68話 二人の少女
「あれ? 優斗くんだけですか?」
講義を終えた美樹が研究室の扉を開けると、部屋の中には一人でソファに寝転んでいた優斗しかおらず、誰もいないのか、と不思議そうに訊ねた。
「さっきまでは莉奈ちゃんと真人くんもいたんだけどね〜。ふふっ」
「楽しそうですね?」
「うん! ボク、もしかしたら恋のキューピットになっちゃったかもしれないからね〜」
満面の笑みを浮かべる優斗に促されるまま、美樹はソファへと腰かける。
「莉奈ちゃん、告白すると思うんだ〜。だから、あの二人には上手くいって欲しいなって」
「莉奈ちゃんが……!」
「うん。やっぱり、この気持ちがなかったことになっちゃうのは寂しいでしょ? それに……ボク達の状況だけじゃなくって、伝えておけばよかった、っていう後悔はさ……きっと晴れないと思うんだ」
そう言って、遠くを見つめる優斗を美樹は伏し目がちに見つめていた。その愛らしい少女の横顔に、美樹は胸がズキリと傷んだかのような錯覚がした。
(後悔はしませんか――? そう、莉奈ちゃんには言ったのに、わたしはずっと優斗くんに伝えられずにいる)
美樹の表情に影が落ちる。
(優斗くんの優しさに甘えて、現状の心地良さに浸かって、未来から逃げて。今度は今の優斗くんと向き合うことからも、わたしの気持ちからも逃げている。本当にいくじなし、ですね……)
「ねぇ、美樹ちゃん。今からデートしよっか〜」
「え?」
「約束、したでしょ?」
優斗がにっこりと微笑んだ。
元々、研究室に集まるのは無しの日なのだ。講義も終えて、出掛ける余裕は充分ある。
「そうですね、約束……。デート、したいです」
「うん。よし、決まり! じゃあ行こう!」
ぱっとソファから飛び起きて、優斗が美樹の手を取った。繋いだ手を引っ張って、楽しそうに鼻歌を歌っている。
「美樹ちゃんはどこに行きたい?」
「優斗くんと一緒なら、どこでも……」
「ふふっ、殺し文句だね。ん〜、じゃあ、定番だけど水族館なんてどう?」
「いいですね」
「それなら、ゆっくり公園を歩いていけばすぐ着くしね〜」
どちらかが離そうとするわけでもなく、自然と手を繋いだままの二人は、公園へと続いている並木道を歩いている。
銀杏の黄色い葉がひらひらと舞い落ちる。木漏れ日が優斗の明るい髪を照らしている。
まるで二人だけの世界のように静かな空間で、そよそよと葉が揺れる音が聴こえるのが心地良かった。
「いい風だね〜」
並木道の先には図書館もある。
美樹は、あの日の優斗の告白を思い出して、顔を赤らめた。
(わたしも優斗くんのことが好きだって、伝えないと)
覚悟を決めて顔を上げると、目の前には可愛らしい少女が首を傾げて微笑んでいた。
(――本当に、女の子になっちゃったんですよね……)
だからといって、優斗に対するこの気持ちが変わるわけでもない。今もまだ心の中をあたたかくする気持ちを伝えようと美樹は口を開こうとした。
「美樹ちゃん、水族館が見えてきたよ!」
想いを告げようとしたその瞬間、遮るように優斗が丸っこい建物を指差すと、美樹の手を引いて走り出した。
偶然か、意図的か。
何を考えているのかわからない笑みを浮かべて、優斗が無邪気にはしゃいでいた。
その姿は、どこか無理をしているようで、確かに楽しそうなのに少しだけ痛々しさを感じさせる。
僅かな違和感を気のせいだろう、と意識の隅においやって、美樹はこの時間を目一杯楽しもうと優斗を見つめて微笑み返した。
銀杏の葉が降り注ぐ道を、二人の少女が掛けていく。
仲が良さそうに手を繋いでいる二人は、心を許し合う親友同士のように見えた。




