42話 パン焼き窯よこんにちは
42話です。モフモフというよりは、タプタプ。そんな話です。
42話 パン焼き窯よこんにちは
ドラとの面談は午後の予定なので、それまでにいくつかの試作品を作っておくことにした。
まずは酵母菌を使ったお菓子。
ケーク・サレのような、ふわっとした生地で作ったお惣菜ケーキが一つ。
のちのち味のバリエーションも変化させたいが、今日のところおはベーコンと刻み酢野菜、チーズのケーク・サレだ。
そして次にメープルナッツのクッキーの試作。
こちらはメープルが天音の手持ちの少量分しかないため、あくまで味の雰囲気を確かめるために作る。
小麦粉だけではなく黒麦粉とのブレンドを使い、砂糖の代わりにメープルシロップ、そして酵母菌でふっくらしっとりと焼き上げる予定だ。
「どのようなものを作るのだ?」
「出来てからのお楽しみですよ。
……今日のは試作品ですからね?
ユーウェインさんの分は、ありません」
調査から帰って来て、ユーウェインは外にあまり出ないことが多くなった。
つまり運動する機会がなくなっているので、もし今のタイミングで暴飲暴食すれば大変危険である。
特に今から天音が作る焼き菓子系はカロリーも高い。
「………少しぐらいなら良いだろうに」
ぷうと頬を膨らませてもまったく可愛くない。
天音はユーウェインの脇腹をおもむろに掴んでむにっとさせた。
「!!!!」
「随分と柔らかくなりましたね?」
そう言って天音が牽制をすると、ユーウェインはすごすごと台所を立ち去った。
どうやらわかってもらえたようだ。天音はほっと息をつく。
台所は広い場所ではないので、ユーウェインが居るとどうにも圧迫感がある。
そして視察と称して台所でうろうろしまくるユーウェインは正直に言って邪魔だ。
天音だって美味しいものを目の前にすればドキドキわくわくぐらいはしても仕方がないと思っている。
が、作業の邪魔になるのは頂けない。
鬼の居ぬ間に何とやら、この場合命の洗濯とは行かないが、天音はさっさと作業をしようと倉庫へ走った。
どちらから取り掛かろう、と少し考えたあと、クッキー生地から始めることにする。
この時期に限って言えば型抜きよりはアイスボックスタイプの方が手軽で良いかと思ってそちらにする。
こちらにはもちろんサランラップがないので実際に作る時は煮沸消毒した布を巻くことになるだろう。
また、冬が明ければ気温も高くなってくるので別の方法を考える予定だ。
メープルナッツは昨日の段階で仕込んでおいた。
手持ちのメープルシロップはこれで残りわずかとなったので、今度早めに使ってしまおう、と天音は心に決める。
湯煎してじっくりと溶かしたバターを混ぜる。
持ち込んだ泡立て器でクリーム状に練ったあと、少しメープルシロップを垂らして混ぜ込む。
次に溶いた卵を少量ずつ入れて、ムラがなくなったらブレンド粉とメープルナッツ、酵母菌を入れてまとめる。
重曹がこちらでも手に入れば良かったのだが、近辺にはないようなので酵母菌で代用だ。
クッキー生地は棒状にまとめてラップで包んで冷やしておく。
先日、発泡スチロール冷温箱がなかなか便利だったので、今回も使っている。
いちいち移動しなくても箱に入れておけばいいので楽チンだ。
ヤギがもっと沢山いれば、ヤギ乳を使ってミルクタイプのクッキーを作ることが出来るなとアイディアを出しつつ、ケーク・サレ作業に取り掛かる。
酢漬け野菜だけではなく、乾燥キノコや乾燥カボチャなども入れると旨みが増すかもしれない、と思って天音は投入を決めた。
水分を拭き取り、野菜や干し肉をあらみじんにしていく。
卵をボウルに割りほぐし、香草や岩塩などで味付けをしようとしたところで、天音はふとユーウェインから貰った例の小袋の存在を思い出した。
