§0.3 家族の闘病記(3/3)
父の勤める会社では社内の空気が一夜にして変わった。
彼を批判していた役員たちは、手のひらを返したように彼の「先見の明」を絶賛した。
論文で提示された三つの革命的な理論は、IT企業である自社が医療分野へ本格参入するための、最高の切り札に他ならなかったからだ。
論文発表の直後、浩二の主導で経営会議は即決した。
――樹の論文の第二部・第三部で示された理論を実現するため、論文作成時の協力企業の一つであった中堅の医療機器メーカーと業務提携を行い、専門の研究開発部門を新設する。
批判は、称賛と期待へと変わり、彼が個人的な繋がりで協力を取り付けていた企業との関係は次々と正式な共同研究開発へと格上げされた。
父の信じ抜く力が、息子の才能を開花させ、そして会社の未来そのものを変えた瞬間だった。
そして、この提携によって設立された医療工学部門と、論文作成の過程で生まれたAI技術こそが、後の会社の主力事業となり、多くの大学でも採用されることになる臨床学習管理システムの礎となったのである。
***
樹の論文は、多くの希少疾患患者に現実的な治療の光をもたらすと同時に、世界中の再生医療と遺伝子治療の研究を、一気に未来へと押し進めるほどのインパクトを与えた。
その波及効果は、学術界に留まらなかった。
停滞していたある研究プロジェクトを、一気に加速させたのだ。
当時「親族の細胞を培養し損傷した内臓組織に注入して修復する」という治療構想が存在していた。
理論上は可能と言われていたが現実には「細胞の定着率の低さ」や「異常増殖のリスク」といった壁に阻まれ、実用化できても数十年先と言われていた夢物語だった。
樹の論文は、その「夢」を「現実」に変えた。
論文発表から数年後。
樹の『細胞応答シミュレーション』は、細胞の挙動を精密に予測し、最適な投与計画を導き出した。彼の『標的指向性ベクターの設計理論』は、注入された細胞が目的の腎組織に正確に誘導・定着する道を拓いた。
母は、この奇跡的な治療法の最初の臨床応用(治験)の対象者として選ばれ、結果は、医学界を揺るがすものだった。
損傷した腎機能は、医師団も目を疑うほどの回復を見せた。
透析の回避はもちろんのこと、検査数値は健常者の平均値に迫るレベルまで改善し、かつての健康な日常を取り戻したのだ。
母は、樹が5歳の頃の、あの笑顔を取り戻した。
そして、厳しかった食事制限も大幅に緩和され、家族全員での長きにわたる病気との戦いに遂に終止符が打たれたのだった。
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