§5.4 混乱の再会
洋子が呼び止めようとしたが、結衣は足早にカフェを出て行った。
結衣はキャンパスを歩きながら、頭の中を整理しようとしていた。でも、樹への想いと、彼の正体への衝撃が入り混じって、何も考えられない。
(どうしよう……どんな顔すればいいかわからない……)
そんなことを考えながら歩いていると、前方から見覚えのある人影が近づいてきた。
「結衣さん」
樹だった。いつものように優しく微笑んで声をかけようとする。
でも今の結衣には、その笑顔がまったく違って見えた。親しい先輩だと思っていた「樹くん」の笑顔ではなく、雲の上の存在である「水瀬准教授」が、取るに足らない一学生である自分に向けている先生としての笑顔のように見えてしまったのだ。自分だけが特別だと思っていた全てが勘違いだったのではと突きつけられた気がして――
「キャー!」
結衣は短い悲鳴を上げると、踵を返してその場から走り去った。
「え? えー!?」
樹は呆然と立ち尽くすしかなかった。なぜ結衣が悲鳴を上げて逃げ出したのか、全く見当もつかない。
(何が起こったんだ……?)
数日前まであんなに和やかに話していたのに、今日は顔を見るなり逃げ出してしまった。もしかして、あの夜のことで何か嫌な思いをさせてしまったのだろうか。
(でも、その翌朝は普通に話してくれてたよな……)
味噌汁を一緒に飲んで、お互いに感謝し合って、とても良い雰囲気だったはずだ。むしろ、結衣との距離が縮まったように感じていた。
そこへ、後ろから息を切らせた女子学生が駆けてきた。
「あんた学生のふりして結衣に何したのよ!」
突然現れた長身の美女に睨まれ、樹はさらに困惑した。完璧なモデルのようなスタイルに、どこかクールな印象を与える整った顔立ち。ただし、その美しい顔は今、怒りで険しく歪んでいた。
「え? 学生のふり? 何もして…… え?」
しかし相手は樹の説明を聞く気はないようで、
「とにかく! 結衣を追いかけなきゃ!」
と言い残して走り去っていった。
一人取り残された樹は、キャンパスの真ん中で途方に暮れた。
(結衣さんのこと「結衣」って呼んでたな……友達か?)
(でも、何で「学生のふり」なんて……?)
樹は重い足取りで研究室に向かった。歩きながらスマホを取り出し、結衣にLINEを送る。
『結衣さん、何か僕がしたことで嫌な思いをさせてしまったなら謝りたい。返事をもらえないかな』
既読にならない。30分後、もう一度メッセージを送る。それでも既読にならない。電話をかけてみたが、呼び出し音が鳴るだけだった。
(本当に、何があったんだ……?)
今日は集中して仕事をするのは難しそうだった。
次回「第6章 ただ、君のとなりで/§6.1 対峙の時」
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