65話 銀のコイン
65話です。
65話 銀のコイン
夕暮れ時、トゥレニーの門前は人波でごった返していた。
こちらに来てからこれほど大勢の人を見たのははじめてだ。
天音は老婆の時のようなことがないように、佐波先輩や子供たちとしっかり寄り添いながらあたりを伺う。
塀の高さは二階~三階建て程度。
門前には槍を持った衛兵が数人、人波を整理しながら身分証明を促している。
その奥では役人が待機している。紹介状や身分証明が本物かどうか、確認作業を行っているようだ。
そして外には天幕がはられている。
天音たちの警護をしてくれているホレスに訊いてみると、水や食料品を売る商人たちが店を開いているようだ。
また、商人だけではなく旅人たちの野営用の天幕もあるらしい。
つまりはホテル代わりといったところだろうか。
お金はかかるみたいだが、春になったとはいえまだ肌寒い。
雨が降ることもあるのでお金を払ってでも泊まりたい、という声は多いのだそうだ。
いずれにせよ天音たちには関わりのない話だった。
いざとなれば幌馬車の中に全員入れるので、天幕は必要ない。
「今日は届出を出すだけに留まりそうですね」
「案の定だな。この時期は人が多い。
諦めて今晩も野営だ」
ユーウェインとジャスティンが役人への届出から戻って来た。
天音は素知らぬふりをして馬車の前でユーウェインの声がけを待つ。
人の目が多くなっているから、ユーウェインとの距離感に気を付けるようにと言われたのはつい先ほどのことだ。
目を合わせない、腰を落とす、用事があったとしても声掛かりを待つ。
とくに異民族なので身分差を意識した立ち居振る舞いをしないと周囲の反発を招くのだそうだ。
グリアンクル内では気にもしていなかったことだが、なるほど、ユーウェインの立場を考えると納得も出来た。
だが納得の反面、胸の内に物寂しさが生まれたことも事実だった。
(いや、でも。お仕事の範疇だし)
他会社に出向する中小企業の社長と、随行する一般社員の関係に近いのかもしれない。
そんな例え話で天音は自分自身を納得させていた。
異民族の扱いについては、天音の中でも気持ちの整理がついていない。
何しろ、開拓村の中では問題のもの字も起こらなかったのだから、注意を受けていたとはいえ晴天の霹靂だ。
ただ、ユーウェインはこれからは厳重な警護を行うことを約束してくれたので、表面上は気にしないふりをすることにしていた。
佐波先輩ともそのあたりのことは少し話している。
「アマネ。馬車の中へ」
ユーウェインがそう言って天音を促した。
話があるということだろう。
ちらりと隣を見遣ると、佐波先輩と子供たちはジャスティンが担当しているようだ。
子供たちの前では大人の話が出来ない。
そのことから、個別に事情説明が行われる流れ……になっているのだろう。
エドとダニーはジャスティンがお気に入りのようで、左右両方から取り合いをしている。
佐波先輩にぴたっと寄り添っているのはシンディだ。
引っ込み思案なシンディは大人の影から滅多に離れることがない。
馬車の中に入ると、ユーウェインは大きくため息をついてどしりと腰を落とした。
「……お疲れのようですね」
「ああ」
天音は悩んだ末、一言だけねぎらいの言葉をかけた。
先日の夜のことは記憶に新しい。少し気恥ずかしい気持ちにさせられる。
ユーウェインが発したあの一言は、天音の心を相当かき乱してくれた。
何気ない言葉には思えなかった。きちんと意思を持っていたように天音には感じられた。
(……いったい、どういうつもりで?)
心の中で何度も問い掛けてみたが、もちろん答えなど出ない。
ユーウェインの内心はユーウェインにしかわからない。
けれど察することが出来ないほど天音は子供でもなかった。
馬車の中は天音が持ち込んだ手回し式ランプの灯りに照らされている。
そして、ふたり以外に誰もいない。
そのことに今更ながら気付いて天音は内心狼狽した。
ユーウェインは興味深そうに天音に視線を向けた。
まるで珍しいものを見たかのようだ。天音は顔を見られないように俯いて視線を遮る。
いつもならお茶の一つでも出しているタイミングだ。
天音は動揺を抑えて、ポットの中のお茶を木製カップに入れてユーウェインに手渡した。
「お茶請けはありませんが……」
「……くっ」
そう言って天音がユーウェインから離れようとすると、馬車の中で笑い声がはねた。
天音が驚いて顔を上げると、ユーウェインはおかしそうに腹を抱えて笑いを堪えている……効果は見られないようだが。
「ちょ……何でそんな笑われなきゃいけないんですか?」
あまりの反応に天音が抗議をすると、ユーウェインはさらに笑いだした。
どうやら失礼な態度を改める気はないようだ。
ユーウェインの笑い声が止むのを待つ羽目になり、天音は憮然とした表情でむっつり黙り込む。
天音の不機嫌顔にユーウェインが気が付いたのはそれからしばらくしてからのことだ。
「いや、すまん。おまえがあまりにも挙動不審なものだから……」
目尻に涙をためて謝られても説得力がない。
天音はツンと唇を尖らせて、本来の話に軌道を修正することにする。
「それで、何かお話があったんですよね?」
声が硬くなってしまうのは致し方ないことだろう。
天音の問い掛けにユーウェインはふざけ心を抑えたようで、神妙に頷いた。