あの中には瑚椒も入っていたが、まだ使っていない。
少し考え込んで、天音は頭を振った。安定した供給量がないのに容易くは使えない。
頭を切り替えて作業に戻る。
別のボウルで溶かしバターとヤギ乳を泡立て器でよく混ぜてチーズも投入しておく。
あらみじんにした具材を混ぜ込み、粉を振るいに掛けて少しずつ入れる。
この時、練らないようにさっくりと混ぜるのがコツだ。
同じタイミングで酵母菌を加えて、溶かしバターで内側をコーティングしたパウンドケーキ型に流し入れて、あとは焼くだけだ。
冷やしたあと切り分けたクッキー生地と一緒にオーブンに入れて、火の加減はカーラに任せることにした。
「はあ、美味しそうな匂いがします」
お茶を飲んで休憩していると、カーラがうっとりと頬に手を当てて呟いた。
確かに、チーズやバターの香ばしい香りが台所に充満していて、いかにも食欲をそそってくれる。
口の中によだれが分泌されているのがわかって天音も苦笑するしかない。
「このコウボキンって言うのが、食べ物を柔らかくする効果があるんですよね?」
「うん、そうだよ。肉や魚に使っても柔らかくなる」
「へえ~」
カーラは好奇心に満ちた瞳できらきらと柑橘酵母の瓶を見つめている。
料理に興味がありそうなら、色々と教え込んでもいいかもしれない。天音は眩しげにカーラを見つめながらそんなことを考える。
柑橘酵母と言えば、この酵母菌の消費期限はだいたい一ヶ月程度だ。
使い切ることは問題ないが、夏場の保存方法などは考えておかなければならない。
また、継続的に作るのなら、材料についても複数用意しておいたほうが好ましいと天音は考えている。
冬は柑橘酵母でいいとして、春、夏、秋はどうするか。
夏についてはラベンダーが十分な量の収穫を見込めるのであれば、ラベンダー酵母なども良いかもしれない。
ラベンダーとはちみつで確か作れたはずだ。
そんなことをつらつらと考えている間に、ケーク・サレとクッキーが焼きあがったようだ。
こちらのオーブンではシュークリームを焼くのは構造上難しいので、保存性も高い焼き菓子が今後メインになっていくだろう。
「あちち、あちあち」
ケーク・サレは結局3本ほど作った。
あとで少量ずつ、従士たちにも差し入れをとカーラに頼んでおく。
カーラは飛び上がって喜んでいた。美味しいものを婚約者に食べてもらいたい、そんな純粋な感情が表に出ていて、なんとも微笑ましい。
1本を型から取り出して端っこを切り取り、カーラと一緒に味見をすることにした。
「美味しい~」
「美味しいね~」
あつあつ出来立てのケーク・サレは口の中で一瞬暴れまわり、そのあと何とも言えない香ばしさと旨みが一気に広がった。
(うん、良い仕上がり)
中の生地は生焼けにならずにしっとりとしていて、表面はカリカリだ。
チーズや野菜の旨みが生地に染み出していて、とても美味しい。
干し肉は残念ながらそれほど主張はしていない。ベーコンの方がケーク・サレには向いているのかもしれなかった。
焼きたてメープルクッキーも良い出来だった。
砂糖の代わりにメープルで甘味をと思ったが、案外あっさりとしていて食べやすい。
ほのかな甘味に焦がしたメープルの香りがマッチしていて、ついつい食べ過ぎてしまいそうだ。
更には先ほどのケーク・サレで口の中に塩味が広がっている。
塩と甘味、交互に食べ続ければ止まらないのは当たり前だ。
「……さ、そろそろ準備をしようか」
「ですね~……」
天音とカーラは名残惜しげにケーク・サレとクッキーに視線をやりつつ、ドラを迎える準備に取り掛かった。
