75話 プレゼント
「桔梗さん、お久しぶりです。真人が早く遊びに行きたいって言って聞かなかったんですけど、色々ごたついてしまって」
「いいのよ。真人、くん? はじめまして、私は桔梗。こっちが恭哉よ! 仲良くしてあげてね」
桔梗はしゃがみこんで子供の視線に合わせると、真司の後ろにくっついている真人へと話しかけた。
「はじめまして! まさとです。ききょうちゃん! きょうや、よろしく!」
どうやら、真人は人懐っこい子供のようで、ハキハキと自己紹介をすると握手をしようと手を差し出した。
「凄いわね、真人君はしっかり自己紹介が出来るのね。……ほら、恭哉。隠れていないで」
それに比べて、あまり人と会ったことのなかった恭哉は、ずっと桔梗の後ろに隠れていた。
「恭哉君、はじめまして。俺の名前は真司、真人のお父さんだよ」
人見知りなのかと気遣って真司がゆっくりと話しかけると、おずおずと恭哉が桔梗の後ろから顔を出した。
「ぼくは……きょうや。……その、よろしく、ね……?」
こてんと首を傾けて、小さな声で挨拶する様子が可愛らしい。
「恭哉と真人君は同い年だけど、ちょっとだけ恭哉の方がお兄さんなんだから、もっとどーんっと威張っちゃっていいのよ!」
「ちょっと、桔梗さん。威張られちゃったら困りますって」
「冗談よ。威張ったりしないわ、恭哉は優しい子だもの。ね?」
そう言って、桔梗が恭哉の方に視線を向けると、恭哉は力強く頷いた。
「うん……! いばらないよ! ぼく、しんしになっておかあさんをまもるんだから」
「しんしってなに?」
「え、えっと……やさしくって……おかあさんをまもれて……おうじさまみたいなひとだよ」
「きょうや、おうじさまになるのか! すごいな!」
「すごい……?」
「うん! そうだ。きょうやがききょうちゃんまもるんなら、おれはおとうさんをまもってあげるよ!」
「まさと、くんもおうじさま?」
「うーん、おれはおうじさまってかんじじゃないなー。じゃあ、おれはさんぼうになってきょうやをささえてやるよ!」
「ほんと!?」
「あぁ、やくそくな! きょうやもまさとってよんでいいよ」
「うん、やくそく! よろしくね、まなと!」
接し方が分からなかっただけのようで、すぐに打ち解けていく子供達を見て、真司と桔梗は微笑んだ。
「おとうさん! たんけんしてきてもいい?」
「あまり遠くに行ったら駄目だからな?」
「わかった! いこう、きょうや!」
「うん! おかあさん、いってくるね」
青い空の下を二人は楽しそうに駆けていく。
「子供って、可愛いわね。……あの子達の為なら、なんだってするわ」
「そう、ですね……」
「真司さん、眠れてないの……?」
「桔梗さんこそ……」
「まぁ、ね。ねぇ、真司さん……まだ哉斗に協力するつもりなの……?」
「そういう事に、なりました。復讐を考えたりもしましたけど、復讐するには恨む気持ちが足りなくって……。それに、桜なら俺がそんな事をしようとしたら止めるでしょうしね」
擦り切れるほど何度も日記を読んだのだろう。
日記の中の自分が、今の自分に繋がるように。
「もしかして、真人君を人質にされてしまったの……?」
「そんな、ところです。哉斗さんは記憶がなくなった俺が桜と出会う前の俺に戻ると思ってたみたいです。だから、当然自分の元へ戻ってくると思っていて、今までみたいにいられると思っていて、それが叶わなかったから……真人を盾にされました」
諦めたような表情で真司が目を伏せた。
「真人がいるから、まだ桜がお前の中に残っているんだな。と」
「子供の大切さを知らないのよ。……置き手紙ね、恭哉のこと何も触れてなかったの。当然よね、一緒にいる時も興味を持とうとしてなかったんだもの。哉斗が出て行って、私が家に戻るまで、恭哉は一人でこの家にいたわ」