「明日の昼にはトゥレニーに入るわけだが、俺はしばらく別行動になる」
ユーウェインの言葉に、天音はひゅっと息を止めた。
◆◆◆
「詳細は省くが、城へ向かわねばならん。
挨拶まわりもあるから、戻るのは一両日あとになる……アマネ?」
聞いているのか、と確認されて天音ははっとして頷いた。
耳に入れてはいたが、反応が遅れてしまった。
「……大丈夫です。ええと……私たちはどうすれば?」
何とか我に返った天音は、あくまで事務的に聞き返した。
別行動になるのならば、誰の指示に従えば良いのだろう。
天音の疑問にユーウェインはあっさりと答える。
「ジャスティンに全て任せてある。
商売のこともあるから、あいつがいないと話にならんからな」
ユーウェインのお付きはティムが務めるようだ。
ティムたちは先ほどすでに一行に合流している。
子供たちの件は何とかなりそうだということだけは聞かされたが、宿場の件の詳細はまだだ。
どちらにしても忙しくないタイミングで再度天音の方から詳細は伺うつもりだった。
今はとにかく、これからのことをしっかりと話し合う必要がある。
「わかりました」
「それから、これを渡しておこう」
ユーウェインがおもむろに懐から取り出したのは、手のひら大の銀貨だ。
ずっしりとした重みが手に広がり、天音は困惑した。
表には狼、裏には……メフェヴォーラだろうか?……印が刻まれている。
そして天音がまだ覚えきれていない文字の羅列。
ダリウスに学ぶ手はずになっていたものの、あれから多忙の日々で何とか数字だけは教えてもらったが、文字全般には手を出せていない。
開拓村に戻り次第、勉強を再開することになりそうだ。
銀のコインには鎖が繋がれていて、首から掛けられるようにはなっている。
とはいえ、重さで首が疲れてしまいそうだ。
しげしげと銀のコインを見つめていると、ユーウェインが口を開いた。
「身分証明の代わりだ。革袋に入れて身につけておくと良い。
……もう少し色気のあるものを渡したかったのだが、あいにくと用意がない」
「い、いえ、お気遣いなく……」
色気のあるものと言われて、出て来た言葉はそっけないものだ。
まごまごしている天音の反応にユーウェインは気にする風でもなく話を進める。
「何か問題が起きればそれを出せば良い。
……だが、上の人間にだけだ。
下街の人間には見せるな。誘拐されるのが落ちだ」
「はい………」
つまり使い方を間違えれば先日の件のようなことが頻繁に起こる、ということなのだろう。
財産を持っていて、なおかつ女ひとりとあれば、盗難に合う可能性が高まる。
なるべくひとりにさせないと言われたが、天音は思わず眉尻を下げてしまった。
「そう心配するな。使い方はジャスティンに訊けば良い」
苦笑したユーウェインに宥められても、天音の胸の内にある不安は消えなかった。
その不安の原因が、ユーウェインの不在によるものなのかはハッキリとしないまま、夜は更けていった。
◆◆◆
「グリアンクルの領主イヴァン・マク・ウリエン様の御成り!」
トゥレニー領内なので、ユーウェインはイヴァンと呼び方を変えられて門を越えた。
役人に寄る馬車内の確認はおざなりだった。
ユーウェインの領主という身分が関係しているのだろう。
上記の理由もあってか、異民族であることを咎められることはなく、天音たちは門の中へと足を進める。
ジャスティンが木箱に税金代わりの品物を詰めて役人に手渡すのを佐波先輩とふたりで見やる。
あらかじめ佐波先輩が言い含めていたのか、子供たちは呆けた顔をしつつも、騒ぐことはなかった。
もしかすると建物の大きさに気圧されているのかもしれない。
そう考えると、なんとも微笑ましい気分になってしまう。
子供たちの世話は食事以外はおおむね佐波先輩に任されている。
佐波先輩は小さい頃弟妹の世話をしていたこともあって、子供の扱いに慣れている。
天音は一人っ子だったのでそのあたりのことは詳しくない。
夜泣きが頻繁な年頃だったらここまでスムーズには行かなかっただろうが、ひとまず子供たちに大きな問題ごとがないのは幸いだった。
「モリゾー、久々だねこれだけ人が多いの」
「うん……ドキドキしますね」
天音は佐波先輩に身を寄せて囁きあった。
列の一番前にはユーウェイン……イヴァンがいる。
天音たちは後方だ。
馬車は従士たちがそれぞれ御者を担っていて、ジャスティンの実家へそのまま向かわせるらしい。
列の外側では、異民族の女が珍しいのか怪訝な視線が飛び交っている。
天音は無遠慮な視線にぎょっとしてしまう。
品定めをされるような、物珍しいような、少なくとも好意的とは言い難い。
佐波先輩はというと、涼しげな顔だ。
そういえば佐波先輩は学生時代、海外へ短期留学していたこともあった。
そのせいかこちらに来た時もそれほどギャップを感じず生活に溶け込んでいたような気がする。
天音は不安をかき消すように胸元をぎゅっと握った。
そこには昨晩ユーウェインから貰った銀のコインがおさめられている。
革袋に入れているにも関わらず、銀のコインはひんやりとしていて、天音の熱を奪う。
そして、隣の佐波先輩の手を取る。
佐波先輩の手のひらの温度は暖かかった。
「行こう、モリゾー」
ぎゅっと握り返された佐波先輩の手に安心感を抱きながら、天音は頷いて一歩を踏み出した。




