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07 洗礼者ヨハネ ⑧

 震える息を吐き出すみたいに、言葉をしぼり出していく灯ちゃんが、なんだか私の知らない誰かみたいに見えた。それがちょっとだけ怖くて、だから私は浮かんだ不安を振り払うみたいに茶化してしまった。


「灯ちゃんが、お兄さんのこと遠くに感じてるーなんて、ちょっと意外かも。いつだって、あれこれ世話焼いてあげてるイメージだし、穂高先生も灯ちゃんに頼り切ってるみたいに見えるもの」


 私のからかうような調子に、灯ちゃんは気の抜けたような顔で机に頬杖をついた。


「そうなのよー……あの人、見たまんま生活能力ゼロだから。別にそれはいいんだけどね?どうしてあのテキトー人間から、あんな繊細でキレイな絵が生まれてくるのか、未だに分からないんだよね……ってこれ、お兄ちゃんが八神さんに関しても似たようなこと言ってたかも。あの直情的な幼児の脳ミソのどこから、あんな奥深い巨匠の作品が出てくるんだーって。人のこと言えないじゃない?ヤダなあ、もう……」


 そんなこと言いながら、灯ちゃんの表情はすっごく優しくて、私も気が緩んでクスクス笑ってしまう。だからなのかもしれない……普段の私なら絶対に言わないような言葉を、心の奥底にしまっていたはずの本音を、ついうっかり口にしてしまった。


「いいなあ……」

「え……?」


 戸惑うような表情に、私は慌てて言い訳みたいな言葉を並べていた。


「あっ、その……灯ちゃんと穂高先生って、二人ともすっごく仲いいでしょ?いつも一緒にいられるワケだし、ちょっと羨ましいなって……ごめん、兄妹なんだから当たり前だよね」


 自分で言ってて、バカみたいな嫉妬だとは思った。だから、今まで本音ではどんなにそう思っていても、言葉にしないようにしてたのに。とにかく私が曖昧に笑ってごまかそうとした時、灯ちゃんの横顔が目に止まって、思わず息を呑んだ。

 吹きこぼれそうな怒りを、必死に抑え込んでるみたいな痛みに満ちた表情が、堪えきれなくなったようにこちらを向いた。


「結ちゃんは、ズルいよ」


 泣きそうな声が、その瞳が、彼女を傷付けてしまったのだということを伝えてくる。


「教師と生徒がなによ……我慢しなきゃいけないのなんて、たったの二年じゃない。それでも結ちゃんに『つらい』『くるしい』って言われたら、慰めなきゃって思っちゃう。そのたんびに、私の方がつらいのに……一生つらいままでいなきゃ、いけないのにって思ってる」


 吐き出すような言葉のひとつひとつに、私よりもずっと灯ちゃんの方が傷付いてるみたいにみえた。本当は私よりずっと優しい人だから、本気で誰かを傷付けることが苦手なのは、私がよく知っている。


「っ、ごめん。結ちゃんに言っても仕方ないのに……私、ヘンだね。今日はもう帰る、ごめんね……」

「灯ちゃん」


 私はそっと彼女の手を包んだ。さっき、灯ちゃんがそうしてくれたみたいに。私の手だってそんなにあったかいワケじゃないけど、一人きりで冷たくなって震えてるよりは、ずっといいと思ったから。


 きっと、灯ちゃんは穂高先生のことが……と、そこまで思って、私は頭を振って考えることをやめた。きっとこれ以上は、考えたらいけないことだ。灯ちゃんが最後まで言わないように頑張っていたのに、私が暴いちゃダメだ。


 でも、今までみたいに本当に気付かない鈍感なままじゃない。気付かないフリ……それがどれだけ誠実なのかは分からないけど、何もかも隠さないで分かり合ってなきゃ友達じゃない、なんて悲しすぎると思うから。


「ごめんね」


 私がつぶやくと、灯ちゃんはフルフルと首を横に振った。私はそれでも灯ちゃんの手を離さなかった。言葉と時間を重ねて、それで少しでも灯ちゃんを助けることができるなら。それで私が灯ちゃんから、今まで無意識のうちに奪っていた何もかもを返せるなんて思ってないけど、そもそも灯ちゃんはそんなことを望みはしないだろうと思う。


「私が灯ちゃんに、何もかも寄りかかりすぎちゃった……だから、ちょっと疲れちゃったよね。ごめん。ごめんね……灯ちゃんは、大丈夫だよ。何もかも抱え込んでたら、誰だって『もうイヤだ』ってなる時はあるもの。だから、大丈夫」



 灯ちゃんはいつでも優しくて、頼りになって、でもだからって何でも押し付けてたら、そんなの友達だって胸を張って言えない。


 恋をすることは、こんなにも苦しい。でも、ずっと灯ちゃんはこの痛みを背負う覚悟をして、一人きりで歩いてきたんだ。ただ、そばにいよう。私にはそれしか出来ないからってだけじゃなくて、私がそうしたいと思うから。



 ただ、それ以上に……どうしたら、この大切な友達の心を救うことができるのか、考えても考えても正解にはたどり着けなくて。私達の恋みたいな、頼りない夕焼けの差す教室で二人、いつまでも立ち尽くしていた。



 *


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