「今の哉斗さんは、何をするかわからないんです。だから……その言葉は暗に真人を奪うと言っているようで怖かった。だから俺は、真人には手を出さないでくれと言葉にして頼み込んで、あの人のする事を見過ごす事に決めたんです」
「それで……」
いいの? なんて聞けはしなかった。
いい訳がないことは、桔梗が一番わかっていた。
けれど、今の真司にとって、真人を守る事以上に大切な事はないのだろう。
「今の世界が正しくないのは分かっています。俺も、貴方と共にあの人を止めたい」
「いいの……。真司くんは真人君のことだけを考えてあげて」
「それが、間違っている事だとしても……ですか?」
「真人君を守るのが間違っているの? ……何が間違いかなんて誰にもわからないもの、私も未だに迷ってしまう。大丈夫、貴方は父親として正しい選択をしたわ」
「出来る限り、桔梗さんの力になりますから……」
「……ありがとう」
「身体の方は、大丈夫ですか?」
「今のところは、ね。もって五年ってところかしら。恭哉が十歳になるまで……ね」
「病気のこと、哉斗さんは知らないんですよね……」
「知らないわ」
桔梗の身体は病に侵されていた。
今までであればすぐに別の身体へと乗り換えていただろう。けれど、恭哉を身篭っていたからその身体を捨てるわけにはいかなかった。
哉斗に知られてしまえば、簡単に恭哉を切り捨てようと言い出すのは火を見るより明らかで、桔梗は口を噤んだ。
このまま研究所へ行かなければ、桔梗の『死』は確定事項だった。
「短すぎる…………」
「十分、なんて冗談でも言えないわね。だけど、私達は永く生き過ぎたの。まだ生きたいだなんて、そんな我が儘は許されないわ」
「永く生きていたからこそ、恭哉くんが大きくなるまで、あと数十年くらい、許されてもいいんじゃないですか……! それだけ永い間、この世界に尽くしたんですから……!」
「駄目よ……。尽くしただけじゃない、同じくらい、この世界を狂わせたんだもの。……悪い魔法は、早く解いてあげないと」
桔梗が寂しげに微笑んだ。
「哉斗さんのところに、戻らないんですか……」
「戻らないわ。死んでしまっても忘れられて、それが幸せに繋がると信じてきた。今更、生きながらえたい気持ちだけで哉斗の元に戻るなんて出来ないわ」
「桔梗さん……」
「そんな顔しないで、残りの五年は私の我が儘なんだから。……私だけが許されちゃいけないのよ」
何を言っても桔梗の覚悟は覆せない。
永い時間の先の悲しい覚悟に、真司はかける言葉が見つからなかった。
ただ、今だけは幸せな時間を……と、それだけを願った。
*
「恭哉、おいで」
桔梗に手を引かれて、恭哉は初めて入る桔梗の部屋をきょろきょろと見渡した。
「お母さん、どうしたの? この部屋は絶対に入っちゃダメだって言ってたのに……」
「今日だけは特別よ。恭哉の、十歳の誕生日だもの」
優しい眼差しで、桔梗は恭哉の頭を撫でた。
「お誕生日おめでとう、恭哉。大きくなるのが早いわね」
「そうかな? 真人と比べたら、僕は小さいほうだと思うんだけど……」
「ふふっ、そういう事じゃないわ。……でも、貴方ならすぐに真人くんに追いつくわ」
「ほんとに!?」
「えぇ。貴方はもう、立派な紳士だもの。身長だって、すぐに心に追いつくわ。だから、いつまでも優しい恭哉でいてね……」
「お母さん……?」
普段と様子の違う桔梗に恭哉が首を傾げた。どうしてこういう時、子供はこんなに聡いのだろう。桔梗は慌てて取り繕うような笑顔で問いかけた。
「恭哉、何か欲しいものはある? これが最後の誕生日プレゼントになるかもしれないから、なんでも買ってあげるわ」
