SIDE100-19 茶会
「炎よ」
手にした杖の先を床に突きつけ、簡略化したルーンを口にする。途端、黒衣の龍殺しと黒髪の女吸血鬼を分断するように炎の壁が発生する。
「う、おっ!?」
「羽黒!」
龍殺しが飛び退いたのを確認すると、続けざまに三枚の炎の壁を追加で発生させ、女吸血鬼を取り囲む。
「う……」
一瞬の立ち眩み。
先程までのウロボロスとの戦闘で流石に消耗しすぎたか……この炎でできた監獄を維持するので手一杯だ。
「フェニフ!!」
隣に立っていたヴァドラが目を剥き、ねっとりとした陰湿な殺気を私に向けて放ってきた。
「『血濡れの白姫』はボクの獲物だ! 勝手に手を出そうというならお前から喰い殺すぞ」
「……別に、身動きを封じているだけよ。それにヴァドラ」
「なんだ」
「あなた、随分と消耗しているようね。対して愛しの『血濡れの白姫』も憎き龍殺しもほとんど無傷に見えるのだけれど?」
「う……」
「あの吸血鬼に大分手玉に取られていたと予想するのだけれど、その龍鱗と毒とバカみたいな回復力は飾りなの?」
「ぐぅっ……!」
「彼女は押さえておくから、ウロボロスと龍殺しを先に片付けて来たら?」
「……くそ!! それ以上は絶対に手を出すなよ!!」
自覚はあったらしく、ヴァドラはそう吐き捨てるだけ吐き捨てると、双剣を構えヒュドラの影を具現させてウロボロスと龍殺しに向かって突進して行った。
「……さて」
私は炎の壁を見やる。
閉じ込めておいていう事ではないが、随分と大人しい。
ヴァドラの話を聞く限り、この程度の炎であればすぐに突き破って出てくると思っていたのだけれど。
「……………………」
一応確認しておこうか。
炎に触れ、自分の体を一時的に炎その物と化して炎壁を通り抜けて中に入る。
決して広くはない炎の監獄の中は陽炎が充満し、視界が悪い。
しかしそんな中でさえ、彼女の姿ははっきりと見えた。
見えたのだが……私は一瞬、目の前の光景を疑った。
「いらっしゃいませ、フェニフさん」
「……は?」
意味が分からなかった。
彼女は炎の監獄の中心で、どこから発生したのかも分からないテーブルのセットに腰かけ、カップで紅茶を嗜んでいた。
「どうぞこちらへ」
「……………………」
あまりにも荒唐無稽な光景に全力で身構えたが、よく見ると彼女の額にはうっすらと汗がにじみ出ており、瞳からは余裕は感じられない。
「素晴らしい魔術の精度ですね。私のようなアンデッドにとっての弱点である炎に、触れるだけで浄化され、消し飛ばされそうなフェニックスの〝聖炎〟を上乗せした炎の監獄……正直、ここでこうしているだけでどんどん身が焦がされていくのを実感します」
「……それなら、あなたは何を暢気に茶会など開いているの?」
「せめてもの足掻き……ですかね」
どこからともなくもう一つのティーカップを取り出し、そこに新しく紅茶を注いでソーサーに載せる。どうやら私の分らしく、それをテーブルの反対側に置いた。
「どうぞお掛けになって。別に血などは入っていませんよ」
「……それ、ヴァドラもたまに言うけれど、吸血鬼共通のヴァンパイアジョークか何か? それに申し訳ないけれど、そんな得体も知れない物を口にする気は毛頭ないわ」
「あら、残念。本当にただの紅茶なんですけどね」
そう言うと彼女は自分のカップに口をつけ、上品に紅茶を飲んでいく。
その姿からはヴァドラの語るような馬鹿げた力は感じられず、私一人だけ立っていて対峙する相手が優雅にお茶を飲んでいるという光景もなんだか間抜けな気がして、彼女とは反対側の椅子に腰かけることにした。
