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『死』の概念は削除されました  作者: 日華てまり
本編

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71話 駆け足

 



「恭哉くん、お疲れ様」


 重たい気持ちを引き摺ったまま、ぼんやりと講義を終えたばかりの僕に姫花が声をかける。

 同じ講義を取っていたらしいが、今までの僕は参加している生徒をしっかりとは見ていなかった為に、姫花がいたことも最近知ったばかりだった。


「お疲れ様、姫花」


「……美樹ちゃんと優斗くんが戻ってきて、ほんとによかったね」


「うん。……無事、とはとても言い難いけれどね」


 しまった、と自分の失言に気づいた時にはもう遅く、姫花の方を見ると困ったように首を傾けた。

 わざわざ今言うべきことではなかった、と反省する僕を他所に姫花がぽつりと呟いた。


「さっきの講義も、本当は教授が担当していたんだよね……」


「そうだね。全く覚えていないのがもどかしいよ……」


「この世界のこと、ちゃんと考えるようになってから……初めて人が消えた。こんなに、なにもかも忘れちゃうんだね……」


 教授の存在は勿論のこと、その人がいたと仮定しても、容姿も思い出も、何一つ思い出すことは出来なかった。


 優斗と美樹が戻ってこなかった時、二人のことをこんな風に綺麗さっぱり忘れてしまったら、と思うと怖くて仕方がなかった。


 それと同時に失ったことにすら、すぐに気づけないという事実が僕達の心に重くのしかかった。

 それはつまり、『死』を迎えた時に駆けつけることすら出来ないということなのだから。


「そういえば、皆はいろいろと調べてくれていたけど、教授のこともあって僕らのチームはまだ何も調べていなかったよね」


「そうだね……。いろいろ、ありすぎたもんね」


「姫花さえよければ、この後にでも家の探索を手伝って貰えないかな? 今日はおやすみって言ってしまったし、少しでもなにか新しい情報を掴んでおきたいんだ」


「勿論だよ! 私に手伝えることがあるなら、手伝わせて欲しいな」


「ありがとう。……自慢みたいに聞こえるかもしれないけれど、本当に広くて手をつけてない部屋も多くてね。姫花が手伝ってくれたら助かるよ」


 肯定するように姫花がにっこりと微笑んでくれた。

 僕達は母さんの手がかりを掴まなければ。その思いとともに、僕達は帰路へついた。




 *




「……凄い」


 僕の家を見上げながら、姫花がぽつりとこぼした。


 一人で住むには広すぎる、豪邸とも言えるお屋敷に目をぱちくりと開けたり閉じたりしている。


 住んでいる場所も近く、サイズ感も近かった真人の家があったから、幼い頃はこれが普通なのだと思っていた。

 けれど、真人の父親の話を聞く限り、真人の家も僕の家もこの世界での重要人物の家だからここまで大きな家に住んでいたのだと思い知った。


「恭哉くんのお家、なんだかお城みたいで凄く素敵だね……」


「ありがとう。……母さんが残してくれた家だから、そう言って貰えると嬉しいな」


「お母さんが……」


「真人から聞いた話だと、僕と僕の父親はおそらく接触していないはずなんだ。……廊下の奥に進むと、写真が沢山飾ってあるんだけれど、僕と母さんの写真はあるのに、父さんの写真は一枚もなかったからね」


 真人の父親が言っていたっていう、母さんと父親が決別した日。もしかしたら、その日から母さんは一度も父親の元へは帰らなかったのかもしれない。


「……きっと、母さんが僕を守ってくれていたんだろうね」


「そういえば、恭哉くんはお母さんの記憶がなくても……忘れてることは覚えていたんだよね?」


「母さんの写真は残っているからかな。なんとなく朧げだけど、真人と僕と、それと誰かと一緒によく遊んでいたな、とかは覚えているんだ」


 僕の言葉に姫花が何かを考える素振りで、片手を唇にあてて沈黙した。


「姫花、どうかしたのかい?」


「その、なんて言えばいいのかわからないけど……。それって、なんだか少しおかしい……気がするの」


 何がおかしいのか、心当たりのない僕が首を傾げると、姫花が慌てて言い直す。


「あっ……おかしい、っていうのとは少し違うんだけどね。なんていうか、違和感……かな」


「違和感……?」


「うん。私も、莉奈も、美樹ちゃんも、優斗くんも、真人くんも……誰も死んだ人のことを覚えてないでしょう? 皆は忘れたことすら忘れていて、何かのきっかけで()()()()()わけじゃなくて、忘れているってことを()()()()()なの」


 姫花が不思議そうに呟いた。


「なのに、恭哉くんだけは……忘れたことを自覚してる。……お母さんの顔を思い出せなくても、お母さんがいて、何かを一緒にやったこと、少しずつだけど相手が存在していたことを覚えてる。これって、見逃しちゃいけない違和感だと思うの……」


「……確かに、そうだ」


「恭哉くんは、写真があるから気づいたわけじゃない。恭哉くんは、お母さんのことを覚えてた……」


「僕だけは……完全に忘れていたわけじゃ、ないってことなのか」


 そうか。僕は写真を見て、思い出した気になっているだけなのだと思っていた。真人も同じように母親の顔を思い出せなかったから、写真を見てもこの人が母さんだってわからないのは、僕も真人と同じだからだと思っていた。


 けれど、僕は自分も全てを忘れてしまっていると信じ込んでいただけだ。


(僕だけは……母さんがいた日々のことを、母さんと遊んだことを、母さんに愛されていたことを覚えていたんだ)


「姫花……!」


 咄嗟に姫花の手を掴み、僕は急ぎ足で歩き出していた。

 自分でも気が急いてしまうのを止められなかった。

 ただ、振り返った時に見た姫花の驚いた顔が、あまりにも姫花らしくなくて、それが少しだけおかしかった。


「き、恭哉くん……? 急にどうしたの?」


「姫花の言う通りだよ。どうして勘違いしていたんだろう。僕は母さんのことを、完全に忘れてはいなかったんだ」


 僕は興奮で自分が少しだけ早口になっているのを感じた。


「きっと、母さんが僕に何かをしたんだ。始まりの科学者の母さんになら、この世界の法則に逆らうことが出来てもおかしくない」


「そっか、恭哉くんのお母さんは管理者だったから、すぐに忘れることはないんだもんね。恭哉くんのこともそれと同じように出来たなら……」


「母さんの部屋に行こう。あの部屋は、少し片付けた程度でほとんど入ったことがないんだ。何か、手がかりがあるかもしれない」


 僕はそう言うと、彩やかな花の咲いている庭をぬけて、姫花の手を握ったまま、黙々と母さんの部屋がある方へと歩き出した。



(お母さんのことだからかな。世界のことに近づけそうだから……? なんだか、恭哉くん嬉しそう……。こうしていると、ちょっとだけ子供みたいで可愛い、かも)



 それなのに、その横顔は、繋いでいるその手は、大人の男の人のもので、意識してしまうと無性に気恥しくて姫花はそっと視線を逸らしていた。


(恥ずかしいのに、なんでだろう。掌から感じるこの体温が心地よくて、もう少しだけこうしていたい――……)


 いつも様子を伺ってくれている時と違って、いつもより歩く速度が速いことなんて、些細なことのように感じて……姫花はこの手を離す気にはなれなかった。


 繋いだ手からは恭哉のあたたかな温もりが、心音が伝わってくる。

 それだけで、あの日の朝を思い出すように、姫花の心臓はとくとくと駆け足になる。



 庭の木々の青さが眩しくて、姫花はそっと瞬きをした。




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