番外編 開拓村に新しい風が吹く
お待たせいたしました。ダリウス視点の番外編です。まったり楽しんでいただければ幸いです。
開拓村に新しい風が吹く
ダリウスの朝は夜明け前からはじまる。
館内の点検、軽い掃除、そして起きだした従士たちへの指示。
軍事面ではジャスティンに一任しているが、従士たちには館内のこまごまとした肉体労働を頼むことも多い。
そして館内のことは、ダリウスの管轄だった。
水瓶にたっぷりと水が入っていることを確認して、火を起こす。
朝のお茶を用意するためだ。
昨晩から主であるユーウェインの様子がおかしい。
お茶の準備は毎朝のことだが、さりげなく聞き出す必要がありそうだ。
「旦那様。おはようございます」
ユーウェインはすでに起床して身支度を終えていた。
だが、いかにも落ち込んでいる様子で、目元にはクマが出ている。
あまり寝られなかったようだ。
ダリウスははぁと息をついて、朝食がはじまる前に事情を聞き出すことにした。
「……というわけだ」
ユーウェインの話はダリウスにとって要領を得ないものだった。
それでもつらつらと説明される物事の断片をかき集めると、ある程度の形が見えてくる。
つまり、ユーウェインはアマネを口説こうとして失敗したのだ。
落ち込みように反して、深刻な事情があるわけではないのには、内心ほっとした。
もし万が一おおごとになっていたら、後継は望めるかもしれないが、アマネとの関係性はあっという間に破綻してしまうだろう。
とはいえ、ユーウェインのやり方はあまりにもつたない。
これはさり気なく助けを入れたほうが良いだろうか、とダリウスはひとりごちる。
商売女ならともかくとして、ユーウェインの周りに今まで親しい間柄の女性はいなかった。
例外は義理の姉であるエイダ、そしてジャスティンの姉たちぐらいで、彼女たちにしてもユーウェインに近しいとは言えない。
身分の差があるためだ。
そして同等の身分である令嬢たちとの交流も、ダリウスが知る限りほとんどない。
後継を待ちわびている長兄や、いまだ結婚出来ていない次兄の親戚筋から邪魔が入っているからだ。
公都のツテを頼って紹介を受けたこともあったが、当時はまだユーウェインも無役の騎士でしかなかった。
嫁の来てがないのも当たり前だ。
現在は領地に引き籠もっているので、いわずもがな、出会いがない状況だ。
……それでも、ユーウェイン次第でどうとでもなる話だった。
ダリウスたちの実家から富裕層の娘を貰い受けても良い。
貴族の身分が必要なら、後継を欲してはいるが子供がいない貴族家庭の養子にした上で嫁に来て貰えばいい。
それぐらいの根回しはユーウェインならば出来るはずだった。
「そもそも、旦那様は口説く以前の問題ですよ」
「む……」
ダリウスが見た限り、アマネは生活に順応するのに精一杯で、色恋に目を向けていない。
そのような状態で突然視界入ろうとしても無理というものだ。
まず、意思を伝えた上で、はっきりとした態度を取る。
徐々に距離を詰めて接触をはかるのも良いが、男として見られていないのは問題だった。
「乱暴なやり方は論外ですが、今回の方向性もあながち間違っているとも言えません。
ただ、その前にきちんとお気持ちを言葉になさったほうがよろしかろうと存じます」
不器用なユーウェインはおそらく、言葉で伝えることを怠っている。
それは女性への扱いに慣れていないせいもあるし、もともとの性格が理由でもある。
意識をしていない相手に距離を詰められると女性は怖がるものだ。
その点もダリウスは念を押しつつ、話を進める。
「……以上ですが、聞いてますか?」
「聞いている。わかった」
「本当に理解されました?」
「わかっている。しつこいぞ!
要するに、機会を設けてしっかり話せということだろう。
それぐらいのことは、いくら俺でも読み取れる」
「わかって頂けたのなら何よりです」
ダリウスはほっと胸をなで下ろした。
「もちろん、先に謝罪をするのも忘れてはいけませんよ」
「……ああ。
しかし、腹を殴られるとは思っていなかった」
「そこは私にも何とも。
先日なら、贅肉憎しというのもわかりますが」
「…………女とはよくわからんものだ」
「どちらかと言うとアマネさん個人への感想だと思いますがねぇ……」
やれやれと肩を竦めてダリウスは突っ込んだ。
世話の焼ける領主だ。だが、ダリウスは領主の補佐という仕事にやり甲斐を感じている。
毎日忙しさに追われることで、過去のしがらみや時折ちくりと指す心の痛みを忘れることが出来る。
そのことが、ダリウスにとっては重要だった。
◆◆◆
さて、ダリウスの仕事は館の管理や領主の補佐だけではない。
従士たちへの教育も含まれている。
貴族間では当たり前とされる知識を教え込み、対応を覚えさせる。
門衛とのやりとり一つにしても、決められた文言をそらんじるぐらいは出来るようにならないといけない。
だが、従士たちはその方面で優秀とは言えない。
戦闘では頼りになるのだが、もともとの教育素地が違う。
従士たちのほとんどは、ユーウェインの部下となった時点で自分の名前を書ければ御の字だった。
今ではもう少しマシにはなっているものの、識字率は基本的に低い。
農民であれ商人の子供であれ、3男以降の子供に教育費用をかける家は少ない。
そこでダリウスは定期的に座学を教える必要性があった。