ふわりとティーカップから湯気が立ち上り、紅茶のいい香りが鼻腔をくすぐる。もちろん生き血をフレイバーに使っているという事はなく、言う通りただの紅茶のようだ。このような状況でなければ是非ともご相伴に預かりたかったところだ。
「白銀もみじです」
当たり前のように名を告げる吸血鬼。
……本当に、何なんだ。
「ライナ・リオ・フォレストルージュ」
名乗り返したことに大きな意味はない。
だが、自然と口が動いた。
「モミジ……足掻きと言ったわね」
「ええ。正直なところ、この状況は完全に『詰み』ですね」
「詰み?」
「こうして吸血鬼の数多くの弱点の一つである炎に捕らえられ、身動きが取れない状況に陥ったことで、ヒュドラの〝毒血〟を無効化することはできなくなりました。そうなってしまえば、あくまで人間である羽黒や〝循環〟のウロボロスさんではヴァドラの相手をするには分が悪いです」
「だったら、無理やりにでもここから脱出を試みたらどうなの? ヴァドラの話を聞く限り、あなたにはそれくらいを簡単にやってのける力があると思うのだけれど」
「……彼が私の何を知っているかは知りませんが、私はもう何もできませんよ。確かに全盛期であればこの監獄を打ち破って救援に向かうこともできたでしょう。ですが私の力の大半は羽黒の中に封印してありますので、今あなたの目の前にいるのは見た目相応の貧血気味の無力な女子学生ですよ」
「この炎の監獄の中で平然と紅茶を嗜む無力な女子学生などいるわけないでしょう」
「ですから、せめてもの足掻きですよ」
額に汗を浮かばせながら、モミジはにっこりと笑った。
「遅かれ早かれ、私はこの炎に焼かれて消滅するでしょう。でしたらせめて、愛しの人に『白銀もみじは最後までもがき苦しんで死んだ』と伝わるよりも『あくまで優雅に消えるように死んだ』とされた方がよっぽどマシです」
「……その未来予想には、かなりの希望的観測が含まれているわ。あの龍殺しがあなたよりも先に殺される可能性の方が高い」
「……………………」
一瞬、本気で何を言っているのか分からない、という風にキョトンとした表情を浮かべた。そしてすぐに「そう言えば、そのような可能性もないわけでもないんですね」と笑った。
「何がおかしいの」
「いえ……こう見えて私は羽黒を信頼していますので。確かにヴァドラを相手にするには分が悪いと言いましたが、負けるなんて一切思っていなかったものですから。私がここでじわじわと〝聖炎〟に焼かれて消滅するのが先か、ヴァドラを倒して駆けつけるのが先かは賭けですがね」
「……大した信頼ね」
「信用しても信頼するな、は羽黒がいつか口にした言葉ですがね。それでも私は彼を信頼する。ですが……そうですね、では万が一にでも羽黒が先に殺された時の助言をあなたに残しておきましょう」
「……?」
モミジはカップをソーサーに置き、にっこりと――寒々しく笑った。
その冷徹な笑みに、周囲を炎に囲まれていながら、私は背筋が凍てついて動かなくなるほどの何かを感じた。
「羽黒が私よりも先に死んだ場合、羽黒の中に封印されている全ての力が私の元に戻ってきます。かつて『血濡れの白姫』などと呼ばれていた頃の十全な状態で復活します。そうなれば、私は羽黒を殺された怒りで、とりあえず目の前にいるあなたを殺すでしょうね。〝復活〟も〝再生〟も〝聖炎〟も関係なく。もちろん、ヴァドラも錬金術師もドッペルゲンガーも。勢い余って可愛い後輩たちや大切な客人たちも殺してしまうかもしれない。それどころか、この世界を滅ぼしてしまう可能性もあるでしょうね」
そして、彼女は最後にこう付け加えた。
「もちろん、あなたの大切な妹さんも例外ではないですよ」
