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『死』の概念は削除されました  作者: 日華てまり
本編

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72話 嫌だったら離してね

 



 カーテンが閉め切られた母さんの部屋は、きちんと片付けられている。埃一つないその部屋は、まるで昨日まで使われていたかのようだ。


「なんだか……ここだけ時間が止まったみたい」


(……ほとんど入ったことがないって言っていたけど……もしかして、恭哉くん毎日掃除してたのかな)


 シャッ、と部屋中のカーテンを開けていくと、僕の後ろにいた姫花が不思議そうに問いかけた。


「恭哉くん、もしかして……この部屋、毎日掃除していたの? なんていうか、ほとんど入ったことないようには見えなかったから……」


 姫花の言葉に僕は少しだけ言葉を濁して頬をかいた。


「……嘘をつくつもりではなかったんだけれど……母さんがいた頃のまま、綺麗なままを維持出来るように掃除はしてるんだ。毎日ではないけどね」


「そう、なんだ」


「埃が積もっていくのを見ていたら、なんだか忘れてしまった思い出にすら、埃が被ってしまうみたいで……少し感傷に浸ってしまってね。それからは物には触っていないけれど、定期的にここへは来ていたんだ。言葉が足りなかったみたいだね」


 ごめん、と困ったように微笑んだ僕を姫花がなんとも言えない表情で見つめていた。


 カーテンの隙間から差し込んだ日差しに目が眩んだのか、僕は窓に背を向けると部屋の中へと視線を送る。


(……この部屋に入ってからどこか寂しそうで、だけど凄く優しい表情をしていること、恭哉くんは気づいていないのかな……)


 僕は窓際に置かれたままのソファへ腰掛けると、姫花にも座るように視線で促した。


「掃除以外で、この部屋に長居したことはないんだ。……なんとなく、今はもういない人の部屋っていうのが引っかかってしまって」


「……うん、そうだね」


「だから、姫花が居てくれてよかった。一人でこの部屋にいるのは、少しだけ…………」


「少しだけ……寂しいよね」


「……そうだね」


 この気持ちを、なんて言うのだろう。

 僕がそうさせているのだけれど、姫花の顔が曇っていく。そんな顔をして欲しくなんてないのに、そんな顔を見ているのが僕だということが……。


 そんな表情をさせているのが、僕だということが…………。



「「あの…………」」


 声が、重なる。

 姫花と目が合った。


 呼吸が、心臓の音が、自分の物なのか相手のものなのか、わからなくなるような、そんな錯覚に陥った。


(あぁ。……時間が止まったみたいだ)


 その瞳に見つめられてしまえば、僕は動けなくなる。

 呼吸の仕方すら、忘れてしまう。


 僕は恐る恐る姫花の掌を自分の方へと引き寄せて、二人の間にあるであろう心をそっと掬いとる。


 指に触れ、包み込むように手をとれば、姫花の心に触れられるような気がした。


 僕はそっと目を伏せた。

 この気持ちが、指先から熱く、伝わってしまう気がして。


「……恭哉くん、今……何を想っているの……?」


 陽射しに照らされた姫花の頬が紅く滲んでいる。その表情がいつにも増して、綺麗だった。


「ごめん……。なんでかな、君の手に触れたくなってしまったんだ」


「どう、して……?」


「あの瞬間、姫花の心に触れたような、そんな気がしたから。……胸が締め付けられるような、なんだか不思議な気持ちになったんだ」


 姫花はただ、無言で僕の方をじっと見つめていた。


「僕は、こんなだから……人の気持ちに気づけない。ねぇ、姫花。……嫌だったら、離してね」


 僕はそっと姫花の指に自分の指を絡ませた。

 すると、応えるように姫花の指に段々と力がこもっていく。僕は思わず俯いていた顔を上げて、姫花の瞳を真っ直ぐと見つめた。


「……嫌じゃないよ。私、きっと、あの瞬間……恭哉くんと同じことを考えていたんだよ」


 そう言うと、姫花は柔らかくはにかんだ。その表情は花が咲きほころぶようで、僕の鼓動は高鳴っていた。


「恭哉くんの手、あったかいね……」


「……うん」


「恭哉くん。私たち、さっきも手……繋いでたんだよ」


「……うん。さっきは無我夢中で、気づいていなかったんだ」


「ふふ。そうだと思ってた」


「姫花……。今の僕は、少しおかしいのかもしれない。普段のように振る舞えないんだ」


 姫花を好きだと認めてから、僕はずっとこの気持ちに振り回されてばかりいる。


「確かに、いつもの恭哉くんじゃないみたい。言葉遣いとか、雰囲気とか」


「……うん、そうかもしれない。今の僕には、余裕がないから」


「でも、やっぱり恭哉くんは恭哉くんなんだと思うよ。少し遠回りするような話し方も、私を気にかけてくれる優しいところも、いつもと同じ」


「それなら、よかった……のかな?」


「ふふ、それにね。今は私も……少しおかしいの。……二人ともおかしくなっちゃったみたいだね」


「そうだね」


 きゅっ、と繋がれた手に力を込めて、気恥しさと安心感の狭間で、僕達は微笑みあった。


 二人の間をゆっくりと時間が流れていく。

 まだまだ熟していない恋心を掬いとる。恋に形があるのなら、それはきっと瑞々しい果実のようで、穏やかにせせらぐ川のように煌めいていることだろう。


 僕はこの、優しい時間にそっと身を委ねた。


「この部屋は母さんがいた時は、僕は入った記憶がないんだ。だから……何かがあるのなら、この部屋だと思うんだ」


 名残惜しい気持ちをしまい込んで立ち上がると、僕は次々とドレッサーやタンス、机の引き出しなどを手当り次第に開けていく。


「あんな話をしてしまったら、流石に姫花は開けづらいと思うからね。僕がこの辺を開けていくから、姫花は棚の中身を一緒に探してもらえるかな?」


「それじゃあ、私はまずは机に入っていた書類から目を通していくね」


「うん、よろしくね。お姫様」


「かしこまりましたわ。王子様……なんて」


 顔を見合わせると、自然と笑みがこぼれる。

 このやり取りも、いつからかお約束のようになってきた。段々と返しが上手くなってきた姫花に笑みを向けて、僕は書類を差し出した。


「今度こそ、女王様じゃなくて、お姫様みたいだったよ」


「そう……かなぁ? 光栄ですわ……? ふふっ、私達、何やってるんだろうね」


 ぎこちなくスカートの端を両手で持ち上げてお辞儀をしてみせると、姫花が声を上げて笑い出した。


 この優しい時間がもっと続けばいいのに。

 そう思いながら、僕は少しだけ時間をかけて引き出しを開けていった。




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