81話 別れ
僕の腕の中には、今にも崩れてしまいそうな姫花がいる。
『これは、夢だ』
これが現実では無いことはすぐにわかった。
さっきまで抱えていたはずの姫花が、白いワンピースを着て僕の目の前に佇んでいた。辺り一面に広がる青い空と青い海は波の音一つせず、どこまでも穏やかだった。
……どうして、こんなことになってしまったんだろう。
僕は、何を間違えたんだろう。
最初から何もしなければ、傷つくこともなかったのだろうか。
過去を振り返って、もしもの世界を想像する。
けれど、どれも違うんだ。
僕らの選択したその結末が『現実』なんだ。
「泣いているの……?」
姫花が心配するような表情で、僕の頬を撫でた。
夢の中ですら僕を心配する姫花が愛しくて、僕は微笑んだ。
「泣いてないよ。ただ……目が覚めたら、君が消えてしまいそうで」
「私は消えないよ。……絶対にまた会えるって、約束したから。恭哉くん、お願い。どんなに遅くなったとしても、絶対に貴方のところに戻るから、生きて、生きて、待っていて」
「姫花、待って……っ!」
*
夢から目覚めると、白い天井が見えた。
包帯の巻かれた左足が吊られていて、頭の横には点滴が置かれていた。
「気がついたか……!」
見た事のない表情をした真人が、僕のことを覗き込んでいた。
図書館の地下施設から命からがら逃げ出した僕は、どうやらそのまま意識を失ってしまっていたようだ。
ベットの周りには、真人、莉奈、優斗、美樹の四人が満身創痍の僕のことを心配そうな顔をして囲んでいた。
「ねぇ、恭哉! 姫花は……姫花はどこ!? 一緒にいたんでしょ!?」
沢山泣きはらしていたのか、目を真っ赤にした莉奈が物凄い剣幕で僕に詰め寄った。
この状況で、親友と連絡が取れないのだ。しかも、一緒にいたであろう僕が、こんな有り様で意識を失っていた。冷静でいられるはずがない。
姫花が、いない。
その事実に、僕は打ちのめされそうだった。
「おい、莉奈、落ち着けって。恭哉だって、今目が覚めたばっかなんだぞ」
「……だって、姫花が見つからないんだよ!? 真人は心配じゃないの!?」
「心配に決まってるだろ! だけど、今はまだこいつが落ち着くのも待ってやれ。……なぁ、お前らに……あの図書館に何があったんだ?」
真人と莉奈に見つめられて、僕は重たい口を開いた。
「……父さんに、会いに行ったんだ。……姫花と一緒に」
僕は母さんの日記を読んで知ったこと、僕が父さんを止めなくちゃいけないと思ったこと、姫花が着いてきてくれたこと、そして地下の崩壊から父さんと話したこと、姫花がまだ瓦礫の中にいることを皆へと打ち明けた。
誰もが口を噤んだ中で、口を開いたのは優斗だった。
「姫花ちゃんなら大丈夫だよ〜。お父さんがそこなら安全だって言ってたんでしょ? あの人を信じたんなら、最後まで信じなくっちゃ。それに、僕だって助けてもらったんだよ? ……だから、大丈夫」
小さな手を目一杯広げて、長い髪を靡かせて、優斗はくるりと自身の姿をアピールするようにして言った。
病室の空気が少しだけ和らいだような気がした。
「そうですよ。わたしが泣いていたから、助けてくれるような優しい人だから、姫花ちゃんのことも守ってくれていますよ」
「そうだな! さっさと姫花を助けに行こうぜ、王子様!」
真人はそう言うと、どこかへ電話をかけはじめた。
「真人? 誰に電話なんてしてるんだい……?」
「父さんだよ。この世界じゃ、十分力を持ってるからな。姫花を救助する指示を出して貰うんだよ。……それに、あいつもお前の父さんに会いたいだろうしな」
真人が父親へ連絡をしてからは本当に早かった。
機械や大勢の人を使って救助活動にあたってくれた真人と父親にくっついて、僕達五人も救助活動へと参加した。
僕の証言を元にして、大まかな位置を掘り進めていくと、瓦礫の中から無傷のシェルターが顔を出した。
シェルターの中には、傷だらけで冷たくなった姫花の身体と、不思議なカプセルの中ですぅすぅと寝息を立てている幼い少女の姿があった。
『死』を感じさせる姫花の身体に、僕達は耐えられなかった。
吐き気を催す者、涙が止まらない者、震えが止まらない者……。奇しくも、記憶のある世界で初めて目にした大切な人の『死』というものは、母さん達がこの世界を創った理由を十分に理解させられる出来事だった。
こんな時、いつも明るい空気に変えてくれるのは優斗で、優斗が明るい笑顔でこう言った。
「ボクだってすぐに目を覚ましたんだから、姫花ちゃんも絶対に大丈夫。それにしても……同じ人のクローンだから、ボク達、姉妹みたいになっちゃったね〜」
「……ふふ、何それ。バッカじゃないの……」
場を和まそうと冗談を言う優斗の肩を、莉奈が涙の滲んだ瞳を擦って、拳でちょんと小突いた。
わざとらしくわいわいといつものように他愛のない話を始める四人にほんの少し救われた。
悲しみ続けないことは、姫花が目を覚ますことを信じるということだ。
カプセルの中で呼吸をしている少女を見つめて、今度こそ、姫花との約束を果たすことを僕は心に誓った。
何があっても生きて、姫花が戻ってくるのを待つんだ。
「姫花……。ずっと、待っているから」
そう言って、僕は硝子越しに姫花のおでこにキスを落とした。
王子様のキスで、目が覚めたらいいのに。
そんなことを願いながら。
*
「哉斗さん……最後に少しは父親らしいとこ、見せられたんじゃないですか」
シェルターの中でカプセルに寄りかかるようにして、静かに息を引き取っていた哉斗の横に真司はしゃがみこんで声をかけた。
地下施設を崩壊させた時から、機械で造られていた哉斗の身体も限界だったのだろう。瓦礫の破片によって、身体のパーツもボロボロに壊れていた。
「貴方のことは許せないけど、結局のところ情が残っちゃってるんですよ……。最後まで、憎みきることは出来なかったなぁ……」
ふぅ、とため息を零すと、煙草の煙が瓦礫の隙間をすり抜けていく。
「……最期に桔梗さんに会えて、良かったですね。……貴方達の守ろうとしていたこの世界は、きっと恭哉くんが守ってくれますよ。……さようなら、哉斗さん」
そう言うと、真司は瓦礫に煙草の火を押し付けて消した。
「桜……。俺はまだ、真人達の進む道を見守ってやらないといけないようだな。……だから、もう少し、そっちで待っててくれよ」




