08 ホラティウス兄弟の誓い ④
『シンクロ――!』
コマンドと共に、目の前に『MODE:SYNCHRO』の文字が現れて溶ける。小さくシンクロモードで繋がっていることを示すアイコンが表示されているものの、それさえ表示設定で消してしまえば、ただ普通の教室が広がっている。誰かがアクションを起こさない限り。
「「アクセス・アート」」
八神さんと神代さんの声が重なって、二人の姿が魔法みたいに切り替わる。
私と結ちゃんは、思わず顔を見合わせた。お互いの顔に驚きの表情が広がってるのを確認して、目の前の光景を二度見する。
意外だ……意外すぎる。二人とも『アバター』とか、作りそうなイメージないのに。レゾナンスには、MRならではと言うべきかシンクロ状態にないと適用されないものの、自分の見た目を『アバター』で塗り替えることができる。服やアクセサリー、かなりリソースは食うけど顔の形さえも。もちろん、シンクロしてなければ見えないから、基本的には遠隔地の人と話したり気分を楽しむくらいにしか利用価値もない。
まあ、神代さんは古風で電子機器に疎そうな印象を受けるけど、実際は『アート』の最先端を走っている『KOU』なのであって(忘れがちだけど!)アバターの一つや二つや十か百くらい持っててもおかしくない。だけど、八神さんも明らかに自作だろうと思しき、オリジナルアバターを着こなしている姿を見せつけられると、驚きを禁じ得ない。
そして一言だけ言っておきたいな。
「か、かわいい……」
思わずこぼれてしまった言葉に、それまで寝こけていたお兄ちゃんがムクリと起きて、首を傾げながら『シンクロ』と呟いて……絶句した。だよね。
深い赤の裾がふわりと広がって、まぶしいくらいの白いレースがのせられたエプロンドレス。触れたらきゅっと音がしそうなくらいに磨き上げられた編み上げブーツと、ドレスとの間にのぞく膝が少しこどもっぽいけど、このためにツインテールがあったんじゃないかって思えるくらいに、真紅のリボンがキュートに全体をまとめてる。
手には色とりどりのパレットと、筆と……それからあれは、パレットナイフだったっけ。お兄ちゃんがよく使ってる油絵の道具で、絵の具を混ぜたり、キャンバスの上でザって伸ばしたり、削ったりするための薄いヘラみたいなやつ。たぶんアバターの中でもアクセサリーに該当するものだと思うけど、あれが彼女の『戦闘道具』なんだろう。
対して神代さんは、蒼いシンプルな和服の袖をタスキで縛って、動きやすそうな格好に見える。シンクロを解いてしまえば実際に着ているのは制服なので、要するに気分の問題なのだろうけど、家では実際に和服で過ごしてるのかもしれない。この姿を知ってしまうと、洋服姿の神代さんに違和感を抱いてしまいそうだ。
手には、筆も墨も……何も持っていない。これが彼女の作業スタイルなんだろう。そもそもレゾナンスは手にパレットや筆など、余計なものを持たずに絵を描けることが売りだから。
最初に動いたのは八神さんだった。赤い絵の具をたっぷりと含んだ筆先が、迷いのない軌跡を描いてあっと言う間に鳥の形を作りあげる。
(え、ホントに『おえかき』のつもりなの)
私が愕然としながら見守っていると、八神さんはもちろんそこで筆を止めることなく、別の筆に持ち替えて力強いタッチで羽の厚みを増していく。羽の先へ行くに従って、金色に輝き透けて見えるような透明感が現れる。暗い色調の絵の具で描き加えられた目が、ギョロリとこちらを見つめてきた気がして、思わず背筋がゾクリと震えた。生きてる、みたいだ。ただ動くから、ってだけじゃなくて……その質感が、鮮やかさが。
強く羽ばたくように広げられた翼は、いつの間にか燃えるように輝き始めていて、ようやくそれが単なる鳥ではないことに気付く。鳳凰だ……天の使い、言わずと知れた伝説の鳥。魚の鱗みたいに、青や白の羽が、赤をメインにした翼の中でキラキラときらめいて、溜め息が出るくらいに美しかった。
これを見ると、普通の鳥が題材じゃ気が済まないのかってツッコミが、無意味に思えてくるし『立体は得意じゃない』って前にボヤいてたのは、絶対にウソだと思う。
「早描きも習得していたのですか」
ポツリと呟いた神代さんの感心したような響きに、八神さんは少しだけ寂しそうに笑った。
「穂高燿になりたかったのよ、私は。当然でしょ」
お兄ちゃんの得意技は、とにかく『早描き』だ。文字通り光の速さで過ぎ去っていく時間を、刻々と移り変わっていく世界の姿を、人間が手を伸ばせる速度の限界値を求めて描く画家だった。ただ、八神さんの鳳凰の羽一枚にまで溢れるエネルギッシュな生命力は、お兄ちゃんの作風とは真逆のもので……そして、お兄ちゃんの真似事をしてる沢山の人に比べたら、ずっと彼女らしい素敵な絵だと思った。
その筆さばきを眺めていた神代さんは、ものの十分くらいで鳳凰が羽ばたき始めたのを見届けると、スッと宙に手を伸ばした。空をなぞる指先から、サラサラと淡い墨がこぼれていく。墨で描くというよりも、流した墨液の動きを活かして『生命』を生み出していく、と言った方がより近いように思える。
じわりと空間を侵食していく無彩色の指先が、風を優しく撫でるみたいに繊細に動いて、偶然の世界を調節しながら一見して無造作な自然の獣を描き出していく。思わず手を伸ばしたくなるくらいに、柔らかそうな一枚一枚の羽。水の質感を保ったまま、あまりに自然な流線で描かれた尾羽根が風に揺れているようにすら見える。鷹だ……鷲かもしれない。あの違いって、大きさくらいしかないんだっけ。いずれにせよ現実に存在する、空の王者。
八神さんの鳳凰に比べて派手さのない、極限まで筆で描き加える回数が抑えられた、だからこそ現れる凄み。本当にこの子はプロで、あの『KOU』なんだと今更のように実感させられる。最後に描き込まれた目が、ゆったりと瞬くのを見て息を呑んだ。猛禽の瞳だ……鋭いながらも知性を感じさせるような、惹き込まれるような瞳。その奥の金色の輝きさえ見えたような気がして、私が呆気に取られている間に美術室の天井に向かって舞い上がった。
空が、見えた。青い青い、突き抜けるような空が。




