SIDE100-21 虚無
目が覚めた時、私は馴染のない誰かの背中に背負われていた。
「こっち! 早く!」
狐としての本能から、現状を把握しようと一瞬で頭が覚醒した。
私は今、走っているコウイチに背負われている。エルフのレイナも一緒だ。
でも、ユタカがいない。
どこにもいない。
「何を目印に走ってるんだ!?」
そう言えば、一緒にいたはずのアイサもいない。
ああ、そうか。アイサは黄金像に変えられて――それで、ユタカが私たちを逃がすため、アイサを庇うためにあの場所に残ったという具合か。
「空気の流れ! こっちの方が複雑だから、通路が入り組んでるんだと思う!」
ユタカとの繋がりを探る。
少し離れている所から、ユタカを感じる。
よかった、無事らしい。
でもすごい怒ってる。
すごい勢いでこっちに走ってきてる……。
それに、この匂い……あの錬金術師と気味の悪い影も、私たちを追ってきている。
「それなら何とか撒けそうか。さすがエルフ!」
「ダメ」
「「え?」」
私は人化を解き、狐の姿になってコウイチの背から飛び降りる。そして二人が反応しあぐねている隙に元来た道を目指して四足で走り、さらに別の通路へと入る。
エルフほどじゃなくても、狐の五感ならばこの先の通路がどのような構造になっているかは大よそ見当がつく。
この状況であれば、こっちに進む方が正しいはずだ。
「ちょ、ちょっと待ってって!」
「……! そっちはダメ!」
後ろから二人が追いかけてくる。
私は二人を振り切らない速度を保ちながら走り続けた。その後ろからは錬金術師、その更に後ろからはユタカの気配も伝わってくる。
大丈夫。
ユタカなら、私の考えを察してくれるはず。
しばらく進むと、案の定見通しの良い直進した通路に出た。今まで見てきた内部構造と比べるとやや狭く、運搬用の経路として使われていたのかもしれない。
ざっと見通して五百メートルほどの直進通路を、私は全力で駆け抜ける。
後ろの二人も何とか付いて来ているらしく、息遣いが聞こえてくる。
「ちょっと待ちなさいって! こんな見通しのいいところに出たら、すぐに追いつかれて――」
「やぁぁぁっと! 追いつきましたよぉっ!!」
来た!
「テオフラストゥス・ド・ジュノー……」
「ほら追い付かれた!」
コウイチがどこからともなくナイフを瞬時に取り出して構え、レイナも歯噛みしながら魔力を練り上げる。
「この〈太陽の翼〉は旧時代の天使が築いた要塞――故に内部構造はこの天! 才! の私でも全てを把握しきれないほど複雑に入り組んでいるのですがぁっ! まさかこんな直進通路に迷い込むとは運がないですねぇ!」
「好きで迷い込んだんじゃないわよ……!」
「……………………」
私ももう一度人化し、周囲に狐火を発生させて身構える。
正直、錬金術師はどうでもいい。
問題は、錬金術師の背後に影の様に付き従っている、魔剣を携えた影そのもの――ドッペルゲンガーの方だ。
今は最初に見た存在感の希薄な影のような姿をしているが、再びあの白い女の子の姿になられたらどうしようもない。
まだあと少し、時間を稼がないと……!
「ねえ、聞きたいんだけど」
「んん?」
「あなたは、何がしたいの。こんな大層な要塞に乗り込んで、たくさんのキメラも連れて、わざわざ月波市くんだりまで乗り込んで来て、何がしたいの。この街が特殊だから?」
「べぇっつにぃ? この街が少々特殊だからというだけでこんな極東の片田舎まで来たりしませんよぉ!」
ケタケタと首を振りながら不気味に笑う錬金術師。
見ているだけで嫌悪感が膨れ上がり、視線を逸らしたくなる。
「この街は連盟も簡単には手を出せない接触禁忌指定されていて絶好の隠れ蓑! 加えて古今東西妖魔幻獣妖怪が犇めき合って暮らしていて実験材料に困らない! プラスパワースポット故にエネルギー供給も十分! さ! ら! に! この街には錬金術師たちが古来より血眼になって求め続けていた賢者の石を所有する者がいると聞いてねぇ! まあ、まさかあんな子供が持っているとは思わなかったがねぇ。宝の持ち腐れとはこのことだよ君たちぃ! アレはこの天才たる私にこそふさわしい代物だぁ……!」
「……誰があんたに賢者の石があることを教えたんだ」
コウイチが目で影を牽制しながら尋ねる。すると錬金術師は気前よく「人丑九段とか名乗った野良幻獣だよ」と口走ってくれた。やはりというか、自分が優位に立つと口が軽くなるみたい。
それにしても、どこのどいつよ、こんな迷惑な奴にそんな重要なこと教えたの!
