41話 白銀の王
41話です。
41話 白銀の王
森の奥から静かに姿を見せたのは、白銀の狼だった。
艶やかな毛並みは美しく、太陽光に反射して煌めいている。
天音はユーウェインの身体越しに狼の姿を見出して、恐れると同時にその美しさに一瞬見蕩れた。
「銀狼……」
ユーウェインは左腰に取り付けられた剣の柄から手を離さずに銀狼を鋭く見つめている。
銀狼は特に襲いかかる風でもなく、ユーウェインと視線を合わせてその場を動かない。
「ユーウェイン様……」
矢を持ち弓弦に手を掛けてにじり寄るジャスティンに、ユーウェインは手で制した。
相手に敵意がないと見ているのかもしれない。
ユーウェインの表情が見えないので、天音にはユーウェインの意図が良くわからなかったが、少なくとも狼の方から攻撃を仕掛ける様子はなさそうだ。
「矢を番えるな。
あと金属音を立てるなよ。
音がすればすぐにも襲いかかってくる」
硬い声からは軽度の緊張が伺える。
天音は恐ろしさに立ち竦んでいたが、目の前に翳されたユーウェインの左手の頼もしさのお陰で幸いにも動揺が表に出ることはなかった。
何とか気力を振り絞って、ユーウェインから目を離さないように、ぐっと顔を前に向ける。
「………何が目的なのでしょう」
「わからん。ただ、あの狼は魔狼ではない。
妖精の眼に反応がまるでない」
「群れのボスでしょうか?」
「おそらくは。それ以外に考えられぬ」
ユーウェインとジャスティンは顔の方向だけを固定させて小声で話している。
ふと天音は周りを見ると、銀狼を囲むようにホレスたちが待機しているのがわかった。
矢を番えることはしていないが、警戒をしている様子が伺える。
ユーウェインとジャスティンも気付いているのだろう。
ちらりとホレスの方を見て、ユーウェインは頭を振った。
「……白銀の王よ。銀狼よ。
境を越え人の領域に出て何とする」
ユーウェインは朗々とした声で静かに語り出した。
銀狼は身じろぎもしていない。鷹揚な態度で、話し掛けることを許す、とでも言うようだ。
風の音すらなく、時折枝に降り積もった雪が落ちてはっとさせられる。
「我ら人の子は貴方との争いを好まぬ。
王よ。
何ゆえ我らの元へ姿を現した!」
ユーウェインの叫びに、ようやっと銀狼は重い腰を上げたかのように見えた。
スン、と鼻を鳴らして木々の奥へと姿を消す。
「……?」
「………まだだ」
従士の1人が確認のため首を伸ばそうとしたが、ユーウェインが引き止めた。
すると奥から、何やら重いものを引きずる音がする。
次に姿を現した時、銀狼は若い雌鹿を引き摺っていた。
「……頂けるのか?」
ユーウェインが訝しげに問い掛けると、銀狼は再び視線を合わせながら、獲物を雪の上に降ろした。
そして、そのまま何事もなかったかのように森へと消えて行った。
銀狼の気配がなくなってしばらくしたあと、その場に居た全員が安心したように長い息を吐いた。
天音はあまりの緊張に腰を抜かしてしまったようで、いつの間にかその場に座り込んでいた。
下半身冷えを起こしそうだが、立ち上がる気力もなく、呆然と銀狼が消えた方向を見やる。
いつの間にか目の前に手が差し出されていた。
「あ、ありがとうございます。
もう大丈夫ですか……?」
自分でも声が震えているのがわかって天音は恥ずかしげに身を竦めつつ、手を借りて立ち上がる。
まだ足がフラフラとしていて、何だか現実味がない。
先ほどと居る場所は変わりがないはずなのに、銀狼の存在感が消えただけでまるで違うところにいるようだ。
「ああ。安心しろ」
ユーウェインの言葉に天音はほうと息を吐いた。
あまりにも幻想的な光景だったのでまだ目に焼き付いている。
あの美しい銀狼は一体何を目的として天音たちの元を訪れたのだろうか。
困惑しながらあたりを見渡してみると、従士たちが早速雌鹿を移動させるところだった。
早い内に捌いてしまわないと、獣が来てしまうとのことだ。
天音は我に返って手伝おうと従士たちのあとを追いかけた。
◆◆◆
雌鹿は小屋を少し離れた木に吊るされて解体された。
天音も今回は近くで見せてもらったが、解体時に発生したむせ返るような血の匂いに当てられて若干貧血気味になってしまった。
従士たちに介抱させる訳にもいかないので、ある程度やり方を見せてもらったあとレバーだけを引き取って小屋へと戻る。
というのも、レバーは当日に処理をしないと鮮度が落ちてしまう。
どうせなら今のうちにお馴染みのレバーペーストに加工してしまった方が良いのでは、とユーウェインやジャスティンと話し合って結論付けた。
ちなみに調査隊が出発してから得た狩りの獲物も、レバーだけは既に加工済だ。
レバー以外の内臓は従士の1人が離れた場所に捨てに行っている。
慌ただしい時間が過ぎたあとは、従士たちに食事を振舞う流れになった。
鶏がらスープも良いダシが出ていたので、少し煮込む時間が足りないが漉して具材を足していく。
具は干し肉と乾燥野菜。内容はいつもと代わり映えしないものの、何といっても鶏がらスープだ。
「………んっっっめえええええ」
「何これ?ねえ何これ?」
「ぬくまるー」
従士たちの良い反応に、天音も作った甲斐があるというものだ。
しかし気になるのは、隣で座っているユーウェインもスープと黒パンをバクバクと食べていることだが。
「……あの、さっき食べてましたよね?」
「あれは腹ごなしだ」
「食べ過ぎではありませんか……?」
「妖精の眼を使ったから
腹の減りが早い。それに、このスープを食べるなと言われても無理だ。
鳥の骨を入れただけでこんなに美味くなるのが信じられん」
黒パンにはたっぷりとレバーペーストが塗られている。
カロリー値がかなり高そうだ。
それにしてもと天音は思う。この領主、燃費が悪すぎやしないだろうか?
