05 博士たちと議論するキリスト。ただしキリストは不在。
「だーかーらー、ここは芸術家らしく平面の世界で勝負すべきでしょ」
バンっ、と机を叩いてツインテール八神が身を乗り出す。それに対して、サラサラストレート神代がフンッと鼻を鳴らして、見てるこっちがハラハラするような嘲笑を、いつもの無表情に上書きしていく。どうでもいいけど、髪の特徴付け加えてるだけなのに、なんかの芸人みたいになるな。そんなことを現実逃避気味に考えながら、俺はぐったりと机に突っ伏して寝たフリを決め込んでいた。あ、これはいつものことか。
「これだから、過去の巨匠の真似事をするしか能のない『芸術家もどき』は。考え方が一々古臭くて吐き気がしますね。そもそも、平面でベタベタ絵の具を塗るだけが芸術だ、なんて言う信仰を未だに持ち続けていることからして程度が知れる」
ブチッ、と。八神がキレる音が、確かに聞こえた。
「はっ、私の作品の芸術性が分からないなんて、それこそ目が腐ってるんじゃないの?ああそうね、それだけ大きい目がついていても、処理するだけの思考能力が欠如してんのね。そもそもアンタあれこれ言ってるけど、結局は自分の得意なフィールドで戦って、目立ちたいだけでしょうが!」
「当然でしょう。どれだけ綺麗事を並べようと、良い芸術は良い素材がなければ生まれません。もちろん、素材の質と言うよりは『自分に合った』と言う意味での良い素材ですが。自分のフィールドで戦いたい、なんて芸術家として当然のことでしょう。馬鹿なんですか?」
はい、本日初の『馬鹿なんですか』頂きました。これだけ罵詈雑言が飛び交っているのに、俺が聞いてる限り『バカ』とか『アホ』みたいな単純な罵り言葉がほとんど出てこない。恐るべき無駄な語彙力をもってして、この二人は終わりの見えない舌戦を繰り広げている。
この八神と神代、どうしてこんなに仲が悪いのかと思ったら、以前レゾナンス絡みの仕事で一緒になったことがあるらしい。二人とも喧嘩っ早くて譲らない性格の上に、同い年でそれぞれの分野での成功者、お互いの芸術に対するアプローチやスタンスも正反対と来て相性は最悪だ。もちろん収集がつかないレベルの壮絶な争いを繰り広げ、八神と神代を同じ仕事に呼ぶな、というのは業界の隠れた常識みたいになってるらしい。
(……そんな状況になってるなら、誰か事前に教えといてくれよ。てか、なんで同じクラスにこいつら入れたんだよ)
最終的に芸術科の生徒候補に目を通して決断した学園長は、そうした業界の事情に通じているはずなのに、あのタヌキ親父……と今更恨んでも、もう遅い。そんな恨み言を言ったところで、俺が最終決定に意見したいと手を挙げなかったのが悪いと逆に嫌味を言われる。
とにかく、この二人の存在だけでも厄介なのに、それに加えて更にこの舌戦の収集をつかなくさせているダークホースが存在した。
「二人とも、難しい言葉いろいろ使ってるけど、視野が狭いのはどっちも同じだと思うよ?芸術は絵を描くことだけ、って思ってるから、話が平行線で進まないんじゃないかなぁ……」
出た、ダークホース、というかダークモード来栖結。いや、本人には嫌味のつもりも、議論をふっかけてるつもりでもないんだろう。きっと、ここが意見交換の場だと思ってるから、部長としての責任を持って、思ったことを積極的に口にしてるだけだ。
ただ、ホワホワニコニコとしてるけど、言うこと言うこと割と辛辣だったりする。それこそ、聞いてるこっちが冷や汗をかきそうになるレベルで。もちろん、言葉と言う名の拳で審判のない血みどろな場外乱闘を続けている、八神と神代の精神を逆撫でしないはずがなくて、ギッと二人分の視線の圧が来栖に向けられる。
「……来栖先輩、そもそも絵を描くにしろ、例え他のことをやるにせよ、デジタルかアナログか程度のフィールドは最低でも決めておく必要があるのでは?今はそれを議論すべき場だと思っていたのですが」
「ちょっとセンパイ、この面子で絵を描く以外のことで攻めてくつもり?センパイは遊びのつもりかもしれませんけどね、こっちは真剣に部活やるつもりでいるの。それこそ自分の実になるような活動でもしないと、割に合わないワケ」
そんな今まで互いに向けていた剣を、一時休戦とばかりに来栖へと向ける二人に対して、驚くべきことに来栖は真っ向から受けて立った。
「遊びじゃないよ」
研ぎ澄まされた刃のような、まさに真剣そのもの。その横顔に息を飲まされたのは、俺だけじゃなくて八神と神代も同じだった。いつもは小動物じみた、どちらかと言えば守ってあげなければならないような気にさせられる、そんな印象の強い来栖が、こんなにも意志の強い眼差しを持っているだなんて誰が想像しただろうか。
見ると、来栖と仲が良いはずの灯も、目を見開いて言葉どころか呼吸も失っている。大丈夫だろうか……ちゃんと息はしろよ。
「少なくとも、私は遊びだと思ってないよ……確かに、二人に比べたら芸術に対する理解とか、熱意とか、そういうものは全然足りてないんだと思う。でも、芸術部の活動を真面目にやりたいって気持ちは、二人にも負けないつもり」
負けないどころか、この場にいる中で一番熱意にあふれているのは、確実に来栖だろう。それもあって、誰に何を言われても三十倍くらいにして返してくる一年生二人組……八神も神代も珍しく来栖を言い負かせないでいるらしい。
まったく、おかしなことになったと思いつつも、何がここまで来栖をやる気にさせているんだか。そんなことを考えているうちに、また欠伸がこみあげてくる。眠い。でも、あんまりだらけていると、八神あたりがキャンキャン言ってくるんだよな。欠伸くらい自由にさせてくれ。立派な人権の一つじゃないかと思う。
そもそも、なんでこんなヒートアップしてるんだよ……ここ別に、高尚な芸術のあれこれについて議論する場でもないだろうに。そんな俺のボヤきを余所に、来栖がニコニコしながら意気込んだ。
「絶対に成功させようね、学園祭!」
そう、彼女達は学園祭の出し物について、無駄に真剣なカンカンガクガクの議論を繰り広げていたのである。なんなんだ、本当に……まあ、そもそもは俺が八神と神代の押しに負けたから、こういう事態になったと言うのもあるんだけど。
結局、個人的な弟子入りは『あくまで教師と生徒の関係だから』って常識と職業倫理を説いて突っぱねられても、部活に関しちゃむしろ入りたいと生徒が望めば断るなんてことはできない。悲しき教師の性ってヤツだ。
仕事したくないでござる、とどれだけ喚いても、結局のところはきちんとサボってるのを神様か何かに見られているのかもしれない、なんて身にしみて感じる今日この頃……俺の安息の地が失われた日のことを、ボンヤリと考える。まあ、つい数日前の話だけどな。
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