09 ヴァトーのピエロ ③
「神代さんは、先生を甘やかすからダメ!」
八神に次ぐクラスのリーダー格の女子・高崎は、俺や神代の習性をよく理解していらっしゃったらしい。ちっ……余計なことを、と舌打ちするまでもなく、俺の生命線は絶たれた。今更逃げ出しても、どうにもならんだろうと開き直り、教卓にしがみつく作戦に出る。
「しょうがないわね……ほら、行くわよセンセイ」
滅多に口にしない『先生』という敬称を、思いっきり小馬鹿にした感じで呼びながら、八神は『よっこいせ』って感じで俺の首根っこを引っ掴んだ。引き剥がされた。ベリベリベリッって感じで、力尽くで。
「っ、俺のベッド……!」
「いつから教卓は、アンタの寝床になったのよっ!ここのトコ毎日だけどね!」
自分で自分の言葉にツッコミながら、俺を白衣ごと自動ゴミ吸い取り機にしてズルズルと引きずっていく。相変わらず首根っこを引っつかんでるから、逃げられない上にオエってなっちゃうヤツだ。
「だいたい、往生際悪いのよ。ここから先、普通の教室の区画に入るんだから、ちょっとくらいシャキっとしてよね……いや、そんな難易度高い要求はしないから、せめて自分の足で立ってちょうだい」
「うへぇえええ……」
自分でも気色悪いなって思う感じの言葉にならない音を発しながら、俺は軟体動物なみに役立たない足をなんとなく踏み出した。
「うわ、重力が重い……」
「意味分かんないこと言わないでくれる……車なら、環境には悪いかもしんないけど、好きなだけエアコンかけられるでしょ」
「がんばる」
「ほんっと、単純」
呆れたような声でそう言って、それでも出会った時ほどのトゲトゲしさは感じない。この短期間で、こいつも変わったよなと思う。俺も少しは変わった、のか?相変わらずこんな感じのダメ教師だけど。いや、ヒトとしてダメな感じだけど。
「それに」
さっきより、ちょっと声のトーンを落として、うなだれる俺の耳元に八神が顔を寄せる……ちょっと、あんまり接近しないでくれます?ドキドキしちゃうからとか、そういうカワイイ理由じゃなくて、単純に暑苦しいから。
「今日は……この後みんなで夏祭り、でしょ?それを楽しみに頑張りなさいよ」
「……うわ、逆にやる気なくす」
まだこの後イベントがあったのか、とゲンナリする俺に八神が信じられないとでも言いた気な表情を見せる。
「美少女、それも花のJK四人も連れて夏祭り行けるのよ?喜びなさいよ」
「うわ、自分でそれ言うか……それ、もうただの引率じゃん。ダルい……灯に付き合うくらいだったら普通に楽しめたのに」
八神が『うわぁシスコン』を見るような目で俺を見る。その認識は間違ってない。
「アンタの大好きな妹様が、そもそも『みんなで夏祭りに行こう』って言い出したんでしょうが」
「そうじゃなかったら、外出なんかするかよ……」
八神が『うわぁ引きこもり』を見るような、以下略。とにかく、女子高生に夢を見ないと心に誓っている俺は、この後の夏祭りイベントを全く心待ちになんてできないのであって。
(むしろ、女子高生かどわかしてる変質者とか思われなきゃいいけど……女子高生怖い)
そんなことを考えてるうちに、歩くのも面倒になってきて、車にたどり着く前に行き倒れ……もとい座り込みを始めて、再び八神に引きずられる。
「ほら、灯センパイ達の教室通るわよ」
俺がボンヤリと首を巡らせると、教室で作業をしていた来栖と灯がこちらに気付いて手を振った。来栖はくもりのない笑顔で、灯は呆れたような笑顔で。うん、来栖よ……お前の純粋さに俺は救われてる。
ただ、灯が手を下ろすと、素早く空中で何かを打ち込んだ。
ピコン
(ん……?)
視界の片隅でメッセージの着信アイコンが点滅して、ボンヤリした頭でのっそりと開く。
『お兄ちゃんへ。あとで一緒にお祭り行くの、楽しみにしてるね!あんまり奏ちゃんに迷惑かけちゃダメだよーお互い頑張ろ!』
はい、お兄ちゃん頑張ります。
不意にしゃっきりと背筋を伸ばして歩き出した俺に、八神がおかしな生物を見るような目をした。まあ、それも間違ってはいない。だって、シスコンってそういう生き物だろ?
*
「なんか、すごかったね……」
そんな仮にも小説を書いてる人間としては、ちょっと情けないような感想が、思わずこぼれた。だって、それ以上に何が言えるかな……八神さんにやる気なくズルズル引きずられていたのが、唐突にピシリと背筋を正して歩き始めたのは、もしかしなくても灯ちゃんが原因だと思う。
愛されてるなあ、とは思うけど……それが明らかに兄妹愛?である上に、果てしなく愛が重いから素直に羨ましいとは思えないなって。現に、灯ちゃんも引きつったような笑顔を浮かべてる。
「あんまり奏ちゃんに迷惑かけるのもなーって思って、ダメ元でメッセ送ってみたんだけど、ここまで効果テキメンだとむしろ引くって言うか……」
「あはは……」
全く同意見だけど『そうだよね!ドン引きだよね!』って賛成するのもどうかと思って、ちょっと反応に困る。それを灯ちゃんも察してくれたのか、ニコリと気を取り直したような笑顔を浮かべて話を変えてくれる。




