10 星月夜 ⑤
「八神、お前は意外と俺のことを分かってないな」
「……はい?」
律儀に首を傾げ返す八神に、俺は溜め息を吐いて説明する。
「あのな、射的の銃って昔ながらの粗悪な木と鉄でできてるヤツが多いから重いんだよ。筆とパレット以上に重いものを持てない俺には、まず持ち上がらない。実体験だしな!んでもって、例え持てたとしてもコップみたいな小さい的にはまず当たらん。無理して乗り出そうとすれば、いつもは使わないスジが引きつって、絶対に攣る……一週間は再起不能だな」
それこそ顔を引きつらせて俺の言葉を聞いていた八神に、俺は胸を張って断言した。
「つまり、無理だ」
「アンタがどこまでも残念な兄なんだってことは、よく理解したわ……灯センパイに、ちょっと同情するし、よくここまで耐えてきたって尊敬する」
そうか、八神が先輩に対して尊敬の念を抱くなんてことを覚えさせられたなら、俺も身体を張って己のダメさ加減を開陳した甲斐があったというものだな。
(けどま、いつも世話になってる灯に、何かしてやりたいってのはあるけど……)
幼稚園児並の腕力と老人並の瞬発力しかない俺にでもできること、なんてあったっけ?そこはかとない不安を抱えながら周囲を見渡す。輪投げは命中力ないから無理。昨今では珍しくなった型抜きも、絶対に途中で割れるから無理。くじ引きは楽だけど、くじ運がとんでもなく悪いから無理。え、俺ってば無能じゃん……
分かり切っていた事実にガックリと肩を落としていると、ふと一つの屋台が目に留まる。あれだ、唯一昔から俺が得意なやつ。フラフラと引き寄せられるように歩いて、懐から財布を取り出す。
「五千円札しかない……八神スマン、三百円貸して」
「アンタよくこんな年下の、それも生徒からお金借りようなんて思えたわねっ?アンタにはプライドってもんがないの?」
「ねえよ……」
「あ、そう……」
そんな俺達のやり取りが、あまりに哀愁漂っていたのか、店主のオッサンが声をかけてくる。
「兄ちゃん、こんな可愛い子から金なんか借りてんじゃねえよ。釣り銭出してやっから、五千円札でいいよ、ホレ」
「すんません、ありがとうございます……」
俺に釣り糸を渡すと、オッサンは呆れた表情で改めて俺達を見た。
「お嬢ちゃんも、彼氏のこういうダラシないとこにはビシって言ってやらないと」
「え、ああ、はい……って、彼氏なんかじゃないわよっ。誰がこんなヤツ」
八神の返事に、オッサンが眉を寄せた。
「ああ?じゃあ、どういう関係なんだ……まさか」
そのオッサンの勘繰りに、さすがにヤバいものを感じたのか、八神が珍しく慌ててパタパタと手を振った。
「あ、あー……親戚?みたいな!そんな感じよ!まったく、昔からダメなヤツだから!ちゃんと言い聞かせておくんでっ!」
「お、おう……そうか」
何やら頭上で(必死な)茶番が繰り広げられているのを余所に、俺は恐らく人生で三本指に入るくらいの真剣さで、そのプールと睨み合っていた。浅いビニールプールに浮いているのは、色とりどりの丸いヨーヨー。
祭灯に照らされて、夕闇の中で鮮やかに浮き上がって見えるそれらは、どれも魅力的に思えて悩ましい。同じ色でも、水玉だったり縞模様だったりと、目にも楽しく俺を誘ってくる。
(あれだ)
その中で、たった一つお目当てのそれに、呼吸を止めて釣り糸を寄せた。紙よりももろい糸をより合わせただけの釣り糸が、ヨーヨーの重みで頼りなく引きちぎれていく。でも、この一回分だけならもってくれる……はずだ。
「よっしゃあっ!」
プラスチックの釣針の先に引っかかった大きなヨーヨーが、俺の手に収まった瞬間に釣り糸が千切れる。
「ありがと、オッサン!」
「お、おぅ……」
俺の勢いに押されてるオッサンを置いて、俺はいそいそと灯の元に戻った。
「灯っ」
「えっ?どうしたの、お兄ちゃん……そんな慌てて」
反射的に俺へと手を伸ばした灯に、俺はさっき取ったばかりのヨーヨーを手渡した。
「これって」
「その、いつもありがとうな。こんなんじゃ、礼にもならないのは分かってるけど……」
灯の手の中で、まだ水に濡れたままのヨーヨーが祭灯を映して、中に入った水もちゃぷちゃぷと跳ねる姿が楽し気な色で影になって見える。色は灯が見ていたコップと同じオレンジ色……灯の好きな色だってことは、知ってる。縞模様の緑色の線が入ったニンジンカラーのそれは、普段の俺なら絶対にしないチョイスだけど。
「ううん、嬉しい……ありがと」
はにかんだ灯が、ヨーヨーを繋ぎ止める輪ゴムで出来た紐の先を、指輪みたいにそっと薬指に通した。子供の頃みたいにヨーヨーを跳ねさせて遊んだりはしないで、揺れるヨーヨーを見つめて笑ってる姿に、いつの間にかこんなに大人びて綺麗になってたんだなと、不意に気付いた。
気付くのが、遅すぎたくらいだ。いつまでも、守ってやらなくちゃいけない、小さくて可愛い妹のままだと思ってた。俺にとって世界一可愛い妹であることは変わらないけど……それでも確かに、俺よりもずっと早いスピードで、灯は大人になってる。
それはきっと俺のせいで……でも、それを悲しんだり申し訳なく思ったりするのは、きっととても失礼なことだってことくらいは、俺にでも分かってた。
(本当に、綺麗になった)
こんな瞬間に気付かされるなんて、ある意味俺らしいと言えば、俺らしいのかもしれない。子供みたく無邪気に喜んでっていうよりも、何かを懐かしむみたいに柔らかく笑ってる灯に、なんだか胸の奥がじんわり温かくなって、何かが溶け出していく音が聞こえた気がした。