チラリと錬金術師の後ろに目をやる。
影は相変わらず影のまま、主の命令を待って佇んでいる。
もう少し、もう少し……!
「まあ、それはともかくぅっ!」
ンバッと全身を使って過剰に腹立たしいポーズをし、錬金術師がこちらを指さす。
「必要なものは全て揃った! 無限に等しいエネルギー! 大量の材料が供給される研究施設! 更に賢者の石という最高の叡智! これで私を友と呼びながら我が研究を邪悪と断じ、この天才を追い出したあの男と連盟に復! 讐! できる!!」
「……つまり、あの人に対する逆恨みか」
チッとコウイチが舌打ちをした。どうやら誰か心当たりがあるみたいだけど……。
「さあ! ドッペルゲンガー! 私の研究成果の一つであるその剣で! こいつらをまとめて黄金像にしてやれ!」
「って、俺だけじゃなくレイナたちまで金にするつもりか!?」
「なぁに、賢者の石があれば黄金化解除もあっという間だ。ま、君はそのまま金として触媒に利用させてもらうがねぇ!」
パチンと錬金術師が指を弾く。
すると背後に佇んでいた影が瞬きの間に白い少女へと姿を変えた。
もう、今しかない!
「……あは♪」
愛らしく笑い、ドッペルゲンガーが魔剣を構える。
「お三方に恨みはありませんが、ここで散って頂きますわ!」
「伏せて!!」
「きゃっ!?」
私はレイナの手を引っ張って床に転がし、コウイチも私の声に脊髄反射級の速度で対応してくれた。
「え……?」
そしてドッペルゲンガーの右手が吹き飛び、魔剣ごと宙を舞う。
ドッペルゲンガーはそれを理解できずに眺めながらも、今の姿の元となった人物の能力なのか、とっさに残った左腕を魔剣へと伸ばした。
「っしゃあっ!!」
けれど腕の長さの差で、床を蹴って飛び出したコウイチの方が早く柄を取った。
コウイチは器用に空中で剣を握り直し、勢いをそのままにドッペルゲンガーを袈裟状に斬り付ける。
――……ッダーン!
轟音のような銃声が木霊するのと、ドッペルゲンガーが完全に黄金化したのは、ほぼ同時だった。
「な、なな……!?」
目の前の光景が信じられず、錬金術師がワナワナと震えている。
「どんな剣の達人に変身したって、感覚外からの攻撃には対応できないでしょ?」
前に聞いたことがある。
銃火器、特に狙撃銃の類は、弾丸が音よりも早く飛来し、標的までの距離によっては銃声が遅れて聞こえてくるらしい。
ちらりと私は通路の奥を見た。そこにいるはずの彼は、私の意図を上手く汲んでくれたらしいと胸をなで下ろす。
あの子が全てを超越した剣の達人であったとして、背後からの音速を超えた攻撃には対応しきれないだろう。そう踏んでこの直進の通路に誘い込んだんだけど、上手くいってよかった。
「遠距離からの狙撃……! ということはあの銃使いの陰陽師、もう復活したのか!? ありえない、あの黄金化は賢者の石の叡智でもない限り解けないはずだ!!」
錬金術師が背後の通路を睨みつける。
しかし薄暗い通路では、その向こうにいるはずの狙撃手の姿は視認することは不可能だ。
「ぃぎゃあっ!?」
突如、錬金術師の左肩と右太腿が裂け、出血した。そして遅れて二発の銃声が聞こえてくる。
「うわ、容赦ねえ」
魔剣を構えたまま、コウイチが引き攣った笑みを浮かべる。
飛来した銃弾は致命傷を与えはせず、しかし身動きに支障が出る位置を損傷させていた。
「ぐ、ぐぅ……! 計算が……計画が狂う……!」
「形勢逆転よ、諦めなさいテオフラストゥス・ド・ジュノー! ……あ、鼻血」
「あ、ごめん」
さっき思いっきり引っ張って転ばせちゃったせいか、レイナは鼻を床に強打して鼻血が出ていた。何だか申し訳ないことしたなあ……。
「くぅっ……ここは、一時撤退すべきか……!」
「あ、てめぇ動くな!」
「〈陽神俯瞰〉!」
錬金術師は白衣のポケットから懐中時計のような装置を取り出し、自由に動く右手で握り締めた。
すると足元に複雑な魔方陣が浮かび上がり、一瞬にして錬金術師は姿を消した。
「……どこかに転移したみたいね。今ここで取り押さえられたらよかったんだけど」
「あの怪我だ、しばらくは動けないと思うぞ。今のうちに他の連中と合流するか」
「そうだね。……あ」
コウイチが手にしたままの魔剣と、少女の姿のまま黄金化したドッペルゲンガーが視界に入る。これ、どうしよう……?