天音の胡乱げな表情にもどこ吹く風のユーウェインは大きく口を広げて黒パンにかぶりついている。
「ああ、ほうほう、はひはほははひはが」
「何言ってるかわかりません。
お行儀が悪いのでちゃんと飲み込んでから喋ってください」
「……んぐ、ダリアの話だが。30本程度見つかったようだぞ」
「そんなにあったんですか?
………結構使えますね」
30ℓ弱は確実に採れる計算になるので、結構使いでがありそうだ。
色々とアイディアは練っているが、やはり系統としては焼き菓子系がメインになるかもしれない、と天音は思っていた。
といっても小麦や黒麦の在庫が心もとないので、試作品の量についてはダリウスと相談することになるだろう。
サツマイモがあればメープルと合わせてスイートポテトパイ……というのもありだったが、そちらは畑が上手く行く前提での秋の収穫次第だ。
冬の終わりは忙しくなりそうだ。ホクホク顔で天音は何を作ろうか、と妄想する。
メープルシロップは空気に触れても固まらないので、何かに混ぜて焼くのが一番だ。
また、冬の間は冷蔵出来るが、シロップは水分があるため春になると確実に傷んでしまうだろう。
加工分とは別に、煮詰めてメープルシュガーにしてしまうのも手だ。
そちらの方が長期間での保存が可能だし、砂糖代わりにも出来る。
(……メープルナッツは定番だよねぇ)
メープルシロップとナッツをたっぷり、瓶詰めにする。
そして瓶詰めしたメープルナッツをクッキーやパイにしてみる。
そういえばまだこちらに来てからパイ生地を作っていない。
ヤギバターだとどうなのだろうか。風味が多少変わってしまうので、味の調整が必要になりそうだ。
そしてメープルナッツを炒るだけでも、十分美味しいおやつに仕上がる。
(美味しそう。うん、美味しそう)
無言で妄想していると、ユーウェインは何時の間にか食事を終えていたようだ。
どうやらニヤニヤ妄想している天音の顔を見ていたらしい。
げ、と思って天音が顔を上げると、不思議そうにユーウェインはこう言った。
「楽しそうだな?」
「は…?はあ、そうですね。
料理やお菓子作りは好きですし、調理法を考えているだけで楽しいです」
「ふぅん……俺には良くわからんな。
食うのは楽しいが」
そう言ってユーウェインは興味を失ったように食器を持って立ち上がる。
偉い立場に違いないのに、ユーウェインは自分の世話は自分で、というタイプだ。
村民の前ではどうしても面子があるので堅い対応になりがちだが、従士や天音の前ではこのように砕けている。
(……あ。おやつ、ユーウェインさんに食べさせすぎないようにしないと)
メープルシロップにはもちろん糖分が含まれているし、ナッツも食べ過ぎるとお腹を壊してしまう。
先ほどからの流れも含めて、ユーウェインの腹事情にはかなりの注意を払う必要がありそうだ。
ダリウスやジャスティンにも協力を要請して、どうにか防衛網を、と天音は心に誓った。
◆◆◆
調査も無事に終わり、天音たちは村への帰途に着いた。
帰りとなると天音もヘロヘロになっていて、村に着いて早々ダウンすることになった。
筋肉痛と関節痛で少々熱を出してしまい、皆に心配を掛けることになってしまい、天音は少々落ち込んだ。
とはいえ悪いことばかりでもない。
サトウカエデの群生地を発見出来たのは行幸だったし、狩りも順調に行われたのでこのまま冬篭もりしても問題なさそうだ。
干し肉も大量に作るということなので、天音も作り方を教わる予定だ。
そういえば家の佐波先輩用冷蔵庫に入れっぱなしの干し肉はどうなっているだろうか。
こちらに来てから、あのカチコチでどこに刃を入れれば良いかわからない状態の干し肉が、実は成功していたことに気付いた。
塩で揉み込んで乾燥させ、水分を極限まで飛ばし、カビさせずに熟成させるのが干し肉のプロセスのようだ。
(干し肉の他に、燻製肉も作ってみたいんだよね。針葉樹のチップとかってあるのかなぁ)
こちらの燻製方法も詳しく訊いておきたいところだ。天音は脳内で質問内容を整理する。
そういえば、ダリウスとカーラに任せていた柑橘酵母だが、結局3つの内2つは成功していた。
1つは残念ながら駄目になっていたものの、3分の2なら上出来だ。
この酵母で一度ふんわりとしたパンを作ってみて、パン屋のドラと相談をしなければならない。
出来ればパン焼きギルドと軋轢を生まないような商品作りをしたいものだ、と天音は思った。
そしてダリウスとの相談ののち、数日後天音はドラと面談することになった。
42話は17日12時に投稿予定です。
今回はモフモフ回!