その言葉を聞いた瞬間、血の気が引いた。
「な、何故あなたがレイナのことを……!」
「レイナさんと仰るのですか。とても優れた魔術の才能を持っているようですね」
「だから――」
「私は吸血鬼。特に力の強い生者の気配には鼻が利きましてね……彼女の存在は、最初にこの要塞に飛ばされた時から気付いていましたよ。まだあなたと比べるとやや未熟ですが、それでもあなたとよく似た、実直で熱い炎のような魔力でしたから」
そう言って笑うモミジからは、ヴァドラなどが可愛らしく見えてしまうほど風格と威圧感があった。
「ともかく。万一羽黒が死んで封印が解かれ、私がレイナさんを殺してしまう前に、私を滅殺することをお勧めしておきましょう。まあこのままこの炎の監獄を維持しているだけで、私は勝手に消滅するでしょうけれども。私が先に消滅するか、羽黒が助けに来るか、はたまた封印が解かれて全てが無に帰るか、あなたは私が復活する前に私を殺すことができるのか……実に楽しい賭けですね。もちろん私は、羽黒が助けに来てくれるの一点賭けオールインですが」
冷淡で凄惨な笑みを浮かべる彼女を前に、私は手の甲が真っ白になるほど強く手を握って正気を保っていた。
あまりの重圧に、喉の奥から勝手に湧き上がる唾液を何とか飲み込むので精一杯だ。とてもではないが、その瞳を真っすぐ見据えることなどできない。格が違いすぎる。
これで力の大部分をあの龍殺しに封印されている? 冗談じゃない。とてもではないが、弱体化している今の状態でさえ、滅殺するのにどれほどの魔力と時間を有するか見当もつかない。
これが、かつて大陸をたった一人で滅ぼしかけたという伝説の吸血鬼……!
それでも。
「それでも……こんな危険な存在を野放しにしておくことはできない!」
監獄の維持に使っていた魔力を練り直し、目の前の脅威を焼却すべく魔術を構築する。炎の壁が大きく揺れ、不安定になっていくが構うものか。
私の全魔力を以て、この吸血鬼を滅殺する!
「ヴァドラには悪いけど、レイナのためにも、ここであなたを!」
「そのレイナさんですが」
と言って。
彼女は笑う。
「どうやら何者かの手引きによって牢獄からの逃走に成功したようですよ」
「え……?」
集中力が完全に途切れた。
レイナが……あの牢獄から逃げられた……?
なら、この要塞からの脱出も――
「油断大敵」
「え……?」
ドスッと。
背中から胸にかけて、意識が飛びかけるほどの激痛が奔る。
血が器官を逆流し、口元から零れる。
視線を下げると、体の中心を貫くように、水底のように黒い太刀の切っ先が胸から飛び出していた。
「賭けは私の一人勝ちですね」
彼女は椅子から立ち上がる。
すると、私が座っていた椅子も、テーブルも、ティーカップも、全てが魔力となって霧散していった。
「あ……」
膝をつき、炎の壁がどんどん崩れていくのを燃える視界から眺めるしかなかった。
「この程度ではあなたは死にはしないでしょうが、あなたも疲弊しているようですし〝復活〟にはある程度時間が必要なのでしょう? この隙に私たちは先に行かせてもらいます。それではライナさん」
次の生までごきげんよう。
そう言って、彼女は静かに私の横を通り過ぎていった。
C
「助かりました」
「おう」
肉体が焼失し、どんどん灰になって行くライナさんを見つめながら、私は羽黒の胸によりかかりました。
「大丈夫か、もみじ」
「……なけなしの魔力を紅茶の湯気に乗せて吸収させて、虚勢を張りながら魔眼で彼女の心を揺さぶっていたので……正直、かなり疲れました」
「お疲れさん」
ポンポンと、羽黒は小さな子供をあやすように私の頭を撫でてくれました。それがとても心地よく、思わず笑みがこぼれました。
