80話 赤い山猫 前編
80話 赤い山猫 前編
――追いかけてきてください?
商会の裏口。デリックは心配げに天音たちの様子を伺っている。
ユーウェインはいかめしく。ジャスティンは何故かショックを受けて口を半開き。
そして天音は周囲の緊張をよそに、ぼんやりとした面持ちで首を傾げた。
どうにもこうにも伝言が端的過ぎて状況が見えない。
「いったい何が書いてあるんだ?」
口火を切ったのはユーウェインだ。
天音は一瞬迷ったが、文面そのままを答えることにした。
「ええと……場所は指定されていないのですが、追いかけてくださいとだけ」
「ふむ?」
ユーウェインが胡乱げに相槌を打つ。
「文字が乱れているので、慌てて書いたんじゃないかと。
デリックさん、行き先に心当たりはありませんか?」
「あ、はい。実は先ほど、北部領フィオナラの領主夫人、アイディーン様からの使者が」
デリックの答えに天音が目を丸くしかけたところで
「はああ?」
――ジャスティンがすっとんきょうに声を上げた。
(あれ。ジャスティンさんの姿が見えない)
声のしたほうを振り返ると、ジャスティンは忽然と消えていた。
不思議に思った天音はきょろきょろとあたりを見回すと、頭を抱えてうずくまっている。
「……終わりだ。終わった。魔窟に連れ去られた……!」
真っ青な顔にどんよりとした声。
天音が無言でユーウェインに視線を向けると、肩をすくめて「処置なし」の合図。
「とりあえず、中に入りましょうか?」
「そうだな。話が進まん」
(字は乱れてたけど、佐波先輩は不審者に何の対策もなく着いて行く人じゃない)
唐突に訪れた、佐波先輩の行方不明事件。
天音は内心ドギマギとしていた。
ここは見知らぬ土地で、異世界なのだ。
警察に届け出るわけにもいかない。
佐波先輩の後を追う。その前提はゆるぎないはずだ。
きっとユーウェインが何とかしてくれる。
天音は落ち着くために深く息を吸って、裏口の扉に手をかけた。
◆◆◆
裏口から館へと入る。
長い廊下は艶やかで黒光りしている……はずだが、ロウソクの灯りだけでは伺えない。
既に日が暮れかけているのだ。
左右に部屋があるため窓からの採光もない。
まずは事情を聞こう。
そうユーウェインが言って応接室へ足を向けようとすると、声が掛かった。
「あら、早かったのね。お帰りなさいませ、イヴァン様」
ユーウェインに向けて、女性が一礼をする。
アビー、それともジリアン?
声は双子のどちらかのものだけれど……。
天音が逡巡していると、「ジリアンよ」とこっそり耳打ちされる。
「双子だから間違われることがほとんどなの。気にしないで」
申し訳なさそうな天音の顔を見かねて、ジリアンがフォローを入れる。
天音が頷くと、ジリアンはかすかに笑顔を見せた。
控えめな笑みに、天音はあれっと思う。
(うーん。印象が違うような……?)
ジリアンとは何度か交流を持っているが、もっと押しが強い雰囲気だった。
あくまでユーウェインの前ということで猫を被っていることも考えられるが、二面性があるタイプには思えない。
天音が廊下の端でうんうんと唸っている間に、話はさくさくと進む。
「アイディーンの使者がやってきたと聞いたが」
「ええ、その通りです。アビーがサヴァさんと既にあちらのお屋敷へ向かっていますわ」
あくまで事務的な様子のジリアンに天音はそうなのかと納得しかける。
しかし、後ろからピリピリと、妙に刺激的な視線を感じる。
天音に向けてではない。ジリアンに向けて、怒りの篭った視線がまっすぐ伸びていた。
「……なぜ止めなかったんですか?」
「アイディーン様の命令だからよ」
「諌めることぐらい!」
「無理だわ。私たちの立場では歯向かうことは出来ない。
そちらとは事情が異なるのよ」
ジャスティンの語気は荒い。
ジリアンはと言えば、冷静に弟を宥めている。
――姉と弟のやり取りにはどこか緊張感が漂っている。
(家族って感じじゃあ……ううん。よそさまの家のことだもん)
家族だから遠慮をしない。
喧嘩をしても気付けば仲直り。そういった気安さは感じられない。
何かしらの確執があるのかもしれない。
だが、天音がおいそれと触れて良い部分ではないのだ。
「ジャスティン、落ち着け。
フィオナラはグリアンクルより領主の立場は強い。
連れて来いと言われて断れるはずもなかろう」
「……わかっています」
見かねたユーウェインが仲裁に入ると、ジャスティンは態度を改め一歩下がる。
とはいえ瞳には怒りが宿され、いつ再燃するかわからない。
「ジャスティン、お前は少し頭を冷やして来い」
「ですが……」
「命令だ。今のお前じゃ傍にいても役に立たん」
仕える主人にピシャリと言われ、ジャスティンは一瞬鼻白む。
しかし生真面目な性格ゆえか、黙って席をはずす。
「さて、では応接室で話の続きを聞こうか」
「かしこまりました」
◆◆◆
デリックにお茶を入れてもらって一息つく。
ゆったりと弛緩した空気の中、ジリアンが話しはじめた。
「まず、アイディーン様からの言伝も預かっております」
「聞かせてくれ」
「明日、夜会の席を用意している、と」
夜会。天音にはピンと来ない単語だ。
(舞踏会……とかじゃないよね。パーティみたいなものかな?)
