SIDE100 前日譚
仕事で夜遅く帰ってきた俺は、そのまま寝室へと直行した。明日も早い、今すぐ四肢を投げ出して横になりたい。
「……………………」
寝室には、既に先客がいた。
布団と枕の間から純白の髪の毛がはみ出していた。微かに布団が上下し、規則正しい寝息も聞こえてくる。どうやら熟睡しているらしい。
「……………………」
何故もみじと言い、こいつと言い、当たり前のように俺の布団に潜り込んでくるんだろうか。もみじはともかく、こいつの寝相は最悪の分類なので同衾はご遠慮願いたい。
我儘お姫様を起こさないようにそっと寝室から離れ、俺は書斎へと向かう。仕方がないので今日は書斎のソファーで一夜を過ごすことにする。
と、その前にパソコンを起動し、メールチェックをする。ここ数日帰れなかったから、緊急のもの以外は読めていない。相当溜まっていそうだ。
「……ん?」
起動と同時にピーピーと何とも気の抜ける電子音が流れた。
「テレビ電話……」
デジャヴを感じて腕組みし、たっぷり十秒ほど熟考する。そして覚悟を決め、パソコン画面を操作し受信画面に切り替える。
『やあ、元気してたか? おや、髪切――』
画面いっぱいにおっさんの笑顔が映し出された瞬間、強制シャットダウンを決行した。
プツンと嫌な音と共にブラックアウトするパソコンの画面。それを見届けた後、俺は台所に移動して小さなヤカンに水を注いで火にかける。
湯が沸くまでの間にマグカップを取り出しインスタントコーヒーを入れ――ようとして、そう言えば最近甘味を摂取していなかったと思いだす。棚を漁ると、この前まではまず見かけることのなかった粉末ココアの袋が出てきた。住民が増え、甘味が充実してきた我が家のキッチンである。
裏の表記通りの分量の粉末を入れ、そこに沸いた湯を注ぐ。本当ならホットミルクを注ぐべきなんだろうが、これはこれであっさりしていて結構好きだった。
グビリと甘さ控えめココアを飲み干しマグカップを洗い、軽く就寝前のストレッチをしながら寝室へ……と、そう言えばベッドが占領されてるんだったか。
仕方がないので再び書斎へと移動する。
『また!? またこの流れ!? ねえこれいる!? この流れ前もやったよね!? オッサン流石に挫けちゃうよ!?』
……何故かシャットダウンしたはずのパソコンが起動し、画面いっぱいにおっさんの半泣きの顔が映っていた。
「しまったウイルス感染しちまったか……幸いバックアップはあるし、早急に廃棄しないとな。新しいパソコンの請求先は連盟でいいか」
『ウイルスじゃありませんー。ただのハッキングですー』
どのみち廃棄は免れないようだ。
「……ひと月以上も経ってから連絡寄越すとか、あんたふざけてんのか」
椅子に腰かけ、悪態を吐く。
画面に映し出されたのはやはりと言うか何と言うか、秋幡辰久――いつぞやの事件の元凶だった。
『そう言いなさんなって。こっちも色々あってな。それにそっちも立て込んでたみたいじゃないの。タイミングだよ、タイミング』
「何でテメエがうちのお家騒動知ってんだ」
相変わらずどこに目ぇ付けてんのか分からんオッサンだ。
『報酬は指定の口座に振り込んでおいたが、確認したかね』
「桁一つ足りねえ、出直して来い」
『……無茶を言わんでくれ。というか、知ってるんだぞ、お前さんがエルフの霊髪で一儲けしたことは』
「エルフぅ? さて――何のことやらさっぱり分からんなあ」
『……今回連絡を入れたのは、そのことについてだ』
秋幡は眉間にしわを寄せ、声を低める。
『お前さんらが保護したはずのエルフ姉妹の身柄が、一向に世界魔術師連盟に届かないんだが――説明してもらえるか』
「仰る意味が分かりかねますなあ」
『あのエルフは重要参考人だ。早急に送れ』
椅子に深く腰掛け、俺は目を細める。
「事の顛末はそちらに送った報告書の通りだ。アレ以上のこともアレ以下のこともないぜ」
『あんな内容がない報告書、通せるとでも思っているのか』
「俺が旧い知り合いから頼まれたのは、指名手配中の錬金術師の確保だ。それ以外について、俺は関与してないぜ」
『……何が言いたい』
「言わなきゃ分からんほど耄碌してねーだろ。ガッカリさせんなよ?」
『……………………』
秋幡が苦虫を噛み潰した表情を浮かべる。
世界魔術師連盟はその名の通り、この世界においては有数の規模を誇る異能組織である。その影響力は計り知れず、連中が少し動くだけで魔術の歴史が変わるとまで評されている。
