09 ヴァトーのピエロ ⑦
「どうしたの、結ちゃん?」
え、と思う。いきなり現実に引き戻されて、正直何の話をしてたんだっけ、と一瞬だけ思考が止まる。私を覗き込んだ灯ちゃんの瞳に、間の抜けた表情で目を見開く私が映っていた。
「お兄ちゃんに制作過程、見てもらえないの……そんなに不安?」
首を傾げる灯ちゃんに、ああ、とようやく思い出す。先生に学園祭の制作を見せないで大丈夫かどうか、って話をしてたんだっけ。自分で始めた話なのに、この前の公開授業の衝撃が強すぎて、今もまだ夢の中にいるみたいな感覚が抜けていないのかも。
私は首を横に振って、灯ちゃんに答えた。
「ううん、ただ……私が芸術部を復活させたいって言ったこと、先生にとって迷惑だったかな……って。ちょっと考えちゃった」
だって、先生はちっとも楽しそうじゃなかった……それどころか、ずっと何かに追いかけられ続けてるみたいに苦しそうで。何もかもを背負って押し潰されてしまいそうな背中を向けて、たった一人でキャンバスに向き合っていた。
先生にとって、芸術がそんなに苦しいものなんだとしたら、私がしてきたことは先生にとって迷惑なことでしかなかったのかもしれない……なんて、今更そんなことを考えて。私が私の恋心のために、好きな人を傷付けてしまっていたんだとしたら。それはきっと、恋であっても、愛じゃない。ただのワガママで、先生を振り回しただけだ。
「そんなことないよ」
灯ちゃんは、強い口調で言い切った。まるで、私の心の声が聞こえてたみたいに。
「そんなこと、ない……少なくとも、私はお兄ちゃんの家族として感謝してる。ずっと、お兄ちゃんは心の底では絵を描きたがってた。筆だってずっと捨てられなくて、レゾナンスって可能性に縋って……でも、背中を押してくれる何かが、誰かが必要だったの。それが多分、芸術部だった。私達四人じゃないと、ダメなんだよ。でも、その四人にしてくれたのは結ちゃんでしょ。気付いてる?」
ニコッと笑ってくれた灯ちゃんに、思わず言葉が迷子になって見つめ返す。
「理由とか動機とかはどうあれ、結ちゃんがお兄ちゃんと関わろうとしてくれたから、いまの芸術部があるんじゃん。私達が四人で集まるようになってから、確かにお兄ちゃんは変わったよ。苦しそうな時だってもちろんあるけど、前よりずっと『生きてる』って感じがする。お兄ちゃんの止まっていた時間を動かしてくれたのは、確かに結ちゃんだよ。だから、迷惑だなんてことは、絶対ない……って、私が言い切っても、しょうがないのかもしれないけど」
困ったみたいな表情で笑う横顔に、私は胸が熱くなるのを感じた。
「ありがとう、灯ちゃん」
しみじみと私が呟くと、灯ちゃんは照れ臭そうに、それでもちゃんと頷いてくれた。
「それじゃ、今はとにかく私達だけで、出来るとこまでやってみよ。そもそも天才少女二人組がいるんだから、何も心配することないと思うけどね」
それもそうだったかも、と私も頷く。
「一緒にしたら、奏ちゃんにちょっと怒られちゃいそうだけどね。でも、梓ちゃんなら喜びそう」
「確かに。あれでバランス取れてるんだから不思議よね……でも、こんなにバラバラだけどさ、なんとなく今回の学園祭、目指してるものはみんな同じ気がするんだ」
そう。私が一番驚いたのが、あんなに穂高先生の弟子になりたい、絵を教えて欲しいって言ってた奏ちゃんが最初に『センセイには、今回の展示に一切協力しないでほしい』って言い出したことだった。このたった数ヶ月で、何が奏ちゃんを変えたのかは分からない。でも、灯ちゃんの言うように、今の私達は一つの目的に向かって、限りなく近い場所で分かり合えてるような気がしていた。
「それに、あの天才穂高燿の驚いた顔、見てみたいでしょ?」
イタズラっぽく付け加えられた灯ちゃんの言葉に、いつでも飄々(ひょうひょう)としてるか、ボンヤリしてる先生の顔を思い浮かべる。
「ちょっと、見てみたいかも」
顔を見合わせてクスクスと笑い合う。結局は、色々とタテマエを並べても、そんな単純な動機に落ち着いてしまうのかもしれない。私達はとにかく、先生を『あっ』と言わせたい。
「ま、今日は課外活動、と言う名の単なる『みんなでおでかけ』だから。ちゃちゃっとクラスの手伝い終わらせちゃって、夕方のお祭りに備えよー」
「うん……!お祭りなんて久しぶりだから、すっごく楽しみ!」
今日は地元の花火大会(って言うにはちょっと小規模だけど)を兼ねた夏祭りに、芸術部のみんなで遊びにいく約束をしてる。灯ちゃんの『お祭りなんだから浴衣必須でしょ』なんて鶴の一声で、みんなの浴衣姿も見れることになって……私もはりきって、おこづかいで浴衣買っちゃったし。何より。
(先生の浴衣姿、楽しみだなぁ……)
なんて、ほわほわした気分で考えて。長い長い、夏の夜は、もうすぐそこまで来てる。
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