知識とは活用しなければ忘れてしまうもの。
忘れれば覚えなおさせる。その繰り返しだ。
「そこ!綴り!」
従士たちの肩がぶるりと震える。どうやら怯えているようだ。
ダリウスはジャスティンが16になった時に従士長の職を辞した。
グリアンクルでユーウェインが領主業を営むことになったと聞いて、内向きの人間が必要だと思いダリウスから申し出たのだ。
「計算が間違っている!」
ひい、と声が上がった。ダリウスはピシリと定規を鳴らす。
木製の定規はしなりがあって、勢いをつけると良い音を出す。
痛みも然程ないので、折檻にはちょうど良い。
だが従士たちには不評だ。
ダリウスとしては怪我もしない上に効果も高く優秀な道具なのだが、伝わらないのが残念である。
それはそうとして、ダリウスは先代従士長だ。
目の前でしぶしぶ勉強をしている従士たちとは勝手知ったる仲なので、気安い間柄……のはずだが。
「もういやだあああ」
「俺は逃げる!いえ逃げませんすみません」
「…………怖い」
今日は座学が苦手な従士3人への集中講義だ。
いつもうるさい3人は、最初こそ静かに勉強していたものの、途中で飽きて来たのか騒ぎ出していた。
ダリウスは再び定規を強く机に打ち付けた。
「……良いですか?従士の恥は主の恥。
つまりグリアンクルの恥になります」
「うええ、またはじまった……」
「今日も飯抜きかな……書き取りいやだ……」
「これ、どこが間違ってんのかわかんね………」
木枠に柔らかい土をいれた土版に木の棒で文字を書く、というのが基本的な練習方法だ。
単純な作業とはとかくつまらないもので、やる気にならないのもある意味当たり前だが、教育係のダリウスとしてはそこで引き下がるわけにはいかない。
「……きっちり勉強を終えれば、ご褒美が待っていますよ?
今日は何が食べられますかねぇ……」
「やります!」
「ありがとうございます!」
「俺らやれば出来る子!」
アマネが来てくれて本当に良かった、とダリウスは思っている。
彼女がユーウェインのみならず従士たちの胃袋を掴んでくれたことで、いろいろと教育がはかどるようになった。
張り切って勉強を再開する従士たちにダリウスはうんうんと頷く。
やる気があるのは喜ばしいことだ。
これからもその意気を持続させなければ、と奮起するダリウスであった。
◆◆◆
ユーウェインたちの出発から丸2日が経った。
あちらはそろそろ中間地点の宿場に到着する頃だろうか、とダリウスは南へと視線を向ける。
現在ダリウスは農民を連れて共有畑へ向かっていた。
今回は同行者に女性がいることもあって、従士たちは全員トゥレニーへと向かっている。
空いた穴は村の青年団に埋めてもらっている形だ。
とはいっても開拓村には若い男がほとんどなので、
平地の空きは今のところいくらでもあるので畑を広げることについては問題はない。
だが予算と人足代の関係で、拡張にも限りがある。
雪解けがはじまれば、まず土起こしからはじめて、石取りや切り株の撤去を行う。
作業をはじめる前に杭打ちで範囲を決めなければならない。
あらかじめユーウェインから言われていた範囲内でダリウスは次々と農民たちに指示を出して行く。
「ダリウスさん。このあたりで良いっすか?」
衛士としてよく顔を合わせているマルコが確認を促してきた。
ダリウスは位置を見やると、静かに頷く。
「まだ土が凍ってるので、深めにお願いしますね」
「了解っす」
杭は畑の周囲をグルリと一周させた。
種まきの時期になれば、杭の量を増やして補強させる。
このあたりはウサギや野ネズミが多いため、堀や罠も必要だ。
芽を食べられてしまってはおしまいなので、念入りに作業する必要がある。
開拓村の課題は山積みだ。
働く農民たちを観察しながら、ダリウスは思う。
農民たちが食えるようになるまで、援助をしていたのはユーウェインだ。
最初の1年は館を建てるだけで終わった。
2年目は、木柵を周囲に張り巡らせて、3年目にやっと畑を耕し始めた。
4年目には初の実りで村中が賑わい、5年目の今年、やっと自給自足の目処がついた。
そしてアマネの出現で開拓村はさらに変化していこうとしている。
今回のトゥレニー行きで嫁を見つける従士もいるだろう。
春から夏にかけて、嫁入り希望の者もやってくる手はずになっている。
そのため従士を全員トゥレニーへ向かわせた。
戻る頃合には種の植え付け時期になるので、この春は大忙しだ。
「あの……食事の方、準備が終わりました」
おどおどと小さな声でつぶやいたのはイーニッドだった。
どちらかといえば全体的に地味な作りではあるが、縫製がしっかりとしていて刺繍も手が込んだ服を着ている。
そろそろ春になるので模様替えだろうか。
トゥレニーでは若い女性によく好まれる刺繍模様は地味な装いに反して瑞々しさがにじみ出ている。
ダリウスは微笑ましく思いながらイーニッドの若さに目を細めた。
「ありがとう。手間を掛けさせましたね」
礼を言うと、イーニッドは控えめに微笑んだ。
そして頬を赤らめて逃げるように去って行く。
子ウサギが飛び跳ねている。そんな印象をダリウスは受けた。
そして同時に、亡くした妻と子供に思いを馳せる。
開拓村に新しい風が吹こうとしていた。
第3章は平日ではありませんが20日月曜日投稿開始です。宜しくお願い致します。




