06 見返り美人図 ⑧
「大言壮語を申しましたが、まずはその前に……私は私の越えるべき壁から、目を背けずに向き合うべきなのでしょうね」
八神の話だ、と理解した俺は改めて身を引き締めた。
「……お前ら、何でそんなに仲悪いの?いや、反りが合わない理由は何となく分かるんだけどさ、お前なら八神が噛み付いて来ても『のらりくらり』って感じでかわせるんじゃないのか?精神的に、俺よりよっぽど大人だろ」
「先生は私のことを何だと思ってらっしゃいます……?」
どこか呆れたような雰囲気になる(だが、相変わらず無表情だ)神代に、まあこいつの緊張がちょっとでもほぐれたなら良いだろ、と思いつつ肩をすくめておく。コホン、と古式ゆかしき咳払いをした神代は、気を取り直したように背筋を伸ばした。
「八神はとにかく、私の共感覚と相性が悪いのです……いえ、良すぎると言うべきかもしれませんが」
どういうことだ?と首を傾げた俺に、神代はいつも通りテキパキ説明をしてくれるつもりのようで、良かったいつもの神代だ、と何となく安心する。
「彼女は見ての通り、何事にも単純すぎるくらいに真っすぐですから。誰を見ても大抵が色んな感情の入り混じった、どちらかと言えば濁った色になってしまいがちですが……八神は違った。初めて見た瞬間から、眩しいくらいの原色が、そこにはありました」
淡々と言葉を落としながらも、何かを懐かしむかのように目を細める神代の瞳には、確かに柔らかな憧れがあった。
「それは、高校生になった今も変わりません。こんな年にもなって、幼児みたいに純粋な衝動に突き動かされて、そうやって八神は生き続けている。そんなにも単純な思考や感情を抱えながら、どうしてあんなにも繊細な彩りに満ちた美しい絵が描けるのだろうと」
そこで言葉を切った神代は、珍しく口にする言葉を迷うように視線を揺らした。
「私は……彼女が羨ましい、いえ、妬ましいのかもしれません。八神は、私にないものを全て持っている。でも、同時に純粋すぎることで、いつか折れてしまうのではないかと危うさを感じます。そのままで居て欲しいと願いながら、それは八神の成長を止めてしまうこととも同義だと分かっているから……そんな矛盾した感情が、私を意固地にさせているのでしょう。どうも、顔を合わせれば憎まれ口が飛び出す。自分のことも十全に分かっていないんですから、他人の人生なんてコントロールできるはずもないのに、不思議ですね」
言葉を切った神代は、ゆるく息を吐き出しながら静かに何かを考えていた。俺はかけるべき言葉が思いつかないまま、彼女が思考と感情に整理をつけるのを辛抱強く待っていた。
「それこそ月並みだとは思いますが、大人になりたい、と切に願います」
「……どうして」
もう十二分に大人だろ、と思いながら俺は尋ねた。俺にとって、大人になるってことは歳を取ることでも、自活することでもない。自分自身のことを、振り返って考えられるようになるかどうかだと、そう思ってる。俺はまだ、自分を振り返ることが怖い。
それとも、大人になりたいと願っているうちは、大人じゃないんだろうか。願わなくなった人間は、大人に『なってしまった』ということなのかもしれない。
「彼女を傷付けない、私でありたい。私が一つ言葉を落とすたびに、彼女の純粋な原色にポツリと染みができるのが分かるんです。それが目的であるはずなのに、途方もない罪を犯してしまったような気にさせられる……事実、そうなのでしょう。私は彼女に純粋であれと願いながら、私と同じくらい穢れにまみれてしまえと、引きずり落としたいと思っているのかもしれない。そんな私は、どうしようもなく幼く醜い」
どこか、また泣き出しそうな表情で『罪』を告白した神代に、その震える声に、俺は神代の言う『幼児みたいな衝動』に駆られて、彼女の肩をつかんでいた。
そうでもしなければ、消えてしまうんじゃないかと、そんなバカなことを考えて。
「それは大人かどうかって問題じゃない……どれだけ相手と、それから自分のことを思いやれるかどうかってことだろ。世間一般で大人なんて言われてる連中は、お前の言ったことの半分もきっと理解できてないよ。体面だとか人付き合いとか、そんなのばっかり気にして。守るべき人とか、信念とか、想いとか、大事なものを何もかも忘れて自分を見失って」
ああそうだ。体面も人付き合いも気にはしていないけど、何もかも忘れているのは俺だ。




