65話 あたし、頑張ってみてもいいのかなぁ
「それで? どうして全員集まってしまったのかな?」
僕がそう言うと、五人は無言でそっと視線を逸らした。
色々なことが起こりすぎて、皆も疲れているだろうと今日は集まるのを休みにしたはずだった。
かく言う僕も、ここへ集まってしまった一人なのだけれど。
「そりゃ、どうせ研究室に集まらなくたって、講義はあるんだからついでにっていうか、癖で足くらい運んじゃうだろ」
悪びれる様子もなく、次の講義の準備をしながら真人が答える。
「まぁね。何人かは来るかな、とは思ったけれど、まさか全員来るとは思わなかったよ」
僕と真人、姫花と美樹は今から同じ講義を受ける予定だ。莉奈はもともと取っている講義が違うようで、一時間後に別の講義に参加するのだそうだ。
そして、優斗といえば、この姿。
誰も彼女が優斗であるなどと、信じてはくれないだろう。
これからどうするのかは置いておいて、暫くはろくに絵を描けないだろうな〜、なんて優斗はぼやいていた。
それ以上に気にする事はあるだろう、と思いながらも、誰もまだそれに突っ込んでもよいものなのか分からず、ただ頷くばかりだった。
「……真人さんのお父さんのお話だと、哉斗さんは死んだ人の記憶を忘れないと耐えられなかった人達の悲しみを無くす為に、この世界をこんな形に変えたんですよね……」
「……あぁ。優しい人だ、と言っていたよ」
「……それを聞いて、わたし、やっと腑に落ちたんです」
「腑に落ちた?」
「どうして、哉斗さんが助けてくれたんだろうって不思議だったんです。言ってしまえば、この世界を創った、黒幕のような人だと思っていましたから……」
真人から父親や、恭哉の父親の過去を聞いて、美樹が納得したようにぽつりぽつりと呟いた。
「たぶん、本当に優しい人……なんだと思います。だから、泣いて悲しんでいるわたしのことを、放っておけなかった……。助ける選択肢しかなかったんです」
「……優しい人、ね」
「……あの時、もしも優斗くんが死んでいたら記憶を消さないと耐えられないはずだ、君が記憶を維持したいのは彼が生きているから言えることだ、って言われて……答えられなかったんです」
美樹の言葉に、優斗以外の全員が静かに目を伏せた。
かける言葉が見つからなかった。
「あれから、もしも、の夢を見るんです。忘れたくないと言いながら、夢の中のわたしは優斗くんが死んだ記憶に耐えられないんです……。その感覚が、現実のわたしにも残っているんです」
美樹の瞳に、恐怖の色が滲んでいる。
「記憶を失ってもいいなんて思っていません。だけど、矛盾した気持ちがわたしの中にあって……何が正しいのか、わからなくなる。きっと、哉斗さんも同じで、自分の行動が矛盾していることに気がついていないんです」
それは、『死』の恐怖に触れてしまった者だけが理解出来る感情なんだろう。
僕達は、それが間違っているとも、正しいとも言えずに、講義が始まる予鈴の音で研究室を後にした。
*
「皆、講義に行っちゃったね」
「そうだね〜。なんだか、眠くなってきちゃったよ〜」
ソファの上で体育座りをして膝を抱えている莉奈に、優斗がのんびりとした声で、欠伸をしながら返事をする。
「皆も、莉奈ちゃんも、気を遣わなくていいのにね〜。ボクは本当に見た目とかどうでもいいんだし〜」
勿論、気遣いはあるのだろう。けれど、そう言った優斗からは見た目が変わったことへの抵抗はあまり感じられず、莉奈はおずおずと問いかけた。
「……あの、さ。変なこと聞いてもいい?」
「なぁに〜?」
「美樹に気を使ってる、とかは抜きにして……本当に優斗はその姿のこと、大丈夫……なの?」
美樹の前では言えないだろうけど、もしも優斗が辛いなら今なら話を聞けると思う、と付け足して、莉奈が聞きづらそうに優斗に視線を送る。
「……ふふ。ありがとね。でも、本当にボクは見た目とか性別とかどうでもいいんだ〜。だって、容れ物がなんであっても、ボクはボクでしょ?」
そう言うと、優斗は少しだけ困ったように眉を下げて笑った。
「……でも、未練がないって言ったら、それは少し嘘になっちゃうかな。ボクから見た世界はボクの姿が変わったからって変わらないけど……美樹ちゃんから見たボクは、変わったように映ってしまうから」