C
暗視スコープ越しに、性懲りもなく再び彼女の姿を模したドッペルゲンガーの右腕を魔剣ごと吹き飛ばし、宙を舞った魔剣を孝一さんが掴んでドッペルゲンガーを斬り付けたところで、僕は既に銃弾をリロードし、標的をジュノーへと移していた。
手にしているライフル銃はM82――対物狙撃銃だ。人間相手に使うような代物ではない。
あのドッペルゲンガーが本当に彼女の能力を完全にトレースしているとしたら、普通のライフルだと弾丸を弾かれそうだったためにこれを選んだのだが、あのドッペルゲンガーが本当に彼女を完コピしてくれていてむしろ助かった感じがする。彼女に弱点があるとしたら、実践不足による周囲への警戒心の薄さが挙げられる。あいつは終始、背後にいた僕には気付いていなかったようだ。
「ふぅ……」
息を吐き、改めて標準をジュノーに合わせる。
ビャクちゃんを誘拐して危険にさらし、あの子の姿をドッペルゲンガーに摸倣させるという冒涜を行ったあの野郎にかける慈悲などない。このライフルの威力ならばどこに当たっても致命傷、体が真っ二つに吹き飛ぶ。
羽黒さんには生け捕りにしろって言われていたけど、そんなことはどうでもいい。
事情を話せば、きっと分かってくれる。
ここで終わらせてやる――
「……………………」
スコープ越しに、ビャクちゃんと目が合った。
いや、向こうから僕が見えているとはとても思えないが、ともかく、彼女がこっちを見ていた。それも、とびきり緩み切った屈託のない笑顔だった。
まだ目の前にジュノーがいるのに。
僕がタイミングよくドッペルゲンガーを狙撃しただけで、さも家にいるかのような安心しきった表情を浮かべていた。
「……………………」
すうっと頭に上っていた血がおり、手元からM82を消した。
何を考えてんだ、僕は。
ビャクちゃんの目の前で真っ二つになった人間の死体を作るとか、バカじゃねえの。
「……………………」
まあ、でも。
「――狙撃銃、コード【M1903‐5‐B】」
手元に具現化させたのは、二次大戦前に使用されていた旧式ライフルの基本形。精度は兎も角、威力は後の型に一歩劣る。
「手足怪我させるくらいはやっておいた方がいいかな」
やっぱムカつくし。
後ろにいるビャクちゃんたち三人に当たらないよう、左肩と右太腿に狙いを定め、致命傷にならないよう掠る程度に撃ち抜く。
悲鳴は聞こえなかったが、その場に崩れ落ちたので効果はあったらしい。
「あ」
ジュノーの足元に魔方陣が浮かび上がり、一瞬で消えてしまった。
「……しくったな」
そう言えばあいつはこの要塞内は自由に行き来できるんだったか……。
とりあえず、三人と合流するか。
「ユタカー!!」
結構距離を置いて狙撃したため駆け足で近寄ろうとしたら、向こうから白い尻尾をぶんぶんと振り回しながらビャクちゃんも駆け寄ってきた。
「大丈夫だった!? どこも怪我してない!?」
「うん、大丈夫大丈夫。ビャクちゃんこそ、何もされてないよね?」
「ユタカが守ってくれたからね!」
ペカーッと輝く笑顔。天使か。やはりあそこでジュノーを仕留めてグロ画像を作らなくて正解だった。
「穂波、大丈夫なのか? 愛沙は?」
孝一さんまで声をかけてくる。よっぽど心配させてしまったらしく、なんだか申し訳ない。
「まあ、なんとか。愛沙さんも無事ですよ。今、朝倉が黄金化解除してます。藤村先生――うちの街で一番の魔術師と連絡取ってるみたいでしたし、すぐに元に戻りますよ」
