06 見返り美人図 ⑥
(まあ、今の俺には目の前の神代だけどな……)
とにかく、この状況をどうにかしなくちゃいけない、ってことだけは分かる。だが、俺には何かに悩める高校生の女の子(ただし俺よりも才能のある芸術家)を、何が理由で泣いているのかも分からないのに泣き止ませる、なんて難易度の高すぎるミッションをこなすためのスキルは持ち合わせていない。それどころか、一般人が持っていなきゃいけないスキルの大半がない。つまりはダメ人間の極みだ。クズとも言う。
と、俺が散々に回想を済ませて、グダグダあれこれ来栖のことを考えてるうちに、有能すぎる神代サンは自力で立ち直ったのか、例の白くて清楚なハンカチで目元を拭って何事もなかったかのように息を吐いた。
「お見苦しいところを、失礼しました」
「いや、お前はしっかりしすぎだろ。見てて逆に不安になるわ」
思わずツッコんでしまった俺に、神代はまたいつもの無表情で首を傾げた。目元がちょっと赤くなってなかったら、今さっきまで泣いてたなんて信じられないくらいに『いつも通り』の神代だった。ただ、見かけに騙されてはいけないと、俺は学んだ。こいつは、つい数秒前まで死にそうな顔しながら、声もあげずに静かに泣いてた女の子だ。
「……なんで、苦しくなった?」
なるべく柔らかい声を意識して言葉を落とす。他にはどうすればいいのか、分からなかった。
「色が……」
想像していたのとは、全く違う方向性の答えが返って来そうな予感に、ぐっと声をあげるのを堪えた。今は、こいつがどんなキテレツなことを言おうが、黙って聞くべき時だ。
「私のせいで、八神の色がメチャクチャに」
いつもは理路整然と説明をくれる口が、戸惑うように再び閉じてしまう。やっぱり、だいぶ参ってるなと思いながら、そんな一言の情報からピンと来たワードを引っ張り出す。
「神代、もしかして共感覚か」
「ええ」
頷く神代に、俺は細く息を吐き出した。こいつと俺が似ていると思うワケだった。
共感覚には色々と種類があるが、有名どこで数字や文字に色がついて見えるもの、音楽に色を感じるもの、などなど……本来は色がついていないものに、色がついているように感じられたり実際に見えたりする感覚のことだ。メチャクチャざっくりした説明だけどな。
「私は、感情に色がついて見えます」
「俺は、光と感情だな。見えるって言うより『感じる』派だ」
意識しなくても見えたり感じたりしてしまう。俺はどちらかと言うと、意識しなけりゃ『何色っぽい』なって思う程度なんだが。その感じる色や程度も個人差があるらしく、同じ共感覚の人間を並べて同じものを見せても、他の色に感じるなんてことも普通だと思ってる。まあ、あくまで俺の実体験の範囲内だけど。
俺達は顔を見合わせて、お互いに大して驚いていないことを確認し合った。
「先生の作品を見た瞬間、気付いたんです。ああ、この人は私と同じ目で……いえ、同じ感覚で世界を見てると思いました。あの瞬間、確かに『シンクロ』していると、そう感じました」
「シンクロ、か」
ある意味、それ以上に神代らしい表現もないだろう。俺は授業以外でほとんど利用しないけど、レゾナンスで最も重宝されている機能『シンクロ』……誰かの生み出した世界と繋がるためのシステム。俺は今まで誰かと本当に『シンクロ』してると、繋がっていると感じたことは一度もないが、だからこそレゾナンス・アートの申し子である神代にとって、最高の褒め言葉なのかもしれない。
俺は神代の作品を見て、そこまでハッキリと運命は感じなかったけど、そのことに関しては黙っていた。そもそも、神代の作品は紙と墨だけのモノクロだから、俺と同じ感覚なのかどうか確認のしようがない。ただ、それは神代も分かっていたのか、ただ少しイタズラっぽく瞳をきらめかせるだけで言葉を続けた。
「キャンバスにのせられた色と、感じる色がぴったり重なったことなんて、ほとんどなかった……それどころか、人が発する言葉と感情が重なることさえありませんでした。先生の作品に出会うまで、世界は汚いと思い込んでいたんです。息をすることも、何かを見ることも、考えることすら苦しかった。世界を汚いと感じるたびに、自分の感情が濁っていくのが見えるんです。今以上に幼かった私には、何もかもが耐えられませんでした」
こいつが無表情になったのは、自然と感情を抑え込むようになったからなのかもしれないと思った。何かを思うたびに、そこに何かを感じるたびに、自分自身に思い知らされる。そこにあるのが負の感情だとしたら、どれだけの苦痛だろうか。
「でも、先生の……穂高燿の絵は違った。柔らかな影に、光の輝きに、目に見えないはずの色彩が表現されていて。そこに見える感情の色と、描かれた世界の色が初めてピタリと合ったんです。それは、他のどの作品を見てもブレることがなくて……なんて、なんて美しい世界をその目でみているんだろうと、もしかしたら世界は本当にこんなにも美しいのかもしれないと、そう思わされた。だから、ここに私はいます」




