76話 王子様
母さんの日記を読み終わった僕は放心していた。
「恭哉、くん……。大丈夫……じゃない、よね……」
「そうだね、あまり大丈夫とは言えないや……。僕の記憶は、母さんが消したんだね……」
「……うん」
「一緒にいたいなんて、そんなことが我が儘だなんて、欲がなさすぎるよね……」
姫花は、ただ頷くことしか出来ないでいた。
「姫花、一緒にいてくれて……ありがとう」
「……私は、何も出来てないよ」
「そんなことない。君がいてくれなかったら……こんなに落ち着いてはいられなかったかもしれない。……格好悪いけれど、さっきから震えが止まらないんだ」
そう言うと、僕はぎゅっと自分の肩を抱いた。
「王子様なんて、聞いて呆れる。……僕は母さんにとって、紳士にも、王子様にもなれなかった」
王子様と口にするのは、紳士的にと意識していたのも、全ては母さんの為だったのに。
情けない気持ちをかき消すように、僕はくしゃくしゃと髪をかきあげた。必死に感情を押し殺そうとする僕に姫花は言った。
「格好悪いわけ、ないよ。日記の中のお母さんは、恭哉くんに救われてたよ……。恭哉くんは、ずっと昔から……優しくてあたたかな人だったよ」
姫花が子供をあやす様にして、そっと震える僕を抱きしめた。
「この部屋で、泣いていたお母さんをちっちゃな恭哉くんが抱きしめたみたいに……今度は私が抱きしめるから。何度でも抱きしめるから。……だから、泣いてもいいんだよ……」
姫花の言葉に、つぅ、と涙が頬をつたって零れ落ちた。
恥ずかしくなって、ぱっと背を向けて姫花から離れようとた僕を、姫花が後ろから優しく抱きしめた。
「涙が止まるまでこうしていれば、私にも見えないよ。だから、大丈夫……。大丈夫……」
首に回された手をそっと掴むと、姫花の腕も小刻みに震えていた。
それでも、今はこの細い腕が凄く力強く感じた。
(こんな時、女の子の方が強いっていうのは本当なんだな……。それに比べて僕は、本当に格好悪いところばかり姫花に見せてしまっている。涙なんて、誰にも見せたくないのに……)
必死に泣き声が聞こえてしまわないように歯を食いしばった。
けれど、溢れ出してしまった感情は自分でもどうしようもなくて、途切れ途切れの嗚咽が漏れる。
「ごめん……もう少しだけ、こうしていさせてくれる……? こんなところ、誰にも見られたくないんだ……。君にも……見られたくない」
俯いて肩を震わせる僕の背中に、姫花の温もりを感じる。それが心地よくて、安心させられた。
「見ないよ……。恭哉くんがいいって言うまで、私はこうしてる……」
「ごめんね……。君にはこんなところばかり見せてしまって」
「いいよ……。こんなこと、今言うのは酷いかもしれないけど、私は……嬉しいの。恭哉くんが、時々……私を君って呼ぶの。その時は、恭哉くんの本心に触れられたみたいで……それが、なんだか、嬉しいの」
勿論、無意識だった。
けれど、それが姫花の言う飾らない僕なんだろう。
「でもね、最初はびっくりしたけど、お姫様って呼ばれるのも私は好き……だよ。だから、全部吐き出したら……また、余裕があって、皆に優しくて、紳士的ないつもの恭哉くんの姿を見せてね」
「……こんなに格好悪い王子でも、いいのかい?」
「どんな姿になっても、恭哉くんは、格好良い王子様だよ……」
そう言った姫花がどんな顔をしているのかはわからないけど。きっと、我に返れば真っ赤になってしまうのだろう。
そんな君が望んでくれるのなら、僕は君の王子様になろうと思うんだ。
*
しん、と静まり返った部屋で、沈黙を破ったのは僕だった。
「ねぇ、姫花。……父さんに会いに行こうと思うんだ」
「お父さんに……」
「皆に報告した方がいいのはわかってる。だけど、これは僕の母さんがやり残したことなんだ。この『KIKYOU』を使って、僕が父さんを止めないと……」
真人から預かっていた『KIKYOU』の入っている記録媒体を僕はポケットから取りだした。
これが、この世界を変える為の、父さんを止める為の鍵になる。
決意を固める僕を見つめて、姫花が僕の瞳を真っ直ぐ見つめて問いかけた。
「……わかった。でも、一つだけ聞かせて……? もう、皆を巻き込めないなんて、一人で行こうなんて考えてない、よね……?」
それは何度も考えたことだった。
優斗と美樹があんなことになって、凄く後悔をした。
他の皆が傷つくところなんて、欠けるところなんて想像もしたくなかった。
僕は皆を閉じ込めて隠してしまいたい衝動をぐっと堪えた。巻き込めないと遠ざける。それが、皆の覚悟を踏みにじる行為だということは、もうわかっていた。
「……考えていないよ。本当は、巻き込みたくはないけどね」
「うん。それなら、よかった……。恭哉くん、私を連れて行って……!」
姫花がそう言うことなんてわかっていた。
僕は大きく息を吸い込むと、恭しく姫花の手をとって跪いた。
「……一緒に行こうか、お姫様」
「……っはい!」
僕と姫花は図書館へと足を踏み入れた。
逃げることもせず、堂々と図書館の受付へと真っ直ぐ進んでいくと、受付の横に控えていた黒服の男に話しかけた。
「伝言をお願いしたいんだ。……恭哉が会いに来たと伝えてくれますか?」