ドラはダンと一緒に来るらしいので、ダリウスの分を含めて3人分取り分けたあと、成果物は一時的に天音が使っている鍵付きの箱へ避難させることにする。
間違ってユーウェインの手に入りでもしたら大変なことになる。
先ほど身を持って塩と甘味のコンボを体験した天音は、鍵を手に取って深刻そうな顔で唇を引きむずんだ。
◆◆◆
天音がドラに協力して欲しいことは数点ある。
まず、パン焼きギルドとの交渉に向けての助言。
またギルド員への紹介。
そして……試作品の確認と、パン焼き窯のレンタルだ。
「これは……」
焼き上がってから既に1~2時間は経っているが、十分焼きたての範疇に入るだろう。
ケーク・サレとクッキーの香ばしい美味しそうな香りに、ドラの鼻はピクピクと動いていた。
ダンは無表情を崩していない。が、やはり興味はあるようで、ちらりと試作品に視線を向けている。
「ええと………まず、何も言わずに食べてみてください」
ダリウスには予備知識を与えないようにお願いしてある。
食べてみてビックリして欲しいのもあるが、まず先入観なしに食べてもらいたいと天音は考えていた。
ドラがダンの表情を横目で伺うと、ダンは厳かに頷いた。
まずドラはおそるおそるクッキーに手を伸ばして、一口目。
始めは困惑が先立っていて表情が硬かったが、クッキーを口に含んだ途端信じられないように目を見開いた。
「……もしかして、砂糖が入ってるのかい?」
街出身のドラは砂糖を口にしたことがあるようだ。
だが、砂糖ではなくメープルシロップだ。
天音は頭を振ってそのことを伝えた。
「こっちは柔らかい…………」
ケーク・サレに手を伸ばしたのはダンだった。
ふんわりとした食感に驚いているらしい。
指で何度も弾力を確かめている。
「……材料や作り方、など訊きたいことは山ほどあると思います。
その上でまずおふたりに確認したい。
………この2つは、パンですか?」
天音の質問に対して、はじめ2人はきょとんと目を合わせて首を傾げていた。
質問の意図がわからなかったのだろうか。
天音は少し心配になるが、ひとまず返答を待っていると、ドラが訝しげに声を発した。
「これがパンだって?そんなこと、あるわけないじゃないか」
ドラの言葉に、天音は内心で喝采を上げた。
(第一段階クリア!)
「こっちは堅焼きパンに似てるけど、堅焼きパンはこんなに甘くないし、食感も違う。
逆にこっちは塩っぱいのはパンそのものだけど、柔らかすぎる。
どっちもパンじゃないと私は思うね」
「それは……ほかの人が食べてもそう感じるものでしょうか?
例えば、パン焼き職人ギルドの方とか……」
こちらに来てユーウェインたちに色々と食べてもらったが、焼き菓子系は大抵「堅焼きパンのようだ」の一言で表現されていた。
素人のイメージはそれで良いとしても、パン焼き職人ギルドの人間にどう映るのか、そのことを天音は知りたかった。
というのも、作るパン種が限られているのなら、それ以外のパンっぽい何かについてパン焼きギルドが口を出せる権限はないのでは、と考えたからだ。
もちろん後々問題が起こることは目に見えているが、強制力があるとないのとでは随分違う。
「私には難しいことはわからないけれど、
街のどんな職人にもこの2つは作れないと思う。
これをパンだって断言する人間はそうそういないさ。ねえ、ダン」
「…………ああ」
「そうですか……」
天音はほっとしたように息をついた。
だがまだ話し合いは序盤だ。気を緩めてはいけないと天音はぎゅっと拳を握り締めた。
「実は、ドラさんたちにお願いがあるのです。
この……ケーク・サレとクッキーを作るのに協力して頂きたいと私たちは考えています」
43話は18日12時に更新予定です。




