56話 容れ物
優斗が目を覚ますと、真っ先に真っ白な天井が目に入った。
「……っ! 優斗、くん……? 気がつきましたか?」
まるで、初めて身体を動かしたのだとでもいうように気怠い身体は、ベットに根でも張っているのかと思うくらい動かない。
優斗は、ぎこちない動きで声のする方へ首を傾けると、そこには心配そうにこちらを覗き込む美樹の姿があった。
「……美樹、ちゃん。……心配かけて、ごめんね」
優斗がそう言うと、美樹はぼろぼろと大粒の涙を流して、ぎゅっと優斗へと抱きついた。
「……わ、わた、しの方こそ……ごめ、んなさい……。ごめんなさい……」
優斗が無事だったことへの安堵と、自分を庇ったせいだという後悔。それもあるのだろうが、何故か美樹はごめんなさいと謝るばかりだった。
「美樹ちゃん、そんなに謝らないでよ。ボクがしたくて勝手にやったことなんだから、ね?」
泣き続ける美樹を落ち着けようと、気怠い身体をゆっくりと起こして、そっと美樹の頭を優しく撫でる。
それでも、泣き止むことの無い美樹と、伸ばした自身の手に感じる違和感に、優斗はぴたりと動きを止めた。
「あれ……? そういえば、ボク……このまま死んでしまうんじゃないかって思うくらいの怪我を、していたんだよね……? それなのに、なんで……どこも痛くないんだろう」
身体が重くて動かしづらいものの、あれだけの怪我の痛みを感じないのは、どう考えてもおかしかった。
「それに、この声……。ボクの声じゃ、ない……? これじゃあ、まるで……」
まるで、女の子の声みたいだ。
そう言おうとして、優斗は自身の声の異変に、そっと掌で自身の喉を触った。
喉仏のない、すべすべとした首に、さらりと長い髪が触れる。肩よりも長い髪を小さくて柔らかな手でそっと掬いとると、艶々とした光沢を帯びた髪が、優斗の掌から溢れた。
「なに、これ……」
涙に滲む美樹の瞳を見つめると、そこには見たこともない女の子の姿が映っていた。
「美樹ちゃんっ! この部屋に鏡ってある!?」
理解の追いつかない状況に、本当に自分の想像が正しいのか確認したくて、優斗は慌てて自身の姿を見れるものはないかと美樹へと訊ねた。
「……わたしの、手鏡なら……。あの、本当に……わたしのせいで、ごめんなさい……」
息をするように謝罪を重ねて、おずおずと鞄の中から手鏡を取り出すと、美樹は優斗へと手鏡を手渡した。
「……女の子が、ボクと同じ動きをしてる……」
信じられない、といった様子でペタペタと頬を触る優斗に、いつの間に入って来たのか哉斗が告げる。
「……やぁ、おはよう。やっとお目覚めだね」
「……恭哉、くん?」
「そんなに似てるのかな? 僕は哉斗。君の友達とは別人だよ」
きょとんとした表情で見つめる優斗をよそに、哉斗は淡々と優斗の置かれている状況の説明を始めた。
「察しの通り、君は一度死んでいる」
「ボクが、死んだ……?」
「死んだ、というと語弊があるね。死にかけていた君の身体は、もう手の施しようがなくてね。そのままでいれば、君はここにはいなかっただろう」
ぼんやりとした記憶を辿ると、確かにここで死ぬわけにはいかない一心で、恭哉によく似たこの男に言われるがまま、なんでもいいから助けてくれと願ったのを優斗は思い出した。
「その身体は、クローン技術で僕が創った空っぽの容れ物でね。本来、その身体を使うはずだった人はいたんだけれど……。彼女がこの世界からの離脱を望んだ為に、使われないまま保存してあったんだ。君は相当に悪運が強いみたいだね」
聞き慣れない単語に、シャンプーの詰め替えの話でもするかのように気軽に告げられる容れ物の話に、優斗はぱちくりと瞬きをした。
「ようするに、空っぽのクローン体に君の記憶データを投影して、君をコピーしたんだよ。死んでしまった後では記憶の移植は出来ないからね。あの場所だったのも運が良かったよ」
そう言って、優しそうに微笑む姿は、本当に恭哉と瓜二つだった。
「……えっと、とりあえず、ありがとう?」
現実離れした状況をなかなか飲み込めず、優斗はただ、ありのままを受け入れると、哉斗へとお礼を言った。
「……僕にお礼を言うなんて、君は不思議な子だね」
「まぁ、助けて貰ったならお礼くらいは普通に言うよ? それに、別に容れ物に拘りはないしね〜」
「そんなものかい? せめて、性別くらい合わせてあげられれば良かったんだけど……。死んでしまっては元も子もないからね」
「うん。まぁ、今は実感がないっていうのもあるけど、男でも女でも別にボクはボクだから。どっちでもいいや〜」
あっけらかんと普段のようなテンションで、自信に起こった変化を受け入れる優斗を見ながら、申し訳なさそうに俯く美樹を優斗は見逃さなかった。
「だから〜。美樹ちゃんも、本当にもう気にしないで? ボクとしては、美樹ちゃんが悲しそうにしてる方が一大事なんだよね〜」
「で、でも……。女の子になっちゃったんですよ! もう、元の姿には戻れないん、ですよ……?」
好き嫌いは置いておいても、自身の姿というのは本人かどうかを確立する要素の一つだ。
それを失うことなど想像もしたことがなかった美樹にとって、自分という存在が揺らいでしまうほどの事態であるこの状況は、どう受け入れていいのか分からなかった。
「……大丈夫。美樹ちゃんを慰めたくて、強がってるわけじゃないんだ。ボクにとって、ボクの証はこの記憶からなる自我だから……本当に見た目なんて、なんだっていいんだ。だから、ね。美樹ちゃんの笑った顔を見せて?」
そう言って微笑む表情が優しくて、あたたかくて、それが本心であることがわかる。
「優斗、くん……」
「死ななくて良かった。……美樹ちゃんに忘れられなくて良かった」
「……うん。優斗くんを失わなくて、よかった、です」
ぽろぽろと零れる涙は、今度こそ安堵から来るものなのだろう。
細い指でそっとその涙を拭うと、優斗はぎゅっと美樹を抱きしめた。
「ボクが目を覚ましたら、デートしてくれるって約束、覚えてる?」
「……覚えて、ますよ。わたしと……デート、してくれますか?」
「もちろん!」
元気のいい優斗の返事に、ふふっと笑い合うと、二人は顔を見合わせて、こつんと額と額を触れ合わせた。
(この姿になっちゃったこと、後悔してないのは本当だけど……。女の子の姿だと、美樹ちゃんは抱きしめてもなんとも思わないのかな。ボクが、元の姿だったら、美樹ちゃんはこんな距離で微笑んでくれたのかな……?)
一抹の不安が、杞憂であることを祈りながら、優斗は再びこうして美樹と触れ合える喜びを噛み締めるのだった。