「優斗……」
「あの日、美樹ちゃんに告白したんだ」
けろりとした様子で世間話でも話すように言い出された内容に、ぴたりと莉奈が動きを止める。そんな莉奈のことなどお構い無いといった様子で、優斗は飄々とした態度を崩さなかった。
「美樹ちゃんの、特別になりたいって言ったんだ。ボクのことをもっと意識して欲しくて、友達の好きだなんて誤魔化されないように、ちゃんと好きだって伝えた」
「う、うん」
「美樹ちゃんのペースでいいと思ってた。返事を急かせたくなくて、格好つけて、いつまでも待ってるって言ったのを、今は少しだけ後悔してるんだ……」
だって、と優斗が続ける。
「今のボクじゃ、恋愛しての特別には……もう、なれないかもしれないから」
そう言った優斗は、困惑と寂しさが入り交じったような表情で微笑んだ。
「そんなっ、こと……」
「ないって、言えないよね……」
莉奈は、それ以上何も言えなかった。
好きな人が男じゃなくなったら、なんて、考えたこともなかった。
「中身で好きになるって言うけど、それは性別っていう前提があって、そこから関係を進めていくからだと思うんだ。異性が恋愛対象なら、もしボクが最初から女の子だったら、美樹ちゃんは友達としてボクを見ていたんだと思うんだ」
「そうかもしれない、けど……でも、美樹だって優斗のことが好きで……」
「うん、わかってたよ。美樹ちゃんもボクのこと、そういう特別だって見てくれていたこと。だから、安心しちゃってたんだ」
へらり、と笑った優斗の表情に、いつものような気楽さはなく、それが莉奈の心を締め付けた。
「……ボクがこの姿で目を覚ました時、美樹ちゃんが泣きながらボクを抱きしめたんだ。それに、今までの美樹ちゃんなら逃げちゃうような距離まで顔を近づけても平気だった。それってさ……美樹ちゃんの中の意識が、変わっちゃったんじゃないかな」
いつもの美樹なら、優斗を抱きしめることはなかったはずだ。泣きながら、ぎゅっと手を握る、そんな美樹の姿しか想像が出来なかった莉奈は黙り込んだ。
無意識だとしても、同性だったからこそ、恥じらうことなく許せる距離だったことは明白だった。
「……なんて、ね。過ぎたことを悔やんでもしょうがないけどっ」
そう言って、ぴょんっとソファに飛び乗る姿は、とても可愛らしい女の子そのものだった。
「まぁ、デートの約束も出来たから、頑張ってみるけどね〜。友達でいて欲しいって、言われる覚悟もしとかないとね」
「……優斗」
「ふふ。莉奈ちゃんがそんな顔しないでよ〜。ボクはまだ諦めてないんだからさ。それより、莉奈ちゃんは真人くんに告白、するの?」
「あ、あたしは……出来ないよ」
「どうして?」
「だって、さっき話したでしょ。あたし達、家族みたいに過ごしてたんだって……。真人の言う妹みたい、は本当に妹なんだもん。望みなんてないし……」
こんな状況になっても、真っ直ぐ美樹に向き合おうとしている優斗に向かって、泣き言を言うのは気が引けて、莉奈は言葉を飲み込んだ。
「うぅん……違う。ただ、あたしに勇気がないだけ。望みがないのがわかってるから。伝えてしまったらこの関係が壊れちゃうだけなのかもって、それが怖いだけ……」
「……壊さないと、始まらないよ」
「……ははっ、優斗は強いなぁ。……壊しても、大丈夫かなぁ」
「大丈夫。縁が切れたりはしないよ。新しい関係に、なるだけだから」
くしゃっ、と顔を歪めて、泣き笑いのような表情で弱々しく呟いた莉奈を、優斗は淀みのない瞳で真っ直ぐと見つめていた。
「……ねぇ、優斗。あたし、真人に忘れられたくない。……あたしの気持ち、なかったことに、したくない」
莉奈の瞳から、ぼろぼろと大粒の涙が溢れ落ちる。
「あたし、頑張ってみても、いいのかなぁ……」
「……いいよ。真人くんのこと、振り向かせてやろうよ」
迷子の子供のように、膝を抱えてひっくひっくと肩を弾ませる莉奈を、そっと優斗が抱き寄せた。
「……女の子の姿でよかった。こうやって、泣いてる莉奈ちゃんを励ますことが出来るから」
そう言って、得意のウインクをして優斗が笑うから、つられて莉奈も微笑んだ。
ぽんぽんと背中を叩く手が、あまりにも優しくて、莉奈は小さな声でありがとう、と呟いた。




