§2.2 没頭する研究者
「前回は『性交前戯』のところで終わったから、今日はその続きから」
樹の言葉に、また赤くなる。
「まず、性交前戯の時の身体の変化について。女性の身体はどう変化する? 医学的には?」
「はい、膣分泌液が……バルトリン腺から分泌されて……」
「一般的な言葉では?」
「……濡れます」
「なぜ濡れる必要があるの?」
消え入りそうな声で結衣は、ひと言ずつ答えた。
「滑りを……よくして……男性を受け入れやすくするため……」
「なるほど。じゃあ、次の質問……」
樹の言葉に、結衣の顔がまた赤くなった。
「えっと……はい」
「では、性交前戯の具体的な内容について、医学的にどう説明するか教えてもらえる?」
結衣は手元のお茶を一口飲んで、気持ちを落ち着けようとした。
「性交前戯には……キスとか……」
声が小さく、樹は少し身を乗り出した。
「ごめん、もう少し大きな声で」
「キスや……胸部への愛撫……それから……」
結衣は言葉に詰まった。医学的に正確に答えなければという責任感と、恥ずかしさの板挟みになっている。
「性器への直接的な刺激……などが含まれます」
やっと言い終えて、結衣は顔を伏せた。
「なるほど。その『愛撫』という表現は、一般の人にも分かりやすいかな?」
樹は完全に研究者の顔をしていた。結衣が羞恥に耐える様子すら、彼にとっては貴重なデータなのだ。
「えっと……『触る』とか『撫でる』の方が……分かりやすいかも……」
「いいね、その比較。じゃあ、次の質問……」
「女性が感じる性的快感について、医学的にはどう説明する?」
息をのむ。さっきよりも直接的な質問だった。
「それは……」
スマートウォッチが小さく振動した。心拍数が上昇しているのだろう。
「女性の性的快感は……主に陰核への刺激によって生じます。陰核には多くの神経終末が集中していて……」
結衣は教科書的な説明に逃げようとしたが、樹は首を振った。
「もっと自然な言葉で。患者さんに説明するように」
「えっと……女性が気持ちいいと感じるのは……クリトリスという部分を触られた時が……一番……」
顔が真っ赤になって、言葉が続かない。
「一番?」
樹は容赦なく続きを促した。いつの間にか深く研究に入り込み没頭している。結衣への配慮が薄れていた。
「一番……感じやすい……です」
「他には?」
結衣は震える声で説明を続けた。洋子の言葉が頭をよぎる――(『男の人って研究とか仕事になると夢中になっちゃうこともあるから』)
(まさに今の樹くんがそうなのかもしれない)
「膣の入り口付近も……神経が多くて……あと、Gスポットと呼ばれる……」
「Gスポットの位置について、もう少し詳しく」
樹はメモを取りながら、さらに質問を重ねた。
「膣の前壁……恥骨の裏側あたりに……指を入れて2〜3センチくらいの場所に……」
結衣の声はどんどん小さくなっていく。
「ざらざらした感触の部分があって……そこを刺激すると……」
「すると?」
「強い快感を……感じる人が多いと……言われています」
結衣は両手でスカートの裾をぎゅっと握りしめていた。
(恥ずかしい……やめたい……)もう限界が近い。
「なるほど。じゃあ、オーガズムについて。女性のオーガズムは男性と違って複数回可能だと前回言ってたけど、具体的にはどういうメカニズムで?」
樹は画面のデータを見ながら機械的に質問を続ける。結衣の目に見える様々な変化には気づいていない。
「女性は……不応期がないので……刺激が続けば……何度でも……」
「『何度でも』というのは、具体的には? 平均的な回数とか」
「そんなの……個人差があって……」
結衣の目に、じわりと涙が滲む。しかし、モニターのグラフに集中する樹は、その変化に気づかない。
「でも医学的なデータはあるでしょう?」
その、あまりにも無機質な言葉が、結衣の心の最後の砦を打ち砕いた。堪えていた涙腺がぷつりと切れる。もう、研究協力だとか、医学生の責任だとか、そんなことはどうでもよかった。
「もう……無理です」
結衣がついに顔を上げた。その頬を、大粒の涙が伝っていた。
「私……もう答えられません」
次回「§2.3 研究の真意」
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