61話 おばあちゃんなのよ?
「桜ちゃん! あら、真司さんもいたのね」
「俺もいたら駄目なんですか……」
「そういう訳じゃないけど、まぁ……いいわ」
いつもの様に、適当な様子で桔梗さんはどっちでもいいわ、と話を再開しようとする。
「桜と二人で話すなら、俺は出ていきましょうか?」
「たいしたことじゃないから、真司さんもいていいわ」
「はぁ……」
真司が気のない返事をすると、子供のように屈託のない笑顔で桔梗さんは言った。
「私ね、哉斗との子供が欲しいの!」
「はぁっ……!? ゲホッ……ゴホッ……」
咳き込む俺をよそに、桔梗さんは腕を組みながら、しみじみと語り出す。
「前に桜ちゃんが言ってた事がやっとわかったの」
桜も俺と同じような表情で、首を横に傾げていた。
「こんな身体だから、子供のことなんて考えたこともなかったけれど……。確かに体温も感じられない機械の身体より、子供を産める身体を考えるべきだったわ!」
「……桜、そんなこと言ってましたっけ……?」
「後半は言ってないわ。だけど、貴方たちも婚約して、桜ちゃんと子供が欲しいって話をしていたら……」
「……桔梗さんも子供が欲しくなった、と」
「そういうこと!」
全く、この人はいつも突拍子のないことを言う。
「哉斗さんには、もう言ったんですか?」
「もちろんよ! 協力してくれるって言っていたわ」
そう言って微笑む桔梗さんは、数年前とは見違えるほど楽しそうに笑うようになった。
「よかったですね、桔梗さん」
その笑顔に釣られるように桜が微笑んだ。
「私、今がとても楽しいわ。桜ちゃんがいて、真司さんがいて、哉斗がいて……。今までよりも深く、哉斗に恋をしているもの」
そう言った桔梗さんは、見た目に違わず、年相応な女性に見えた。
「桜ちゃんが言っていた気持ちも、だんだんわかるようになったし、人の気持ちっていう見えないものが愛おしくなってきたわ!」
「桔梗さんにそう言って貰えて、私も嬉しいです!」
「お互いに子供が出来たら、一緒に遊びましょうね。きっと今よりも幸せになってるはずだわ」
楽しそうに話している二人を見つめながら、この時がずっと続けばいい、なんて柄にもない事を思っていた。
ただ、俺はこの時から、嫌な予感に気づいていながらも、見て見ぬふりをしていたのかもしれない。
まるで、年相応に恋を語っている桔梗さんと、数年前の桔梗さんのように止まった感覚の中で桔梗さんを愛している哉斗さん。
永い時間、同じ時間を生きてきた二人の間に、心の差が生まれていたことに、俺達は気づけなかったのだ。
*
「私に似て、可愛いでしょう?」
あれから、桔梗さん達の間に男の子が生まれた。
クローン体と言っても、二人ともオリジナルをそのままコピーしたクローン体を使用していたからか、なんの違和感もなく子供が出来たのだという。
つんつん、と赤ん坊のふっくらとした頬を桜が指先でつつくと、赤ん坊がその指をぎゅっと握って微笑んだ。
どことなく、二人の面影がその赤ん坊から窺えて、俺と桜はふっと頬を綻ばせた。
「すっごく可愛いです! 名前はなんていうんですか?」
「私と哉斗から文字と音をとって、恭哉っていうの」
「恭哉くん……。もうすぐ家の子も産まれるから、同級生になりますね」
「仲良くなってくれるといいわね」
「なりますよ。私たちの子ですから」
「そうね」
穏やかに微笑みながら、赤ん坊を抱っこしてあやしている桔梗さんは、以前に増して雰囲気が柔らかくなった気がする。
「桔梗さん、また少し雰囲気が変わりましたね」
「そうかしら? ……私が変わって見えるというのなら、きっと母親になったからだわ」
「ふふ……そうですね。母性っていうんですかね。なんだか、大人な魅力で溢れていますよ」
「ありがとう、嬉しいわ」
生まれたばかりの赤ん坊を抱いている桔梗さんの傍に、哉斗さんがいないことを不思議に思い、桜が問いかけると、桔梗さんの表情が少しだけ曇った。
「そういえば、哉斗さんは……?」
「哉斗は……変わらないわ。あの頃のままよ」
「そう、ですか」
「あの頃の桜ちゃんも、こんな気持ちだったのね。愛しているし、愛されているけど、時々……酷く悲しいわ」
「桔梗さん…………」
あの頃から変わらないままの哉斗さんには、生まれた子供への愛しさも、記憶を失う恐怖もなく、桔梗さんと同じ目線ではなくなってしまっていた。
「真司さんなら、わかってくれると思うけど……私は生き残りの研究者よ。あの選択は間違ってないと言いきれる」
「…………はい。俺も、そう思っています」
「だから、貴方たちが死んでしまったら、私は生きていけないほど辛くて悲しいわ」
「…………はい」
「でも、今は……貴方たちの記憶が消えてしまうのも同じくらい怖い。私は、貴方たちを忘れたくないし、この子に忘れられたくないの」
「…………はい」
桔梗さんは、困ったように微笑んだ。
「私も、もう、どうすればいいのかわからなくなってしまったわ。……この時代で、この世界で、私たちが間違っているのかどうか」
「それは、桜や俺。この時代で生きる奴に、ただ影響されただけ……ではないんですよね」
子供が生まれるからか、桜を愛したからか、俺だって、今は桔梗さんの思うように、忘れることも怖いと思っている。
だけど、遥か昔にしたその選択を、今の自分達が覆してもいいと自信を持って言える気もしなくて、俺達が桔梗さんにとっての一時の迷いではないのか、と訊ねた。
「違うわ。私が、私の感情で、記憶のなくなる世界と記憶かなくならない世界のどちらも望んでいるから、わからなくなっているの」
愛しているからこそ、その人の後をおってしまう。その気持ちも、痛い程にわかっているんだ。
「哉斗さんは……」
「哉斗は、私の言うことが理解出来ないそうよ。……その気持ちも、すごくわかるの。だって、同じ時間を一緒に生きてきたから」
なんと声をかければよいのかわからず、俺はただ黙って俯いた。
「そんなに心配そうな顔をしないで。人はいずれ死ぬ……。それをこの時代で知っているのは貴方たちと、ほんのひと握りの限られた人間だけ」
だけど、と続けた桔梗さんは、力強く微笑んだ。
「私は永く、永く、生きてきた、おばあちゃんなのよ? 哉斗と一緒に、ゆっくり考えてみるわ。考え事に何十年はかけられるくらい、気が長いんだもの」
桔梗さんの言葉に、赤ん坊が声を出して笑った気がした。それを見て、優しく微笑む桔梗さんは、紛れもなく母親だった。
あぁ、俺の尊敬するこの人は、無邪気な女の子で、優しいお姉さんで、信頼出来る友人で、強い母親になろうとしている、この世界でもっとも人間を愛しているおばあちゃんなのだ。