現に僕がこうして元に戻ってるどころか、艦載砲を無理やり具現化させて空っぽになった魔力まで補充されてるし。……まあ、一回黄金化させられたってことは黙っておこう。どうせ朝倉か梓を介して伝わっちゃうだろうけど、今言うとビャクちゃん取り乱しそうだし。
「まあ、無事で何よりってところかしら。それより、アレ、どうする?」
「アレ?」
レイナが困り顔で後ろを指す。
するとそこには、魔剣によって黄金化させられたドッペルゲンガーと壁に立てかけられた魔剣が置かれていた。
「あー……魔剣はへし折っちゃいましょう。あんなん百害あって一利なしですし。ドッペルゲンガーは、まあ、とりあえず羽黒さんたちに要相談で」
「だな」
僕は消さずに手元に残しておいたライフルを構え、魔剣に標準を合わせる。旧型ライフルとは言え、さっきドッペルゲンガーに使ったベレッタM92とは威力は段違いだし持ち手もいないし、今回は大丈夫だろう。
――バン!
結構な至近距離からライフルで撃たれた魔剣は腹のど真ん中に弾丸をまともに受け、あっけなくその刀身が砕け散った。
「ん……んん!?」
そして、予想外の事態に目を剥く。
黄金化していたドッペルゲンガーがじわじわと白い少女の姿に戻っていったのだ。
「くそ、魔剣が折れたからか!?」
「ユタカ、逃げよう!」
「いえ……ちょっと待って」
慌てる二人をレイナが制す。
一番近くにいた僕も様子がおかしいことにすぐに気付いた。
「……………………」
「……もう限界らしい」
右腕が吹き飛び、魔剣で肩から袈裟状に胸を斬り裂かれたドッペルゲンガーは既に虫の息だった。これが、例えばウロボロスさんやもみじさんなんかに化けていたら助かったかもしれないが、今の姿はどんなに化物染みていてもあくまで人間のものだ。傷口から止めどなく魔力が溢れ出し、肉体が崩壊を始めていた。
「…………ぅ……」
「……まだ意識があるのか」
仮初とは言え、彼女の姿で苦しまれるとこっちの寝覚めが悪い。
僕はライフルの銃口を彼女に向けた。
「……に…………」
「言いたいことがあるなら、聞くだけ聞いてやる」
「……ゆー……にい、さま……」
「……………………」
その顔で。
その声で。
まだ僕を呼ぶのか。
それが妖怪としての特性だとしても、何だか哀れに思えてきた。
「……ユー兄様……」
「……なんだよ」
ふと、疑問が湧いた。
ジュノーは僕たちの記憶から彼女をトレースしたと言っていたが、その割にはやけにリアリティがある。改造されているとは言え、実際に見て触れてトレースしたビャクちゃんの時ならともかく、たかだか三人の記憶からここまで正確に化けることができるものなのだろうか。
「……近いうちに……」
彼女は呟くように口にした。
「……………………」
「……また、お会いしましょう……ね……」
まるで彼女本人であるかのように。
「……………………」
「………………………………………………………………あは♪」
ドッペルゲンガーは最後の魔力を振り絞って彼女の愛らしい笑みを完璧にトレースし、魔力の粒子となって霧散していった。
引き金は、引けなかった。
「ユタカ……?」
「……大丈夫」
心配そうに覗き込むビャクちゃんの頭を軽く撫で、嫌な予感を振り払うように顔を上げた。
「さあ、皆と合流しましょう」
「おう」
「分かったわ」
孝一さんとレイナも頷き、歩き出す。
とりあえず、さっきの闘技場まで戻ろう。まだ梓たちがドンパチしてるかもしれない。
C
この時僕が感じた嫌な予感は、そう遠くないうちに本当に実現してしまったわけだが、それはまた別の話である。