事前知識がないため、天音にはさっぱり予想がつかない。
あとで確認することにして、二人の会話に黙って耳を傾ける。
「サヴァのことは?」
「異民族の娘と話をしたくなった。
もう一人の娘を夜会に連れてくれば、無事に帰そう。
そう仰っておられたようです。
……念のため申し上げておきますが、
情報を流したのは私とアビーではありません」
「わかっている。いずれ話が漏れるとは思っていた。
想定していたよりは早かったが……」
「ちょ、ちょっと待って下さい!」
異民族の娘とは佐波先輩のこと。
だとすれば、もう一人というのは天音のことに違いない。
なぜか取引材料の一つにされていることに疑問を抱いた天音は待ったをかけた。
「ど、どうして私もなんですか?」
「情報が漏れていたからだ」
「いえ、ですから。私が呼ばれる理由がわからないんですけどっ」
「……ふむ。一つには、物珍しいからだろうな」
「物珍しい……?」
天音の頭の中に、突如として動物園のイメージが浮かんだ。
檻の中にはパンダ。物珍しい動物たちを観客は繁々と見つめて……。
「――私はパンダじゃありません!!」
「パンダとは何だ」
即座にユーウェインから突込みが入った。
天音はぐぬぬ、と口ごもったあと、ぼそぼそと説明する。
「私の故郷には珍しい動物の……見世物小屋のような施設がありまして……」
「ほう。興味深いな。そうすると、パンダとは珍しい動物というわけか?」
「そうなります……ってそうじゃなくて!」
「落ち着け。意味はわかる。あまり真に受けるな。
単純に、異国の話を聞いてみたい。それだけだろう」
「本当に……?」
「本当だ」
天音はアイディーンという女性をよく知らない。
領主夫人……というからには、既婚女性なのだろう。
(既婚者か。ちょっとほっと……ううん)
今はそれどころではない。
思考にストップをかける。
アイディーンの人となりよりも佐波先輩の身柄は大丈夫なのだろうか。
天音が不安げに見つめると、ユーウェインは泰然とした態度を崩さずに答えた。
「サヴァについてもそう心配することはあるまい。
賭けてもいいが、複雑なことは考えていないぞ。
物珍しいのと、あと二つ目の理由は……」
「理由とは?」
言いよどむユーウェインを急かす。
「――いや。やめておこう」
「ええ、もったいぶっておいて言わないんですか?」
ユーウェインは天音の疑問にむっつりと押し黙る。
心なしか、照れているように見えて、天音は更に疑問を頭に浮かべる。
「お話を戻しても宜しいでしょうか?」
「ああ、すまん」
ジリアンから軌道修正が入った。
少々横道に逸れすぎていたようだ。
天音は気恥ずかしげに身じろぎをして、続きを促した。
「イヴァン様は礼装をお持ちですが、アマネさんはそうも参りません。
差し支えなければ、私が見繕わせていただきます」
「急場だが、大丈夫か?」
「お任せください。嫁いだとはいえ商家の娘。
滞りなく調達してみせましょう」
ジリアンは余裕のある笑みを浮かべる。
商家のお嬢様の次は、貴族の侍女スタイル。
まるで着せ替え人形のよう。
天音は不安を感じながら、ひたすら佐波先輩の身を案じた。




