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10 星月夜 ⑥

「梓、向こうにりんご飴、売ってたわよ」


 八神の言葉に、それまであちこちをキョロキョロしていた神代が、謎の意気込みを見せる。


「それは是非とも買いにいかなければなりませんね」

「イチゴ飴って、あるかな……?前に一回だけ食べたことあるんだけど、すっごく美味しかったんだ」


 来栖が何やらハイカラな(どうなんだろう、俺が食べたことないだけか?)りんご飴の親戚みたいなやつの名前を口にする。


「同じ店に売ってたわ。ついでに一通り食料調達に行きましょ」


 見ると、八神の手の中の水飴は綺麗さっぱりなくなっていた。何というか、見かけによらず健啖家(けんたんか)、と言うべきなのか。よく分からんけど、八神が祭のエンジョイの仕方を完全に確立してるってことだけは、このそう長くはない時間だけでもよく分かった。


「ほら、センパイ達も行くよ」

「あっ、うん!お兄ちゃんも、いこっ」

「ん……」


 人混みの間を軽やかな足取りで進んでいく四人を眺めながら、こういうのもたまには悪くない、と珍しく素直にそう思う。この時間がなんだか不意に尊くて、かけがえのないものみたいに思えて、思わずその場に立ち尽くしてしまう。


 俺がこれまで無意識に受け取っていたものの正体が、思いもしないタイミングで指先に触れたような……そんな、気がして。


「先生?」


 いつの間にか神代が目の前に立って、俺を見上げていた。それでやっと、どんな言葉を探していたのか、その端をつかんだ。


「優しい……世界だと、思って」


 神代は、俺の訳が分からないはずの言葉に、頷いて笑った。


「とても……とても、綺麗な色ですね」


 きっと、俺と神代に見えている世界は違う色をしているんだろうが、それでもお互いに言いたいことは分かっていた。


(ああ、なんだか)


 夢の中にでもいるみたいに、足元が(うわ)ついている。こんなにも世界は色と光に満ちていたっけ。この光景をよく知っているようで、逆に知らない異世界にでも迷い込んでしまったような感覚が、胸の奥にまとわりついてくる。でもそれが、もどかしくても心地よくて……手放したくないとすら思う。


 神代が想像してたよりもりんご飴が()っぱかったから、いつもは殆ど動かない表情をめいっぱいに動かしてみんなを笑わせたり。来栖がダーツで謎の投擲力(とうてきりょく)を見せて、スタイリッシュに景品を奪取して場を湧かせたり。灯は型抜きみたいな細かい作業ものが得意だよな、と俺が振った話に八神が食らいついて、壮絶な型抜きバトルが始まったり。


 そういう、どうでもいいくらいにバカバカしい一瞬の全てが、心のどこかに引っかかって優しい爪痕を立てる。


(どうして……)


 どうして俺は、いま、こんなにも泣いてしまいそうなんだろう。



 ドンッ、ドォンッ



 空気が、震える。物心ついた時から知っているはずの合図が、初めて聞いたみたいに心臓から指先までをビリビリと痺れさせる。



 花火が、上がる――



「行くわよ!」


 八神の掛け声で、俺達は事前に決めていた場所に向かって一斉に走り出した。祭の開催場所とは、少し離れた穴場。二段ある土手を上って、手すりのついている歩道の始まる場所。そんな名前もついていない曖昧な場所で、まだ誰も来ていない特等席に立って、俺達は待った。


 ギュッ、と。


 不意に、夏でも冷たい俺の手を、暖かい手が握る。


(灯、か……)


 チラリと横を見ると、灯が俺の手を握っていることにも気付かない様子で、ひたすらに空を見上げていた。花火を待つ時は、いつもこうだ。隣にいるのが母さんだろうが父さんだろうが、俺だろうが……はたまた知らないオッサンやオバサンだろうが、手を握らずにはいられない。灯の数少ない、困ったクセ。


(そういうところは、変わらないのな)


 俺が苦笑していると、ふと、灯の左隣にいる神代と目が合った。


(お前もか、神代……)


 ちょうど灯の隣に立っていたらしい神代が、灯の左手の犠牲者になったらしい。急に手を握られたら、普通はビックリするもんだろうに、神代はいつもの涼しい顔して当たり前のようにその手を受け容れていた。


 なんだか、それが訳もなくおかしくて。こみ上げて来そうなのが、笑いなのか……それとも、さっきから堪えている涙みたいなものなのか。



 そんなゴチャゴチャした何かを、何もかも吹き飛ばすような、音が響く。



 *



 どぉぉおおんっ



(きれい、だ……)


 本当にキレイなものを見た時、人は言葉をなくすって言うけど、それは本当なんだって初めて実感してる。ううん、初めてな気がするだけで、本当はもっとずっと前に感じたことのある感覚で。きっと忘れてしまってた……忘れたフリをしてただけ。


 この熱くて、心臓のど真ん中に叩きつけるみたいな、苦しいくらいの感動を。


和火(わび)だ……珍しいもんだな」


 ポツリと、お兄ちゃんが呟いた言葉が、お腹の底に響くみたいな轟音の隙間に溶けていく。和火がどんな花火かって話は、前にお兄ちゃんから聞いたことがある気がする。お兄ちゃんは『光と色』のことに関しては、正直引くレベルのオタクだったりするから、私が理解してるかどうかもそっちのけで色々と語ってたりする。


 その時の(ちょっと曖昧な)記憶を掘り返すと、花火には和火と洋火っていうのがあって、今の時代に打ち上げられてる花火のほとんどが洋火で、明治維新が起きてから日本に入ってきた西洋の知識を使って改良されてきた花火。それに対して和火っていうのは、江戸時代から作られ続けてきた、洋火に比べて材料がかなりシンプルで伝統的な花火のこと。そんな感じだったと思う。



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