「最後?」
「……もう十歳で、貴方は立派な紳士でしょう? 大人になるとね、お母さんからプレゼントを貰えなくなるのよ」
桔梗の言葉に、恭哉はうんうんと唸りながら、何を貰おうかと考え出す。その様子すら可愛くて、愛おしくて、自然と口元が綻んだ。
「……そっか。じゃあ、僕決めた!」
「何にするの?」
「お母さんの欲しいものが欲しい! それで、それを僕がプレゼントするよ!」
「……え?」
「だって、大人はプレゼントを貰えないんでしょ? だから、お母さんにプレゼントをあげたいんだ!」
「でも、恭哉はもう貰えないかもしれないのよ……?」
「うん! だからお母さんが欲しいものを僕が欲しいんだ!」
太陽のようにキラキラと輝く満面の笑みで、恭哉が言った。思わず、衝動のままに抱きしめてしまいそうだった。
(そんな事を言われたら、欲が出ちゃうじゃない……。欲しいものを答えてしまいたくなるわ。……出来ないのに。……叶わないのに)
ぽたり、と桔梗の涙が地面を濡らす。
「お母さんは……恭哉と、ずっと一緒に……いたい……っ! 生意気になった恭哉と喧嘩もしたい。一緒に沢山遊びたいし、いろんなところに一緒に行きたい。……私は、大人になった恭哉を見たい……。叶えて、くれる……?」
叶うことがないとわかっているのに、願わずにはいられなかった。
「わかった! ずっと一緒にいようね。お母さんのお願いは、僕が叶えるよ。だから、泣かないで……」
子供のように声を上げてわんわんと泣きじゃくる桔梗を、恭哉が小さな腕を目一杯広げて抱きしめた。
(これじゃあ、どっちが子供かわからないわね……)
「恭哉、ありがとう。大好きよ」
「僕も、お母さんの事が大好きだよ」
「うん、知ってる。痛いくらい、知っているわ」
ごめんね、と小さな声で呟くと、桔梗は恭哉の首元へ隠し持っていた注射をそっと打ち、ゆっくりと意識を失っていく恭哉の額にキスをした。
「私にはこの世界の法則が適用されていないから、貴方の記憶は、私が……この手で……」
桔梗は震える手を、もう片方の手で握りしめた。
「ごめんね……。楽しかった思い出を消したくはないけれど、私の存在は消さなくちゃ。貴方には私や哉斗のことなんて忘れて、幸せになって欲しいから」
意識を手放してすやすやと眠っている恭哉の前髪をさらりと撫でた。この寝顔を見るのもこれが最後だ、そう思うと涙が止まらなかった。
「ねぇ、恭哉。私のお願いを叶えてくれるのなら……私の記憶を消したとしても、私と過ごした時間を残していくことを許してね……」
少しだけでいい。恭哉の中に自分と過した時間を、確かに恭哉を愛していたということを残したかった。
(この部屋で話した事は、思い出ごと消さないと駄目ね。恭哉には必要のない記憶だから……)
恭哉を抱えて子供部屋へと運び出すと、桔梗は最期の準備を仕上げていった。
「残すは真司さんへの遺言だけね。……真人くんの記憶も消してあげないと」
桔梗はカメラを起動して、真司へ向けたビデオレターを撮り始めた。
「真司さん、ごめんなさい。もしもの時の為に、貴方にプログラム『KIKYOU』のコピーを渡しておくわ。……私が死んでしまったら、恭哉の事も貴方に任せてしまう事になる。最後まで振り回してしまってごめんなさい」
恭哉の写真と、哉斗の写真。
桔梗は二つの写真を見つめると、握りしめた拳に力を込めた。
「私の命を懸けて、絶対にあの人を止めてみせるわ。さようなら、恭哉。愛しているわ」
桔梗の日記は、その文章で締めくくられていた。
桔梗が何をしようとしていたのか、どうなったのかは日記からは読み取れなかった。
けれど、確かに母さんは死んだんだ。
僕の傍に、もういないのだから。




