69話 水槽の中
「わぁ……綺麗……」
薄暗い水族館の中は青い光で満ちていた。
揺らめく水面が光を反射して、幻想的な空間を創り出していた。
目を輝かせて水槽を見つめる美樹の横顔を、優斗は満足そうに見つめていた。
「……美樹ちゃんと来れてよかった」
「はいっ。わたしも、優斗くんと来れてよかったです!」
水族館が好きなのか、デートに浮かれているのか、いつも以上に張り切った声で美樹が返事をする。
二人の手は、いまだに繋がれたままだった。
「ふふっ、見て。あの子達、凄く仲がいいのね。私も学生時代はよく親友と手を繋いでたっけ」
「あー、女の子ってなんでかベッタリくっついてるよな」
「そういうものなの。微笑ましいでしょ?」
「まぁな」
通りすがりのカップルが、微笑ましそうに優斗と美樹を見つめていた。ひそひそと交わされる会話を聞いて、優斗の表情が曇っていく。
「優斗くん? 大丈夫ですか?」
「な、なにが?」
「いえ、なんだか顔色が悪いような……。もしかして、具合が悪いんですか?」
美樹にはカップルの会話が聞こえていなかったようで、僅かに変化していた優斗の空気を感じとったようだ。
「ううん、ありがとう。ちょっと人酔いしちゃったのかも? でも、全然大丈夫だよ〜」
へらへらとした調子で、空いた方の手をひらひらと降ってみせる優斗を、美樹は少しだけ強引に手を引いてずんずんと歩き出した。
「美樹ちゃん……?」
「……無理して笑わないで下さい。辛い時は、辛いって言って下さい。……優斗くん、全然大丈夫そうじゃないですよ」
きょとんとした表情で目を丸くする優斗を横目に、美樹の方が泣き出してしまいそうな表情をしていた。
(……美樹ちゃんは、ボクが無理して笑ってるって、気づいてくれるんだ……)
半ば無理矢理、ベンチへと座らせると美樹は優斗へと向き直った。
「わたしじゃ、力になれないかもしれないけど……優斗くんはいつもわたしが困っていると気づいてくれるから、わたしも貴方を支えたいんです」
「美樹ちゃん……」
「だって、優斗くんはそうやって上手く隠してしまうから……そういう時はいつも誰かの為で、自分を蔑ろにしてしまうから……。でも、それじゃあ、優斗くんが辛い時、誰も助けてあげられないじゃないですか」
優斗の華奢な肩を両腕で掴んで、潤んだ瞳で見つめると、溢れるように美樹は告げた。
「わたし、優斗くんが好きです。……優斗くんが辛い時、わたしにその重荷を分けて下さい。……わたしに、本当の優斗くんを見せて下さい……!」
するすると溢れ出した想いが、涙となって美樹の頬をつたった。
俯く美樹を意外そうに見下ろして、今にも泣きそうな表情で優斗はくしゃりと顔を歪めた。
(本当は、このまま抱きしめてしまいたいけど……)
優斗は自身の肩を掴んでいる美樹の両手をそっと剥がすと、ゆっくりと立ち上がった。
表情を悟られないように、美樹へ背中を向けたまま、淡く漂う海月の水槽に手を添える。
「ありがとう。美樹ちゃんの特別になれて、凄く嬉しいよ。本当は、このまま何も言わずに恋人になろうって言ってしまいたい」
だけど、と優斗は寂しそうな声色で続けた。
「……ボク達は、きっと友達のままがいいと思うんだ。美樹ちゃんの特別な友達にしてくれないかな」
揺れ動く優斗の気持ちを代弁するように、あっちへこっちへゆらゆらと海月が漂っている。淡い光に包まれて、優斗は切なげな表情を浮かべていた。
その光景は美しいのに、儚くて淋しさを感じさせた。
「……っ、どうして、ですか……。いえ……優斗くんを巻き込んで、そんな姿にしてしまったんです。愛想を尽かしてもおかしくはない、ですよね」
「違うよっ! ボクが美樹ちゃんに愛想を尽かすわけない! この姿になったことも、本当に気にしてないんだ……」
「……だったら、どうしてですか……」
「……それは、」
優斗がぎゅっと拳を握りしめた。
「……今のボクは、女の子だから……。ボクがこの姿になったこと、後悔してないのは本当だよ。姿が変わったからって、ボクは何も変わってない。だけど、美樹ちゃんは変わったはずなんだ……」
「わたしが……?」
「……ボクが目を覚ました時、美樹ちゃんはボクを抱きしめたよね。顔を近くに寄せたり、手を繋いだり、ボクが元の姿だったら、美樹ちゃんは絶対にそんなこと出来なかったでしょ?」
優斗が寂しそうに微笑んだ。
「美樹ちゃんがボクのことを好きだったこと、気づいていたよ。美樹ちゃんに優しくするのも、返事を急がせなかったのも、全部、ボクが君の前で格好つけたかっただけ。……今は少し、それを悔やんでる、かな。待つよ、なんて言わなければよかった……」
少しのことで顔を赤らめていた美樹が、女の子の姿になってからは動揺しなくなった。
無意識に同性同士の距離感に変わっていたことを、優斗は気がついていた。問題を先送りにしても、お互いが不幸になるだけだとわかっていたから、それに気付かないふりをして、恋人になることはどうしても出来なかった。
「美樹ちゃん。確かに、『優斗』への気持ちは変わってないのかもしれない。だけど、この姿をちゃんと見て、それでもボクを恋愛対象だって言えるかな……」
「それ、は……」
無意識に目を逸らしていた事実を突きつけられて、美樹は困惑した表情で優斗から視線を外す。
今でも、優斗を思い浮かべる時の姿は、元の男の姿だったのだから。
「ボクが最初から女の子だったら、きっと、中身が全て同じボクだったとしても、美樹ちゃんがボクに恋をすることはなかったと思うんだ」
閉じ込めようと決めた気持ちが、水槽に閉じ込められた海月のようにゆらゆらと揺れ動くのを見ない振りをして、優斗は優しく微笑んでみせた。
――大丈夫、ボクは笑えているよ。
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