対する月波市、及びその街を守護する陰陽師一族――八百刀流。土地の特殊さと一族の成り立ち、そして現代まで受け継がれる気性の荒さから世界中からハブられ、忌み嫌われている。
そんな名を口にするだけでも憚られる一族からも勘当された問題児と、仮にも連盟大幹部を名乗るトップクラスの魔術師が接触したと知れたら、一体どうなることやら。
「連盟が指名手配していた錬金術師を、たまたま近くにいた葛木家が確保。特に騒ぎもなく連盟まで送還――後世まで残っていても何ら怪しまれることのない、どっかの暴力陰陽師一族の気配なんて微塵も感じさせない完璧な報告書をでっち上げてやったんだ。それ以上を望むのは強欲ってもんだ」
『だがしかしだね』
「それとも何か? あの姉妹に報告書に書いた以上のことを言わせたいんなら……俺が正々堂々、真正面からあの姉妹連れてあんたんとこまで送り届けてやるが?」
『……………………』
秋幡が画面の向こうで沈黙する。
どこぞの組織じゃ、俺と接触しただけで粛清対象になるらしい。まあそれは極端な例だとしても、連盟もこんなしょーもない火遊びはしたくはあるまい。
「連盟が俺たち八百刀流に接触した事実はない。月波市に踏み込んだ形跡もない。せっかく大事にならんように、珍しくこっちから気ぃ遣ってやったんだ。吞めよ」
『これはまた、恩着せがましい物言いだぁね……』
「俺の得にもなるからやってやったんだ」
『恩着せがましくはなくなったが、厚かましくなったぞ』
いちいち文句の多いオッサンだ。
深いため息とともに、秋幡が額を手で押さえる。
『はあ……まあいい。なんかもうね、これ以上は何言っても無理な気がしてきた』
「諦めたらそこで試合終了よ?」
『お黙れ。ではここからは完全な興味によるオフレコだが――あの姉妹、今どうしてる?』
「別に? 普通にアパート借りて、普通に学園通って、普通にスーパーで安売りの豆腐と卵漁ってるぞ」
『このひと月で馴染みすぎじゃね!? え、て言うか学校行ってんの!?』
「うちはその辺、間口広いからなー。上の方は高等部二年、下は中等部三年だったかに編入したっぽいぞ」
妹の方はともかく、色々とコンプレックスのある姉も、どっかの五人組の働きもあって少しずつ友人を増やしていっているらしい。たまに通学路を何人かで連れ立って歩いているのを見ている。
『はあ……平和そうで何より。その様子じゃ、無理やり連れだしたら今度はこっちが悪者みたいじゃないの』
「諦めも肝心」
『諦めたら試合終了とか言った舌の根も乾かんうちに!?』
本当に証言してもらいたかっただけなんだがなあ、と呟く秋幡。絶対嘘だな、と俺は内心で吐き捨てる。仮にこのおっさんは本心だったとしても、周囲の連中が黙っていられるはずがないし、それを予想できてないわけもない。
何せ、かの錬金術師が手掛けたキメラの実験体の貴重な生き残りだ。合成されていたフェニックスは消滅したが、その母体となっていたあのエルフは貴重なサンプルだ。そのテの分野の連中は喉から手が出るほど欲すだろう。
うちの愚妹は「大した天才じゃなかったのでは?」と言っていたが、〈太陽の翼〉を始めとした多くの魔導具を完璧に制御し、多くの実験体を手掛け、ほぼ完成と言ってもいい不死のキメラを作り上げた奴の才能は本物だ。
ただ、運がなかった。
数あるパワースポットの中から月波市を選んだ――選んでしまったのが、唯一の失敗だ。
「ようやく姉妹で手に入れた安息の地だ。放っておいてやれよ」
『……「最悪の黒」は人命を重んじるって評判は相変わらずだな』
「よせやい。俺はコネクションを大事にしてるだけだぜ」
手の届く限り手助けをし、恩を売り、繋がりを作る。昔から変わらん俺の……俺たち八百刀流のやり方だ。勘当された今も、骨身にまで染みついてて取れやしねえ。
「ああ、そうだ」
『ん?』
一つ思い出した案件があった。
「あんた、今手を焼いてる組織とかねーか?」
『は? なんだ、藪から棒に』
「いやなに、俺もこれであんたには結構感謝してんだぜ? あんたが錬金術師のことリークしてくれたおかげで街が手遅れにならずに済んだのも事実だしな」
『ほほう? で?』
「錬金術捕縛とはまた別に、そのリーク分だけ働いてやろうと思ってよ。……昔みてえに、な」
つい最近、不肖の弟子と再会した仕事で知り合った奴の顔を思い出し、俺は笑みを浮かべる。
「この前、ヤバい組織や施設を潰すのが趣味っつー将来有望なガキと会ってな。ちょっとツーリング行こうぜって話になったんだが、どこかいいスポット知らねーか?」
物凄い嫌な顔をされた。