「とりあえず分かったことをまとめますと、フェニフのベースとなっているエルフの名前はライナ・リオ・フォレストルージュ。そしてどうやら人質として妹のレイナさんが囚われていて、ライナさんは無理やり戦わされている、という雰囲気でした。そしてレイナさんは恐らく今、ビャクさんと一緒に逃亡中です」
「ほう……名前が知れたのは大きいな」
そう言って、羽黒はいつもの軽薄めいた笑みを浮かべました。
「聞いた通りだ、梓」
おや。
羽黒の陰に隠れて見えませんでしたが、いつの間にか梓さんが合流していました。見れば、イライラと苦虫を噛み潰したような表情で羽黒を見ています。
「何が、聞いた通りだ、よ! こちとらユーちゃんをあんなにされて、今すぐそのフェニフの灰を集めて水にでも溶かして凍らせてやりたいのよ!」
「落ち着け。ユウがあんなになったのはこいつのせいじゃねえだろ」
見れば、黄金化してしまったユウさんと愛沙さんは広間の隅に移動させられ、携帯電話を片手に真奈さんと香雅里さんが決死の形相でその様子を調べていました。
「今嬢ちゃんに修二を介して知り合いの錬金術師とコンタクトを取って、対処できないか聞いてる。もう少し待て」
「そう言えば、ウロボロスさんはどうしたのですか?」
錬金術と言えば身喰らう大蛇・ウロボロス。
彼女であれば黄金化された二人も瞬時に何とかしてくれそうなものですが。
「「……………………」」
しかし彼女の所在を聞くと、瀧宮兄妹は顔を引きつらせながら揃って天井を指さしました。
「……? ……!?」
二人に倣って天井を見上げ――絶句しました。
天井に大穴……どころか、幾階層にも連なっていたはずの要塞が綺麗に貫通し、遥か先に仄かに白み始めた空が見えていました。
「ブチギレたウロボロスが開けた大穴だ。今どこで戦ってんのか知らんが、とてもじゃねえが、危なすぎて近付いただけで巻き込まれそうだったし、そもそも上の階に穴開けながら登られちゃ俺は手が出せんからここに残った」
「んで、黄金化した二人をフェニフの炎のとばっちりを受けなさそうな場所に移動させてた兄貴と合流したんだけど」
「……………………」
なんか、複雑。
あれだけ虚勢張ったのに、羽黒、その辺にいたんですか……。
「とりあえず、動けるようならウロボロスを追うぞ。ヴァドラを倒すなら今がチャンスだ」
そう言って、不安定になっていたとは言えフェニックスの炎を貫いたにも関わらず、僅かに陽炎を纏っているだけでほとんど無傷の黒い大太刀を肩に担ぎました。
「秋幡の小僧とヤマタノオロチがウェルシュ・ドラゴンに乗ってヴァドラとウロボロスを追っている。続くぞ」
「了解しました。……あら? そう言えばジュノーは追わなくていいのですか?」
「ああ、そっちはもう問題ない。奴はもう詰んだ」
ニヤリと笑うと、羽黒は真奈さんの方を顎で指しました。
もう一度視線を戻してよく見ると、真奈さんの肩の上に何やら白い羽のようなものが浮遊していました。アレは……? 何やら不思議な力を秘めているようですが。
「梓」
「何よ」
続いて、羽黒は梓さんに指示を出しました。
「消耗して〝復活〟が遅れちゃいるが、もうすぐフェニフが元に戻る。そん時は、頼んだぞ」
「……………………」
梓さんが亜麻色の髪の毛をかき混ぜるように後頭部を掻きながら、深い溜息を吐きました。
「……あんたはそうやって昔から、ホイホイと無理難題を押し付けんだから」
「やれねえか?」
「誰に言ってんのよ」
あんたの妹だぞ、と声にはしませんでしたが、梓さんはそう口にしていました。




