけど、そんなトコに立ってると邪魔っ!あ、青木君が引きずってきてくれたんだ、ありがとう!お願いした備品は?」
「はい、これ。数合ってる?」
そこで『先生』という言葉に反応してたのか、部屋の装飾を難しい顔で点検してた八神がつかつかとこっちに歩み寄ってくる。
「青木、でかしたわ!センセイ、早くこれ着替えてきて!」
「……は?」
渡されたのは、この準備期間中に衣装班が凄まじい形相でミシンをカタカタ言わせ続けて作っていたウエイター衣装。イヤな予感、というよりも現実に思わず八神の表情を窺ってしまう。そこには、般若よりも怖いティラノサウルスが牙を剥いていた。
「つべこべ言わず、とっとと着替えろって言ってんのよ!ここで剥かれたいのっ?」
「今すぐ!着替えてきますっ!」
ほとんど脊髄反射で背を向けた俺は『逃亡』なんて言葉が浮かばない危機感に追い立てられて、無心で服を脱ぎ捨て衣装に袖を通した。
(うわ、ピッタリじゃん……)
トイレの鏡に映った俺は、ピタリと身体のラインに沿うようにして一分の隙もなく縫製された、手縫いの刺繍がドン引きなレベルでこだわり過ぎているオーダーメイドのベストとズボンに顔を引きつらせた。誰だよ、俺の身長からスリーサイズまで目算でピタリと当てた変態は。普通に怖いわ。
そんな背筋をじわじわぞわぞわ駆け上がる悪寒を感じてるヒマもなく、着替え終わった自分の服を手早く白衣でグチャっとまとめて小脇に抱えると、トイレから走り出て八神の元に戻った。仁王立ちして、完全な鬼軍曹と化している八神は、ニヤリと悪鬼羅刹のごとき笑みを浮かべて俺の前に立った。
「よし、逃げないで来たわね……背筋伸ばす!ダレるな!」
「はいっ」
条件反射で伸ばした背骨がバキリとイヤな音を立てるが、そんなの構っちゃいられない。いまここで逆らえば、絶対に後悔することになると本能が告げていた。既に俺は、この協調性皆無であるはずの芸術科クラスの男どもが、たった数時間でカンペキなフットマンに仕立て上げられていく、ちょっと倫理的に放送できない残酷な現実を何度も目の当たりにしてきたからだ……いつの間にかセッティングを終えた執事とメイド、もといホール担当の芸術科の生徒達が鬼気迫る表情でズラリと並ぶ。
「お客様は?」
「神様です!」
改めてビシリと姿勢を正して声を張り上げる。こんな大声を出したのは十数年ぶりかもしれない。普段なら恥ずかしくて数日は寝込むレベルの状況だが、同じ境遇の生徒達が隣で俺よりも張り切って声を挙げているので、泣き言を言っていられない。
「お出迎えとお見送りは?」
「九十度の美しいお辞儀でっ」
ハキハキした掛け声と共に、上体を直角に折り曲げる。腰がベキリとか鳴ってる気がするが、気にしてる場合じゃない。
「ご用件を承る時は?」
「左胸に右手を!お客様に視線を合わせますっ」
ザッ、と一斉に跪き、付け焼き刃の優雅さでスッと胸に手を当てる。
「表情はいつでも?」
「穏やかに微笑んで、優雅なひと時を演出します!」
いつもは死んでいる表情筋を無理に動かしたことで、思わず目に涙が滲む。
「我々の使命はなんだ!」
「芸術品を引き立てるための糧となること!」
「そしてお客様は!」
「神様です!」
トドメにお決まりのセリフをもう一回腹の底から叫ぶと、自分が何か大切なものを失ってしまったような、それでいて自由の羽を手に入れたような、そんな奇妙な爽快感と熱が全身を支配する。もちろん、穏やかな微笑みを崩すことはできない。例え顔が引きつりそうでも、根性でひたすらに耐える。
「よろしい」
満足そうに頷いた八神を見ても、俺はビシリと伸ばした姿勢を崩す、なんて恐ろしいことを試そうとすら考えなかった。完全に洗脳されている自分をどこか遠くに感じて、ゾクリと背筋に悪寒が走る。俺、このまま真人間を通り越して、執事になるのかもしれない……
「全員配置についたわね?カウントダウン、いくわよ!」
『学園祭開始五秒前、四、三、二、一』
ついに、長い長い悪夢の二日間が幕を開けた。
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